『8歳と9歳と10歳と、12歳と13歳に』【再掲載】

 ※この作品は「入間の間」に過去掲載された小説の再掲載になります。



『その1』


「今回はヤシロ様サンタが来てやったぞ」

「ほぅ」

 二階から降りてきたヤシロが腰に手を当ててえへんえへんと胸を張る。

 こたつに入ったまま振り向いて、「ん?」と首を傾げた。

「サンタはいいがその格好はなんだ」

「む?」

 トナカイの皮膚、もとい服の腹部分をヤシロが引っ張る。

 今日はパンダじゃなくてトナカイパジャマのご登場である。

 反応から見るにどうも勘違いしているようだ。

「サンタはこっちの人ね」

 適当に雑誌に載っていた具体例を指差す。ソリ引く方じゃなくて、乗る方。

「おおこっちか」

 ヤシロがほぅほぅと頷く。今まで気づいてなかったのか。

 トナカイの格好だから当然、サンタの一番大事なプレゼント袋も担いでいない。

 いつものただ飯ぐらいそのままであった。

「ちょっと待っていろ」

 とててーとヤシロが廊下に走っていく。そしてすぐ戻ってくると、格好はそのままにヒゲだけふさーっと生やしてきた。ヒゲも髪同様に白銀だ。きらきらしているし、ふっさりしている。というか顎どころか顔の下半分を覆うように茂っているので、ヒゲというか髪の毛が下からも生えているようにしか見えない。

「どうだ」

「さらさらですね」

 触ってみる。長すぎてやはりヒゲというより髪の毛だ。まぁこれぐらいは瞬時に生えても驚かなくなっていた。うちにはもっと凄いのいるし。で、サラサラヒゲのヤシロがうろうろする。ヒゲから真白い煌めきを放ちつつこたつの周りをぐるぐるする。

「なにしてんだサンタ」

「小さいのはどこ行った」

「娘なら台所にみかん取りに行ったよ」

 丁度足音が聞こえるので戻ってきたようだ。うるさいのと一緒に。

 ちなみにエリちゃんは今、その台所でカレーを作っている。うちのクリスマスは毎年カレーだ。娘が肉を好まないので野菜中心のカレーだけど。

「あ、ヤチートナカイだー」

 みかんを載せたお盆を持った娘がヤシロを見てにっこりする。

 その後ろには「キャキャッキュ」と奇声をあげる女々たん(50)がいた。

 娘の行くところには必ずついて回るのである。

「サンタだぞ」

「どこがー?」

「ほれほれ」

 ヤシロがヒゲを主張する。横から見ると顔がほとんど埋まって毛玉である。

 教育番組のマスコットキャラクターにこんなのいた気がする。

「うそだー。ヤチーはほんもののサンタさんじゃありませーん」

「なにをぅ」

「じゃーねー、わたしのほしーものあててみて」

 娘がヤシロを試すように言う。

「ほんとのサンタさんにはおてがみかいたもん」

「むむ。まてまて、今超能力で透視するから」

「ねー」

 娘がこっちに笑顔を向けてくる。なんと可愛らしい。

「ねー。楽しみだから今日は早めに寝ようね」

「くくくー」

 すっかり悪い笑い声が癖になってしまった。これはこれで愛らしいけど。

 そしてクリスマスプレゼントを聞き出すのに今年は苦労したのだが、それは別のお話。

「ヤチー、みかんたべよー」

「わー」

 こたつに入った娘が誘うと、ヤシロがサンタの役目をあっさり放棄する。超能力はどうした。こたつ布団に潜り込んだヤシロが娘の膝の上に収まる。それを見て娘がみかんの皮をむきむき。

