第13話 いないはずの蛇
美羽も少しずつ城に慣れていき、侍女らしくとは言えないが、簡単な雑用や来客の出迎え程度はできるようになり、衛兵からの冷たい視線も少しずつ和らいできた。
そんな時、町で一番大きな市場の元締めとの者が、突然城に現れた。
「王女ではなく、セン様を呼んでいただきたい。ああ、相談役の方もいるのであれば都合がいい」
遠慮もなくセンとデールを指名する。衛兵が踵をならすが、気にする様子は全くない。
「かしこまりました」
「わかりました。私は席を外しますから、ここへ通してください」
にっこり笑って机を片付け始めた王女。かわりに部屋の衛兵の拳がきつく握られる。
「ようこそいらっしゃいました」
にっこりと笑い出迎えた王女に、客人は面食らう。
「これは、王女。突然の訪問で申し訳ない。お手を煩わせぬよう、この娘に申し伝えましたのに」
「ご配慮、感謝いたします。私は席を外させていただきますが、どうぞごゆっくりなさってください」
深く頭を下げて、美羽を連れ部屋をでる。廊下で、ルークとすれ違った。
「次期王が、来客に部屋を譲ったのか?」
声が、荒い。真黒な瞳は強く、王女を射抜く。
「少し、休憩をするだけです。仕事の能率を上げるために」
柔らかく視線を返す王女にルークが舌打ちをする。心底腹を立てているらしく憎々しげに王女の部屋を睨み、踵をならして自室へと戻って行った。こんなに荒々しいルークは、はじめて見る。
「美羽、城の庭に出たことはある?」
いいえ、と首をふる美羽に王女は庭に咲く花の種類を教えてくれた。
季節ごとに変わる花、空の色、この城から見る空が大好きなのだと笑う。暗い廊下に、王女の明るい声が響いた。
「今は庭師もいないから、綺麗には咲いてないかもしれないけど、少し出てみない?」
「お一人で、ですか?」
「美羽と、タカも一緒に。たまには広い空を見たいでしょう?」
廊下で見張りをしていたタカの手をとり、嬉しそうな声を上げる。困った顔の衛兵は、溜息をつきながら、王女の後をついてきた。
「手入れをしなくても、それなりに咲いているわね」
庭に咲く花を一つ一つ教えてくれる王女。雑草も伸びてはいるが、毎年咲いているのであろう花々は綺麗に咲いている。美羽にとっては見たことのない花ばかり。あいにく空は灰色だが、それでも久しぶりに見る高く広い空。衛兵の手前、身体を伸ばすことこそできないが、大きく息を吸い込み、身体の中に空をいれる。
「そんなに、女が王になるって嫌なことかしらねぇ」
一人言のようにも、美羽に問いかけているようにも聞こえる。
美羽には、誰が王になれば民が暮らしやすいかなんて、正直わからない。
元の世界にいたころだって、政治の事なんて、受験に使うものぐらいしか覚えなかったし、母でさえ、大して興味を持っていなかった。平和な国では庶民とは、その程度なのだろうと漠然と思っていた。
答えに詰まっていれば、タカの視線が刺さる。何も答えない、わからない、というのは許されないらしい。
「私は、強い王となるために、毎日一生懸命な王女が好きです。私は王女が、女王になることを望んでいます。センさんも、シュウも、じい様も、そうだと思います。それでは、足りませんか?」
真直ぐに王女を見つめた美羽に、『ありがとう』と本当に嬉しそうに笑った。
「この花、センが好きなのよ。あの人、ああ見えて部屋にも花を飾ったりするの」
クスクスと笑いながら、しゃがみこむ。王女の視線の先には、鮮やかな青色をした、つゆ草に似た小さな花。冷たく、甘い香りがする。
「良い香りですね」
花を愛でようと差し出した手に、鋭い痛みが走った。
「っ痛、あ、キャァァ」
蛇だ。1メートル近くもあろうかという蛇が、草むらに潜んでおり、美羽の手に噛みついた。慌てふためき手を引こうとする美羽の手を、王女が押さえる。何をするのかと、手を振り払おうとしたが、全く動かせない。
「動くな」
低く鋭い声がしたと思ったら、蛇の頭から下が無い。すぐそばに、蛇の身体がまだ動いている。恐怖にかられ、必死で手を振ると、音を立てて蛇の頭が美羽の手から離れるが、その目は開き、真直ぐに美羽を睨みつけているように見える。
美羽に背を向け、足元に向かい剣を構えるタカ。視線の先には数匹の蛇。とぐろを巻き、シューシューと空気の漏れる音がする。悪意と敵意が、蛇から立ち上っていた。
「毒蛇ではない。お前は侍女だろう、王女を城の中へ」
低い声が響く。その声は、もう恐怖でしかない。
泣きながら後ずさりする美羽の頭を、王女が抱きしめる。
「大丈夫。落ち着いて、城に戻りましょう」
城に入ると王女は手の空いている衛兵を伴い、再度庭にでた。城の中で美羽の手当をしてくれたのは、タカだった。侍女が王女に守られると言う失態をせめているのか、空気が凍りついている。
「隣の世界の住人、というのは本当なんだな」
睨むような視線に、美羽の背筋が伸びた。
「はい。あの、取り乱して、申し訳ありません」
「お前の世界は知らぬが、ここでは従は主を守るもの。どんなに主が優しくとも、従に心を砕いてくれたとしても、従のために主が犠牲になることは許されない。主を守れぬは、恥と思え」
「……はい」
蛇に噛まれた場所よりも、王女に掴まれた腕が痛い。冷たい視線の刺さる胸が痛い。
「怖いと思うなら、衛兵よりも前に出ぬことだ」
驚いて顔を上げると、いつの間に来たのか、眉間の皺を深くしたルークの顔があった。
「侍女が王女を守るのは当然。だが、侍女の前に衛兵がいれば、侍女ごと守ろう。そなたとて、そうであろう」
ルークに視線を受けたタカは、一礼した後に無言で部屋を出て行った。
「悪意のある者ではない。王家への忠誠が高いため、あのような物言いになる。許してやってほしい」
紫色にはれ上がった美羽の手を一瞥して、獣に噛まれた時は無理に手を引くと牙が奥に食い込み傷が深くなる、と教えてくれた。王女が美羽の手を抑えたのは、理由があったのだ。さっきの恐怖が、少し和らいだ。
「この城に、蛇はいない」
呟いたルークの瞳が、怒ったように真直ぐに前を向いている。
「美羽、即位までの間、気を抜くなとセンに伝えろ。王女は、優しすぎる」
暗い森の中、遥かに見える城の明り。
川面が星明りを集め、光が揺れる。
川面の光よりもわずかに高く、対となる小さな光。
「噛まれたのは、侍女か」
「……」
「真に王の器たるものが、即位するべきであろう」
「我が主の仰せの通りに」
蛇に噛まれて数日、美羽は城から一歩も出ることなく過ごしている。
王女は、時折センと二人で庭に出ることもあったが、そんな時は決まって、美羽は城の中での仕事を言いつけられる。もう何日、本物の空を見ていないだろう。冷たい空気を吸っていないだろう。
自分の中で灰色の霧が濃くなっていくのがわかる。時々、叫び出しそうになるのを、やっとで堪える毎日だった。
窓の外を眺め、溜息を漏らしていた美羽に、センが笑う。
「美羽ちゃん、明日は一日外で仕事してくれない?シュウも一緒だから。そのつもりで」
「は?」
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