第3話 穏やかな暮らし
美羽は、窓辺に用意された椅子に腰かけてぼんやりと庭を眺めていた。昨日の霧が嘘のように明るい空、外にはタンポポに似た花が咲いている。美羽の世界と、なにも変わらない。
そんな美羽を面白そうに眺めていたシュウが、立ち上がった。
「おい。昨日アンタが居たところに行くけど、来るか?」
「昨日居たところ……?行きます」
段差のある玄関、そろえて置かれた靴。古い引き戸。まるで日本の古い家のよう。軋む引き戸を開けると、光が目に痛い。
門を通ると腰ほどまである草が両脇を固める獣道、小川があるのか、水の流れる音が聞こえる。見渡せる範囲に家はなく、背の高い木が小さな家を囲んでいる。
ここは、まちがいなく美羽の住む町からバスで行けるような場所ではない。
「行くぞ」
さっさと歩き始めたシュウを、慌てて追いかける。
一時間も歩いただろうか。足早に歩くシュウを息を切らしながら必死に追いかけ、やっとたどり着いたのは、森のはずれにある墓地。
美羽の世界と変わらずに墓石があるが、墓石に書かれた文字は見たこともない。
「アンタ、ここに座っていたんだ。覚えているか?」
シュウが指したのは、敷地のはずれにあるまだ新しい墓石。たしかに、昨日座っていたベンチと高さは似ているが、まさか。
「お墓に、座っていたんですか?」
色を無くした顔をみて、シュウが笑った。
「やっぱり気付いてなかったのか。昨夜ここに来たら、霧の中でアンタがぼんやり墓石に座っていた。一瞬、息が止まったよ」
「ココ、誰の?」
「俺の、母親。冬が終わる前に逝っちまった。春、楽しみにしていたんだけどなぁ」
「……ごめんなさい。そんな、所に」
言葉を探して目を泳がせた美羽に、いいさ、と笑って墓石の前に座り込む。
「少し、話をするから、待っててくれ」
言われた通り、大人しく下がって待つ美羽。故人を思う気持ちは、変わらない。母を亡くした美羽には、シュウの痛みが胸に刺さるようだった。
風がそよぎ、開いていた花が閉じかけたとき、シュウが振り返って美羽を手招きした。黙って側に行き、シュウの横にしゃがみこむ。
「コイツ、昨日の女、美羽。失礼なヤツだけど、しばらくウチに置くことになったから」
墓石に向って笑いながら美羽を紹介する。とても大切だったことが、伝わってくる。きっと、この墓に眠る女性も、シュウを大切に想っていたんだろう。
「よろしくお願いします。昨夜は、ごめんなさい」
母のお墓は、どうなるんだろう。義父がどうにかしてくれるだろうか。目の前の立派なお墓、毎日墓参りに来ているのであろうシュウ。急に、母に申し訳ない気持ちで一杯になり、一杯になった想いは瞳からあふれ出しそうになる。
美羽の滲んだ瞳を、シュウが覗きこむ。何でもないです、と笑って見せる美羽に、シュウの眉間に皺が寄ったがそれ以上聞かれることは無かった。帰り際、お墓の横にある木からリンゴを2つ取っていく。この世界では、リンゴは一年中取れるらしい。
家に戻った時には太陽が少し低くなっていた。釜戸で火をおこすのを珍しそうに眺めている美羽に、呆れたように笑う。
「アンタの世界は、火がないのか?」
「火は、ありますけど、ガスコンロだから……。ええと、家のはつまみを回すと火が出て、元に戻すと消えて」
どう説明していいかわからずに言葉に詰まる美羽に、シュウが首をかしげる。
「まぁ、ここではこうやって火をおこすんだ。そのうちやってもらうさ」
「はぁ」
毎日がキャンプみたいだな、と思いながら返事をした。
ぼんやりと眺めていると、シュウがさっきとってきたリンゴを切って紅茶を入れている。アップルティーを作っているようだ。リンゴを温めて、紅茶を注ぐ。それは、美羽の世界と変わらない。
「ん」
ぶっきらぼうに差し出された紅茶を口に含めば果物の香りと、ほんのりした甘みにホッとする。香りはリンゴよりも桃に近いが、味や食感はリンゴ。
「美味しいです」
「そうか?母さんが良く入れてくれたんだけど、なんか、違うんだよなぁ」
少し寂しそうに呟いた。
美羽の母も紅茶好きで、毎朝おいしい紅茶を入れてくれた。日曜日は、美羽が紅茶を入れて、二人でおしゃべりをしながら一緒に紅茶を飲んだ。今、知らない世界で、知らない人と飲む紅茶は確かに、何かが違う。二人は、黙って紅茶を飲んだ。
時間は毎日、ゆったりと流れていく。美羽は少しずつ生活に慣れて行った。
石を使って釜戸に火を入れ、食事を作る。かなりシンプルではあるが、美羽の世界と変わらない物を食べている。数日に一度、狼の姿で持ってくる山鳥は、シュウが手早く肉に変える。これも人の姿に変わるのだろうかと思ってみているとシュウが笑う。
「人の姿をとれる獣は、捕らねぇよ。見ればわかるだろ?」
区別など、全くつかない。シュウの姿も、動物園で見たことのある狼と全く同じに見える。言葉を話せばわかるが、動かないその姿で見分けろという方が無理だ。そういうと、不便なやつだなぁ、と笑われる。
数日一緒にいただけだが、母を亡くしたばかりだというのにシュウはよく笑う。何もできない美羽を快く受け入れてくれたぐらい、面倒見もいい。
どうして家に入れてくれたのか、と聞いた美羽に不思議そうな顔をした。
「行くところ、ないんだろ?」
「それは、まあ、そうなんですけど」
怪しい人だったらどうしたのか、と聞きたかったのだが、うまく伝わらない。少し考えたシュウが口を開いた。
「一人だと、暇だから、かなぁ」
その答えは、切なくて聞いたことを後悔した。
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