「ほーらやちー、おいしーみかんですよー」

「うむうむ」

 娘が皮を剥いたみかんをヤシロの口に運び、むぐむぐ食べさせている。

 トナカイの餌付けとはあまり見ない構図だ。

「ふふふ、分かったぞ。欲しいものはみかんだな」

「それはヤチーだぞ」

「クックック」

 まぁどっちも楽しそうなのでよし。

 で。

「……なんで俺の膝の上で丸くなってんの」

 聞くと猫の鳴き真似を披露してきた。気味悪いほど似ている。

 しかもフーッ、と毛を派手に逆立てて引っ掻いてきた。地味に人間離れしているが、これぐらいではやはり驚かなくなっていた。ていうか重い。ていうか邪魔。更に無視してみかんの皮を剥くと勝手にかじりつく始末である。なんだこの躾のできていない猫は。

 娘の膝の上にいるやつはみかんさえ与えれば大人しくしているので交換してほしい。

「フナーゴ、ナーゴナーゴ」

「ヒゲを抜こうとしないでください」

 そうやって暴れている最中、ふとしたときにカレーの匂いが鼻をくすぐる。

 我が家のクリスマスを感じた。



『その2』


「麻衣サンタさん、なにか下さい」

「は?」

 ベッドの端に座っていたナメクジが、耳を疑いながら顔を上げる。

 同じくホテルの一室に住む猪狩友梨乃が、童女のような笑みで催促の手を広げていた。

 気が触れたのだろうと思い、ナメクジは素知らぬ顔で聞き流そうとする。

「麻衣サンタさーん」

 知らない人が呼ばれているので無視した。

「普通の麻衣さんでもいいですから」

「……いいですの意味が分からない」

 正面へ回り込んできた猪狩友梨乃に嘆息する。猪狩友梨乃は微笑んだままだ。

「ぼぅっとしてましたけど、なにか考えてました?」

「別に」

 巣鴨は今頃、あの少年の元にいるのだろうかと考えていた。

 纏めて突き殺したいとも、考えていた。

「というわけでなんでもいいのでください」

「嫌だ」

 ナメクジは一考を挟まずに突っぱねる。猪狩友梨乃も反応は予想していたのか、膨れる様子もなく笑っていた。ナメクジはその表情が気に入らず、より頑なであるようにそっぽを向く。

 大体、今のナメクジに渡せるものなどなかった。金もなければ物もないのだ。

「麻衣さんはサンタっていつまで信じてました?」

「サンタは……10歳ぐらいまで」

 話ながら指折り数えようと反応したのは右肩だった。

 それに気づいたナメクジが、無言ながら沈む。

「普通でコメントに困りますね」

「別になにも言わなくていいけど」

 肌寒さを感じるように、ナメクジがベッドに載せた足を抱き寄せる。

 片膝を抱くようにして、顎をその上に載せる。目の上に陰がかかるようだった。

「じゃあ、今なにか欲しいものありますか?」

「右手」

 ナメクジが肩の荷を取り分け感じるように、重々しく吐き出す。

「右手が欲しい」

 適応したからといっても受け入れたわけではない。

 戻るのなら、切望する。

「はい」

 猪狩友梨乃がナメクジへ右手を差し出す。

 握手を求めるような手つきを見下ろして、ナメクジが目もとを険しくする。

「喧嘩売ってるのか」

「機能するなら、麻衣さんに右手を譲っても構わないと思っていますよ」

 猪狩友梨乃が、そこにないナメクジの右手を撫でるように指先を動かした。

「その右手で私を守って頂けるなら、ですけど」

 むしろそれを望むように右手のひらをさらけ出す。

 ナメクジは猪狩友梨乃の右手を見る。ほっそりと、のっぺりとした手のひらが微かに色づいている。自分の右手はこんな頼りなく見えただろうか。手の甲は薄く、少し力を込めれば割れるようで。思い返し、右腕を失ったときの感触をつい、再燃させてしまう。

 ナメクジの喉が震える。乾いた空気に噎せそうになる。

 伏せた瞳と肌に触れる睫毛も、カラカラに乾ききっていた。

「いるか、そんなもの」

「ですよね」

 猪狩友梨乃がナメクジの隣に座り込む。そしてナメクジがそれに文句を言うより早く、その右手がナメクジの左手を取る。ナメクジが僅かに驚きながら顔を上げて、そして眉間に皺を寄せる。

