『わたしの時の止め方・後編』

「あ、えろだー」

「なんだこの小学生」

 えろだえろだーと下駄箱の前で鉢合わせた小倉を指差してぐるぐる回っていたら、最初は呆れているだけだったけど終いにはローキックを頂戴した。しかも靴を脱ぐ前に。

「痛いうえに靴下汚れるじゃん」

「邪魔」

「えろ女子高生の足は長い」

「うるさいなこいつ。なんなんだ」

 羽虫でも見つけたくらいの感覚であしらわれる。

 もう一度うろうろしてやろうかと思ったけど、蹴飛ばされるのが嫌で諦めた。

 基本、競り合いでは小倉の方が強い。

 くそ、昨晩のことで顔を合わせづらいと思って登校してきたのに早速合った。神経衰弱で最初の二枚が揃ったくらいの偶然に、こっちだけ動揺している感じだ。

「うー」

「隣で野生動物の唸り声をあげないで」

「ぎー」

「音を高くしても一緒」

 奇声をあげながら靴を脱ぐ。履き替えて、そうだと顔を上げる。

 さっさと先に行きそうになっていた小倉の肩を掴んで、ほらと手を出す。

「スマホをお見せ」

「なんで?」

「昨日の……あれの、やつを消したかの確認」

「ああ、あれ。消したって言ったのに」

 ははは、と小倉が冗談めかして肩をすくめる。

「人を信用できないとか悲しい生き物だね」

「いや小倉もわたしのスマホ確認してたじゃん」

「私はしてないし」

 まるで悲しくなさそうに言いきられた。

「じゃあわたしもしない! 見せなさい!」

「朝から元気すぎない?」

 小倉がぼやくように言って、「しょうがないな」とスマホを出しかけた手が中途半端なところで止まる。なんだろう? まぁいいやと止まっている手からスマホだけ取ろうとしたら、すっと引っ込んでしまう。

「やっぱりだめ」

「なんじゃー!」

「忘れてた」

 小倉が電話を完全にしまって、頬を掻いている。なにを照れているんだこいつは。

「お前、嘘ついてる。わたし分かる」

 棍棒でも持っている気分で問い詰める。小倉はその辺の言い分を無視して、鞄を守るように広げた手のひらを添える。

「言っとくけど、時間止めて電話取っていったら泣くよ私」

「ぬぅ」

 妙な脅し方をされた。わたしがその程度で怖気づくと思うのか。

 効果は抜群だった。

「じゃー、やめといてやる」

 考えもしなかったけど。すぐそういうのを思いつくあたり、小倉は悪いやつだな。

 悪いやつなら泣かせてもいいかな、と一瞬邪な発想も出たけど、実際見たところで嬉しくもない。しかし見られたら泣くって、謎スマホだ。泣かせたくはないけど一度覗いてはみたい。

 五秒でスマホを見て戻す手際を頭の中で考えたけど、絶対に無理だと思った。

 そもそも暗証番号が分からない。

「なー小倉、電話の暗証番号ってなに?」

 他意なく質問したら凄い顔で睨まれたので、つい時を止めて逃げてしまう。ひょっこひょっこと先に教室に入りながら、なるほど、逃げるのには便利だと評価する。

 上手く使えば永遠に捕まらないんじゃないだろうか。これは十分、有効な使い方と言える。結局昨日色々考えても思いつかなかったので、これでいいやと思った。

 昼休みになって、小倉のもとに移動する。小倉が刺さる日差しでも見上げるように、億劫そうに顔を上げた。

「なぁ鬼ごっこしよう」

「あんた歳いくつ?」

「わたしを捕まえたらお昼奢っちゃう」

 提案すると、小倉の目がきろっとこっちに動いた。

「私、一応運動部だよ?」

「はっはっは、何を隠そうアマチュア無線部だ」

 本当に。なんでもいいので部活動には所属しないといけないのだ。

 小倉が考え込むように前を向く。むっ、この雰囲気、と慌てて時間を止めるとその直前、わたしに飛びつこうとしていた小倉の姿があった。やっぱり、この場で捕まえようとしたな。なんとなくそういう呼吸みたいなのが分かってしまう。

「すぃー」

 時を止めている間に教室の外に出る。そして時間が動き出すと、椅子から飛び上がった小倉は一瞬、目を丸くして。

 すぐにまた座り直してしまう。

「おーい諦めるなよぅ」

「そうだった。これまさしく、時間の無駄」

 小倉の前に小走りで戻ってくる。頬杖をつきながら、小倉が尋ねてきた。

「あんたの考えた時間の止め方ってこれ?」

「えーまー」

「つっまんねー」

 速攻で駄目出しを食らう。なんだよぉ、楽しいぞぅ、わたしは。

 でも小倉が付き合ってくれないと虚しいだけだった。

「小倉はなに考えたんだよ」

「べつに、なんにも」

「えー」

「あるけど、教えない」

 うっそくせー、と思った。絶対面倒になって考えてこなかったんだ。

「それよりお昼食べに行こう」

 小倉がまた席を立つ。その動きを見て、時を止める。

 正面に立って、腕を組んで、足の位置をちょっと直した。

 そして、時が動き出す。

「ふはは、怖かろう」

 ぎょっとした小倉の表情に勝ち誇る。昨日もやったけど。

 今度はいくら避けようとしても目の前に回り込んでくるという恐怖だ。

「どうするどうする君ならどうする」

「邪魔なんですけど」

「邪魔してるからね!」

 迂回しようとした小倉の動きを見て再び時を止める。よっこいしょと大またで動いて仁王立ちで立ち塞がる。しかしこうして改めて使ってみると、人の邪魔をするとか、逃げるとか、妨害することにかけてはとても便利だし強力だ。でも、それを前向きなことに生かせる環境にはなかった。だってわたしは、たくさんの人と仲良く生きていきたいから。

 それなら足並み合わないように時間を孤立させていくのは、まったくもって意味がない。

 願ったとはいえ、不必要な人間に能力が芽生えてしまったものである。

「ふはは五秒経過、はぶあ!」

 また前に立つと予測してか、時間が動き出した直後、得意気になる前にがっつんと頭を割られた。頭突きを置いていたのである。身長差を活かした、綺麗な一撃がわたしの額に吸い込まれた。

 額にハンコでも押されたような感触を維持したまま、一緒に校舎を出るところで、ふと思い立つ。

「なぁなぁ先にちょっと体育館でお話ししよう」

 小倉を道草に誘う。小倉は校舎外から学食の方を一瞥して、その賑わいを確認した後。

「ま、いいけど」

 やはり小倉はなかなかにいいやつなのだった。

 昨日と同様に体育館に入る。他に物音のしない体育館で、敢えてどんどん踏んで歩いて足音を響かせていると「ガキ」と小倉に毒づかれた。「おとなっ」と言い返したら、「言い返せてないよ」と冷たく指摘された。

 片付け忘れたのか、次の授業で使うのか。バスケットボールがコートの外に置かれていた。それを拾いながら小倉に話しかける。

「思うにさー」

 小倉にバスケットボールを緩く投げる。小倉はそれを慣れた手つきで受け取り、胸の前に構える。見届けてから、時間を止めた。ちょこちょこ近寄って、ボールを取って飛び退く。停止を終えた小倉が、手の中から消えたボールと、わたしを交互に見た。

