『昼』



「おかーさんそうめん飽きたよー」

「そうかい。実はね、お前には今まで内緒にしていたけど本当のお母さんじゃないのよ」

「今更なに言ってんのおばあちゃん」

「お前が何を言ってるといいたいのだが」

 僕はお母さんでもお祖母ちゃんでもないし、なによりお前は友達でもない。

「なんで僕たちのアパートに来るんだ」

 帽子を取り、裸足になって足を伸ばしている男がさして楽しくなさそうにへらへら笑っている。唇の端の薄い広がり方に、いつも警戒を抱いてしまうのはなぜだろう。

「いや本当に昼飯食べに来ただけ」

「……ほんとにー?」

 この男、そう言って以前に別のヤバいやつを連れてきた前科があるのだ。

「ぼくに他の用事なんてあったら嫌でしょ」

「そりゃごもっとも」

 なにしろこの男、現役の殺し屋である。しかもその業界では名うてらしい。つまり、大量殺人者であり平然とお天道様の下を歩いていたら天下泰平に陰りが差すというものである。

 かといって正面から捕まえようにも大変お強いので、僕としてはどうしようもないのだった。

 しかし殺し屋に住処を知られているというのも物騒な話だ。

「どう、似合う?」

 同居人のお姫様が、殺し屋の置いた青い三角帽子をかぶってツバを摘む。

「こらこら、そいつに触るんじゃない」

 そう言いながら、殺し屋はまったく咎める様子もなく終いには寝転がってしまった。

「この帽子、特別なものなの?」

「うむ、実はな、立派な海賊になってこいつをいつか返しに来いと」

「ここ海ないからさっさと他県に繰り出してくれ」

 いつも青いスーツを着て、青い三角帽子を被っている殺し屋。他に服はないのだろうか。

「ぼくとしてはスナ〇キンを狙っているんだが、なぜか魔女なんて呼ばれちまう」

「ま、ス〇フキンよりは魔女だろうな」

 そういう雰囲気がある、男なのに。どの辺の作用か分からないが、睫毛の長さのせいだろうか。

「つーかさー、そうめん山積みになってるけどそんな好きなん?」

「この間の依頼人からそうめんを大量に貰ったんだ。いやひやむぎ? まぁどっちでもいいか」

 依頼料とは別にどうぞどうぞと勧められて断り切れなかった。

「僕も結構長くペット探しをしているが、あんな依頼は初めてだったな……」

「キングコブラでも探したんけ?」

「いやエビ」

 冗談かと思ったが本気らしいので中腰でくまなく近場を探した。そして本当に見つかった。

 随分とパワフルに動くそのエビは飼い主によるとどうも、長距離を散歩していただけらしい。

 エビと会話するその依頼人に対して、僕はそうですかよかったですね以外の言葉を持ち合わせなかった。

「あ、用事もう一つあった。自慢」

「は?」

 起き上がった殺し屋が、懐から何かを取り出して脚の短いテーブルに置く。

「ふふふ、見ろこの箸置きを」

「すげーなちょううらやましい」

「テメー茹でられてる麺がそんな羨ましいか」

 ここここ、これ、こーれと調理中の僕の横まで来てニワトリみたいなのがうるさい。

「ぼくの飼ってるフグをモデルにした箸置き。特注品だぞ」

「ふぐ……ああフグ。この間見せてきたやつね」

 名前がどいつも横文字なのでまったく覚えられない。

「とーくちゅーぅひーん、ぬわぁのでーす」

「フグ食いたいなー」

「もう一回適当に羨ましがっていいぞ」

「羨ましいな、お金余ってそうで」

 くぇっくぇっくぇ、と殺し屋が鳴く。

「こいつを作った陶芸家はこれから伸びるぞ。……多分」

「ふぅん……」

 無教養なので、僕にはそういう方面の良し悪しはさっぱりだ。

 一方的な自慢を終えた殺し屋が戻って、またひっくり返る。

「大立ち回りしてきて疲れた。くそねみぃ」

「家に帰って寝てくれ」

「ここぼくのいえー」

「死ね」

 吐き捨てたら黙ったので、本当に死んだかなと振り向くと大の字に伸びきったまま、目を瞑っていた。お姫様が側に屈んで寝息を確認している。

「寝ちゃったよこのおじさん」

「ふむ」

 おじさん呼ばわりにも反応しないということは、本当に深く寝入っているらしい。

 大立ち回りってことはあれだ。

 人を殺してからここに来たわけだ。

 ……汚れの目立つ壁に服を擦ってしまったような、そんな引っ掛かりが拭えない。

 顔面を蹴飛ばすか迷いながら、茹で上がったそうめんを置く。帽子を殺し屋の側に戻したお姫様が「おかーさーんそうめんあきたー」「悪い大人のどうでもいい部分だけ真似しないように」

 二人で食べ出してもまったく起きる様子がない。仕方なく三人分作ってやったのに。

 隙だらけの殺し屋が、穏やかに寝息を立てている。

「……邪魔くせぇ」

 せめて大の字にした手足を引っ込めて寝るとか、そういう慎みはないものか。

 悪いことをしているやつなら、それくらい世間に遠慮して生きてほしい。

「なにしに来たんだこいつ」

「昼ご飯食べに来たんでしょ?」

「やーねぇ」

 結局ついお母さんになってしまう。

 そして、今ここでこいつを始末した方がきっと世のためになるんだろうなぁと思いながら、そうめんをつゆにつけてすするのだった。

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