『昨日なぁのぉだぁ』
ということで今年もしっかり誕生日を忘れられていた。
なんならわたしも翌日に気づいた……何故だろう? 影が薄いどころか、認識を阻害されているのではと疑ってしまう。誰がそんな暇なことをしているのだろう。今年はカレンダーに誕生日と小さく書いておいたのに。この誰かが横に付け足したですぞがよくない気がする。よくないな、と根拠なく目の敵にした。
「と思うのだけどどう?」
犯人のほっぺをむにょむにょ弄りながら聞いてみる。
「ふふふ、どうでしょうな」
なにも言っていないのだから当たり前だけど、なにも分かっていないのに思わせぶりな態度を取るやつである。えい、とリリースする。今日のヤシロの格好はヤギだった。
「ほほーぅ、しまむらさんの誕生日とやらですか」
「もう過ぎたけどね」
「めでてぇーのですか?」
「めでてぇーです、一応」
「ではドーナツでお祝いしないといけませんな」
うむうむ、と勝手に誕生日に相応しいものを決定する。
「なに、あんたが買ってくれるの?」
「はっはっは。しまむらさん、相手を見て聞かないといけませんぞ」
「いばるな」
離したばかりのほっぺをもう一度弄って、楽しんでからまぁいいかと買いに行くことにした。
まだ学校帰りで制服も着替えていないけれど、それもいいかと財布とヤシロを担ぐ。
「ところで今回は何歳の誕生日なのですか?」
急に生真面目に世界への疑問を投げかけるんじゃない。
「女性の年齢には触れないでいいの」
誕生日は、誕生日。それでいいじゃないか。
「それもそうですな」
あっさり納得していただけたヤシロを猫みたいに抱いて、駅前のドーナツ屋へ向かった。
わたしの誕生日の凄いところは、あの安達ですら失念することである。わたしよりわたしを知っていそうな安達でもだ。やはりそういう、ある種の呪いめいたものがあるのではないかと、割と真剣に考えてしまう。
しかし誕生日が掠れていてもわたしは歳を取り、着実に大人に近づいていくのだから……なんかずるいなぁと思ってしまうのだった。
時間は人間が決めた測りに過ぎないのだから、当然ではあるのだけど。
そんなこんなで、ドーナツ屋へ行った。ショーケースを覗いて、選んで買っている間、一番幸せそうなのは間違いなくこのヤギさんだった。
「あんたのお祝いみたいになってるんだけど」
「それもまたよし、ですな……」
「深いことを言った感じを出さないように」
ドーナツの袋と本人の足が楽しげに左右に揺れている。実際、こいつの誕生日っていつだろう。
そもそも、そんなものがあるのだろうか。
「たんじょーびでしたな……」
呟いた後、ヤシロがするりと腕の中から抜けて、ドーナツの袋を持ったまま飛び降りる。
「しまむらさんはここからあっちへ行ってください」
ヤシロの水色の指先が示すのは、来た道から大きく逸れた雑踏の向こうだった。
「家と方向大分違うんだけど」
「ほほほ、わたくしからのお祝いです」
先に帰っていますぞー、とヤギが手を振って軽快に走っていく。一々地面を蹴っていると思えない身軽な動きで、周りの注目を若干浴びつつあっという間に消えていく。
「……んー」
果たして、ドーナツは無事に我が家へ辿り着くだろうか。
それはそれとして、じゃあ、行ってみるかとヤシロの示した方向へ歩き出してみる。
ヤシロはちょっと各所が光っているけど、まぁ、わたしの友達みたいなものだし。
それにあいつがこんな風に言い出すときは、大抵、本当にいいことが待っているものだった。
だから少し歩いてみると、どこまで歩けばいいのかなと考えている間に、ほら。
見つけた。
自転車で移動する安達の背中を遠くに見た、気がする。
でも距離は結構あって、追いつける気がしない。ああ、どんどん離れていく。
違っているかもしれない、と思いながら小走りになる。人混みで大きな声を出すのはどうだろうと思いながら、手を口の横に添える。だってほらまぁ、なに。
安達が遠ざかっていくからだ。
などと思っていたら、こちらが本格的に動き出す前に安達が急に振り向いて、ハッとこちらを捉える。そして急ブレーキをかけた自転車と共に引き返してきた。むしろこっちが驚いてしまう。一体なにを察知して振り向き、わたしのもとへ走ってくるのだろう。後ろにも目がついているのだろうか。
ヤシロといい、安達といい。不思議の塊が、周りにたくさんいる。
自転車で滑り込んできて、高まる気温に合わせてやや汗ばむ安達の息が弾み。
あはっ、とこちらも声が漏れる。
なるほど、これがわたしへのお祝いらしい。
「し、しまむらどうしたの?」
「どうしたのって、安達こそ」
そうじゃなくて、と安達が息を整える。
「なんか、笑ってるから」
私が変なのか? ここ? と安達が慌ただしく髪やら服やらを弄る。
ああそれは、と説明しかけて、歳を取ったのに素直になれない人間が目を逸らす。
「誕生日のお祝いらしいからドーナツを買いにきただけだよ」
たんじょうび、と安達の薄い唇が言葉をなぞる。そして大事なことを思い出したように、自転車と一緒にがこんと跳ねる。
「しまむらの!」
「いぇーい」
今このときより束の間、安達より年上になったのだ。安達がすぐさま指折り数えて首を傾げる。そして、恐る恐るといった様子で確認してくる。
「昨日だった……よね?」
「お、ちゃんと覚えてる。えらい」
安達の顔が青ざめる。そして直後、沸騰するように赤ざめる。そんな日本語はない。多分。
起伏の激しい峠を行くような安達の日々は、健康にいいのか悪いのか判断が難しい。
最後はしょんぼり、犬耳でも垂れさせるように項垂れてしまう。
「ごめん、忘れてた」
「いいよ、わたしも忘れてたから」
「ど、どういうこと?」
「いやそのままの。なんか誕生日忘れちゃうんだよね」
ほほほ、と思わず自分のことながら笑ってしまう。逆に安達はむむ、となっている。
自転車のハンドルをぎゅっと握りしめて、手の甲に筋が浮き上がっていた。
「来年からは絶対、私が覚えてるから」
「お?」
「しまむらが忘れても、私がいるから、だ、大丈夫だよー」
頼もしさを掲げるように、ぎこちなくおどける。じっと見ていたら、へらぁ、ってちょっと下手な笑顔まで見せてくれるものだから、ういやつ、とこっちもほくほくしそうになる。
いやしているかもしれない、ホクホク。
「それは頼もしい」
と思いつつ、一瞬意地悪が芽生える。
「じゃあ、本当にもしも次忘れていたら?」
安達の表情が固まる。青白い顔立ちだけを残して感情がさっと引くものだからこちらに鳥肌が立ちそうになった。
過激なこと言いそうだから聞かない方がよかったな、とすぐ後悔する。
だから安達が危ういことを口にする前に、わたしが手のひらを重ねる。
一緒にハンドルを、にぎにぎにぎ。
「安達が忘れたら、わたしが覚えてる。それで丁度いいね」
安達の顔が瞬く間に溶ける。でろぉ、って感じに頬が緩んだのでほっとしつつ。
それが一番いい、と思った。
安達が忘れているといけないから、わたしが覚えていないと。
この意識があればきっと、来年からは誕生日を当日に迎えられるだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます