第12話 悪い人ではなさそうです
どのくらいたっただろう。廊下から王女の叫び声。飛び出した衛兵とシュウを追って王女のもとに向ったが、美羽の足では、追い付くどころか距離はどんどん離れていく。やっとで辿り着いたときには、王女の側にはセンもシュウはもいない。代わりに王女の側に控えていた衛兵が、目を血走らせて美羽に向かってきた。
「お前、先ほどここを通ったな。ここで何をした?」
言われた意味がわからず、言葉のでてこない美羽の首元に剣が突き付けらえた。
冷たい剣先は美羽の柔らかな首にあたり、かすかに暖かいものが流れるのがわかる。衛兵は、本気だ。剣など見たこともない美羽は、声も出せない。足は震え、追いつめられた身体は冷たい壁に同化したようだ。身体中が冷たいのに、汗が噴き出て、胸を伝う。
「やめなさい」
美羽の変わりに響いた、静かな声。衛兵は不満そうに靴を鳴らし厨房に戻って行った。深く息をついて廊下に座り込んだ美羽に、王女が膝をつく。
「ごめんなさいね。蛇が出て驚いたの。転んだときに手を怪我してしまったから、手当を頼んでもいい?」
「あ、はい。もちろんです」
震える足を無理やり動かし、王女の部屋に戻る。言われるままに薬箱を手に取るが、文字が全く読めなかった。
「すみません、どれを使ったらいいのでしょうか?」
恐る恐る問う美羽に、王女は笑って自分で消毒を始めた。何もできない自分が、情けなかった。
「包帯の巻き方は、わかる?」
それぐらいなら、と手を出したがうまくいかない。誰かに包帯を巻くなんて、初めての事だ。何度もやり直していると、王女がクスクスと笑いだした。
「いいわよ、適当で」
「蛇、よく出るんですか?」
蛇は、美羽も苦手である。動物園やペットショップでしか本物を見たことがないが、気持ちのいい生き物だとは思えない。この世界でひと夏を過ごしたが、一度も見たことは無い。
「城で出たのは、はじめてよ。この森に蛇は多くない。時期的にも、本来なら今はいないはず」
「……」
怒ったように天井を見つめる王女。美羽は、何も言えなかった。
王女に先に行くように促されて、デールと一緒に厨房まで戻った。先ほどの衛兵に睨まれて、石のように固まる美羽。気にすることはない、と笑いながら一緒に座ってくれるデールに、目の前が滲んできた。
「王女がいらっしゃる。そこへ立て」
衛兵の冷たい声が部屋に響いた。固まってうまく動かない足を扉のそばまで必死で運び、頭を下げて王女が部屋に入るのを待つ。足音もさせずにやってきた王女が、美羽の姿を見て柔らかく笑う。
「美羽。そんなことしなくてもいいのよ。タカ、美羽を怖がらせないでちょうだい」
タカ、と呼ばれた衛兵が真直ぐに王女に視線を返す。
「昨日今日現れた者を、信頼はできません」
睨みつけるような目は、王女にも向う。王女もその視線を当然のように受け入れ、笑う。
「あなたの気持ちはわかるけど。でも、女の子よ?あんまりいじめないでちょうだい」
その声には、返答はない。代わりにセンが喉の奥で笑った。
「タカ、お疲れ様。ここには我々兄弟がいるから、もう今日は休むといい」
「セン様、そのような」
言いかけたタカをセンの鋭い視線が刺す。
「我ら兄弟も、お前の信頼には足りぬと?」
一瞬、空気が凍りついたが、すぐにタカは、はじかれたように頭をさげた。
「失礼、いたしました」
「うん、ゆっくり休んで、また明日頼むよ」
柔らかく笑ったセンに、タカは呆れたような顔を見せて、もう一人の衛兵と共に部屋をでていった。気の抜けた美羽は、自身では身体を支えられず、壁にもたれかかった。
「美羽ちゃんは、王女よりもタカの方が緊張するんだろうだねぇ。融通利かないけど、いいヤツなんだよ。許してやって」
センが笑って美羽の身体を支えてくれた。食事をしながら、シュウが街の様子を報告をするが、その話はどこかおとぎ話のよう。美羽は黙って耳を傾けることしかできなかった。
「美羽ちゃん、そこ変わるから、王女に紅茶を入れてくれない?皆で飲むから、多めに頼むよ」
残っている作業は洗った食器をしまうだけ。どこにしまっていいかわからずに、一つ一つ場所を探していた美羽は、センの申し出を喜んで受け入れる。
昼間と同じようにリンゴを温めて紅茶にいれ、冷めないように湯せんしながらカップの準備を整える。その様子を見て、センが懐かしそうに笑う。
「マリと、よく似ている」