「握るな」

「いいじゃないですか」

「なにが」

「麻衣さんって意固地になると言葉が短くなりますよね」

「話を聞け」

「聞きましょう、なんでも話してください」

 猪狩友梨乃が包容力でも示すように、得意げに胸を張る。

 そうした態度を見ているとナメクジは毒気が抜けて、純粋に尖る。

 呆れてものも言えないという心境に近い。

 手を振りほどくことなく、ナメクジが目を瞑る。

 暗闇に熱が残る。

 遠くに感じるその熱を追うと、左手さえ切り離されていくように感じた。



『その3』


『やっほー』

「はい?」

『誰でしょう』

「ああ、あなた様ですか。あなた様ほどのお方が珍しい」

『嘘つけ。分かってないだろ』

「いや分かってる。多分、そうなんじゃないかって」

『そうなの? ならいいけど』

「うん……ところで、どこからかけているのかな」

『秘密。まぁクリスマスだから』

「ああ、クリスマスだから……どっちかというと、お盆の方が似合いそうだけど」

『あんたは? 家じゃないでしょう?』

「寂れた商店街の端っこにある公衆電話。最近は外の電話も撤去されて、滅多にないよ」

『ふぅん。そういう世の中なのね』

「そういうもの。一家に一台、下駄箱に電話って時代でもなくなったし」

『あらあら』

「……あのですね」

『なに?』

「僕はね、物事が思い通りにいかないと知っているんだ」

『うん』

「今までそんなことしかなかったんだ。毎年、ずっと」

『うん』

「だからこの電話も……望んでいることじゃないと思っている」

『………………………………………』

「望んでいないから、いつまでも続くんじゃないかって……そんなことも思う」

『……それは、運が良かったわ。そんなことあり得ないもの』

「なら、いいんだ」

『そう。それでいいのよ』

「そうだよね」

『ご飯は食べた?』

「今から」

『そう。寒くない?』

「めっちゃ寒い。夜だし、電話ボックスもないし」

『風邪引かないようにね』

「……ずびび」

『もう引いてんじゃねえよ』

「いやまぁははは」

『心配になるわ』

「心配してくれるんだ」

『当たり前よ。……しっかりやっていけそう?』

「多分」

『本当に?』

「うん。これはきっと、嘘じゃないから」

『……立派になったわね』

「いやぁ……」

『きっと、見たらもっとそう思うわ』

「……ずび」

『早く風邪治しなさい』

「……あ」

『どうかした?』

「雪が降ってきた」

『へぇ、そっちはそうなの』

「どっちにいるんだい?」

『あんたもその内分かるわ』

「そっか……見ろよママン、クリスマスの雪は温かい……」

『ごめーん、土の下だとそういうのわかんなーい』

「……台無しだ」

 しかも少し笑っている間に電話が切れる。待ってみても、もう繋がらなかった。

 なんだったのだろう。贈り物か、ただの悪戯か。

 聞いた記憶さえないようなその声を、母親と思ってしまうなんて。

 今や数少なくなった公衆電話の受話器を置いて、使った記憶もないテレホンカードを引っこ抜く。使用済みと穴の開いたその絵柄は季節に相応しいトナカイが駆け巡っていた。

 空を仰ぐ。厚塗りの雲が夜を埋める。

 大粒の雪が綿毛のように降り、街灯も遠いのに淡い光が混じるようだった。

 雪が顔に降りかかる。差し出す手のひらに乗りかかる。

 その温度差に、身を震わせた。

「ほら、やっぱり……」

 僕が雪より冷たいから。

 だから、凍りつくようなその結晶さえも。

 握りこぶしを作る。

 大きく、鼻をすする。

 この雪の温かさを、八歳と九歳と十歳と、十二歳と十三歳のぼくに捧ぐ。

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