「確かにさ、能力を使えばそれこそ小倉にバスケでも勝てるよ、簡単に。でもそれは楽しくないし、小倉だっていい気持ちにはならない。だから、やる価値がない」

 ボールをまた小倉に放る。やや外れたそれを小倉は片手で受け止めて、「へたくそ」と罵倒してきた。「うっさい」と返しつつ、話を少し続ける。

「楽しいことに使っていかないと、自分がどんどん嫌なやつになっていきそうだから。わたし、嫌なやつって嫌いなんだよね。嫌いなやつには、近づきたくない」

 自分なりのスタンスというものを、小倉に示す。小倉は受け取ったボールを見つめて、ぽいっと大きく放り投げる。ボールはリングの手前に当たって弾かれた。

「へったくそー」

「そうかもね」

 小倉が体育館の壇上に腰掛ける。わたしは転がるボールを拾い、元の位置に戻してから小倉の隣にうんとこしょとやや苦労しながら座る。わたしには段差が思いの外手強い。軽く飛び上がるだけの小倉はまったく平気そうだった。

「だから、なんだろね、これから楽しく時間を止めていくので安心してくれってこと」

 どこをどう取って安心できるかはさておき、悪用はしないと誓う。

 昨日のも立派な悪用だけど、今日から一味違うのである。味変だ。

 ていうか安心してくれないと、友達なんか続かないし。

 小倉も似たようなことを考えているのか、じとーっと、値踏みするようにわたしを見ていた。

「あんたってその気になれば、誰の人生でも破滅させられるよね」

「できるねぇ」

「こわっ」

 小倉が笑い飛ばすような調子で怖がる。

「友達やめようかな」

「まいふれーん」

 抱きつこうとしたらすっと肩を引いて逃げられた。え、そんな、ほんとに?

 空ぶった腕をハサミみたいにくわんくわんと折り曲げていると、小倉が目を逸らす。

 それから。

「ああでも、やっぱり大したことないかも」

 急に手のひらを返してくる。

「時間くらい私にも止められるし」

 小倉が溜息交じりに、そんなことを言いだすではないか。

「は?」

 急な告白に、それこそ時間を止められたようだった。小倉は座ったまま、なにかを考えるように俯いている。聞き捨てならねぇ、とこっちは立ち上がって抗議する。

「おまーえなー! わたしの十年の修行を甘く見てるのか」

「修行ってなにやってたの」

「叫んだり、止まれって壁に手を向けたり」

「……楽しそうだね」

 バカだねを限りなく明るく前向きに表現された。だがそのバカの果てに目覚めたわたしの力を、特にバカやっていない賢い小倉に芽生えるはずがない。と、思いたい。

「小倉、嘘つくときはもっと面白いのにしようよ」

「嘘じゃない」

「へっ、できるなら止めてみやがれってんでぃ」

 思わずちょっと江戸っ子になってしまう。

 小倉はじっと、細めた目でわたしを見上げて。

「いいよ」

 床を押すようにして立ち上がる。え、なに、なんだ、きさまーと身構える。

 その手首を小倉が取って、位置を整えるように押して、開いて。

「これが、私の考えた時間の止め方」

 ぐっと。

 小倉が顔を寄せて、それから。

 わたしの時間が止まる。

 わたしだけの時間が、心臓ごと掴まれたように。

 ふわ?

 ふわっとした。

 小倉の髪も、匂いも、感触も。

 ふわふわだった。

「ほら、止まった」

 離れた小倉が、神妙そうな表情で呟く。

 でも声もあげられないわたしを見て、ゆっくりと、勝ち誇ったように笑う。

 ああ?

 ああって、意識の端っこだけがきょろきょろしている。

「いつまでも止まってると、昼休み終わるよ」

 壇上から飛び降りて、楽しそうに歩き出していく小倉を、わたしはまだ追えない。

 五秒よりもっと、ずっと、深く時間を握りしめられて。

「ば」

 ざぁっと、風が来たように、ようやく時間が戻ってくる。

 時は血と共に滾り、離れる背中に向けてぼっぼっぼと火の粉を噴いて。

 今時間を止めたら、五秒の間に一人で燃え尽きて死ぬなと予感するくらいで。

 それは寂しいからせめて、みんなと同じ時間の中で死ぬことにした。

 時が、爆発する。

「ばかかおまえー!」

 ばたばた追いかけると、小倉まで走り出す。

 今度は時間を加速させる方法でも願うことになりそうだった。

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