「マリ、さん?」
「シュウの、お母さんだよ。優しい人で、紅茶を入れるのがすごく上手だったんだ」
「シュウのお母さんも、以前は、この城にいたんですか?」
センは黙って首を振る。その瞳は、それ以上何も聞くなと言っているようだ。
食堂に戻るとすでにデールの姿は無く、さっきまではいなかった男性が一人で食事をしていた。シュウの眉間には皺が寄っているが、王女は相変わらず柔らかく笑っている。センは、あからさまに機嫌が悪くなった。
凍りつく空気にどうしていいかわからずにオロオロとする美羽に、王女が笑って手招きをしてくれた。
「伯父様、彼女は隣の世界からの客人で、しばらく私の侍女として城に置きますので、お見知りおきを。美羽、私達の伯父様よ。王の護衛も兼ねて、長く補佐の任についていただいているの」
「美羽、です。よろしくお願いします」
伯父様、と呼ばれたその人は静かに美羽を視線を投げる。切れ長の瞳、意志の強さを表すかのようなまっすぐで黒い髪は胸まで届いている。一見、鋭い風貌ではあるが、真直ぐに美羽を見つめるその瞳は柔らかかった。とても、王位の為に王女を狙うようには見えない。
「ルークだ。隣の世界からの客人、か。この時期に……」
何か考え込むように紅茶を飲み、自室へと下がって行った。
「美羽の世界には、女王はいる?」
「女王、ですか?」
『女王』どころかこの世界の『王』が何を指すのか理解できていない美羽は言葉につまった。大統領、総理大臣、他にも各国を代表する役職は数多くあるのであろうが、それはこの世界の王とは違うのだろう。選挙ではなく血統で決まるのであれば天皇やエリザベス女王などが近いのだろうか。でも、それらの存在が実際に政にどの程度の影響を持っているのか、何かを判断することがあるのかは正直よく分からない。
「私の住んでいた国では、この世界での『王』と同じ立場は存在しません。国を代表して政治を行う人は選挙で民が選ぶので、血統ではないのです。王に近い存在もありますが、この世界の王とは少し違う気がします。それでも、男性ですね。女性の王は、私のいた国ではずっとずっと昔に一人だけ。女王がいる国も、あるにはありますが政をどの程度しているのかは、私にはわからないです」
美羽にはこれ以上の事を、うまく説明する自信がない。もっと政治のこと勉強しておけばよかったと後悔するが、今更どうしようもない。詳しく聞かれない事を願いながら紅茶を入れる。
「そう。でも、いることはいるのね?」
溜息と同時に、強い瞳が前を向く。
市場で聞いた、噂話を思い出す。王は男性でなければ認めたくない、という民の心。
「女王だからこそ、見えるものもあるんだろう?」
シュウが王女に問うが、答える声は無かった。
あいかわらず、王女は日々の仕事に追われ、日中は食事をする暇もない。
多忙を見かねて、時折ルークが仕事を引き受け減らしてくれているようだが、そのたびにセンが舌打ちを漏らしている。
「伯父上のお手を煩わせるほどの事ではございません。どうか、王の側にお戻りください」
「私もそうしたいが、この書類がないと、仕事が進まなくてね。次期王の補佐であれば、ここでの仕事が止まると、国中に影響が出ることを、自覚していただきたい」
冷たい声が部屋に響き、書類を手に取っていく。
去り際に王女を一瞥し、センに向き直った。
「ライアの顔色が悪いようだが、王の体調管理も補佐の役目ではないのか?女性であれば、我らよりも体力は劣る。同じ量の仕事をさせるわけにはいくまい」
センの顔から苛立ちが漏れ、王女は『大丈夫です』と顔をあげて笑って見せる。
「ライア、君が良き王を目指しているのは、知っている。だが、体調管理も王の仕事。女王を悪いとは言わない。だが、男と女の違いを理解することも、女王には必要なことだと思うがね」
センも王女も一言も返せず、部屋を出て行くルークの背中を見送った。
「体調管理も仕事、女は体力は劣る、かぁ。伯父上、だよなぁ」
話を聞いたシュウが、呟く。
センに対しても王女に対しても言葉は厳しい。それでも、彼の言葉からは憎しみは感じられない。美羽には、彼が王位をねらっているようにはどうしても思えなかった。
そして、シュウも彼を本当に嫌っているようには、思えない。
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