『少女妄想中。「それぞれが、そのあとを」』【再掲載】
※この作品は「入間の間」に過去掲載された小説の再掲載になります。
「そろそろあっちゃんのあだ名も更新の時期かな」
がたごと車両の中であっても、彼女の声は鮮明に届く。わたしの耳や心は常に、その声を聞き逃さないようにと一生懸命なのだろうと思った。それはさておき、なんの話だろう。
あだ名って免許みたいに更新しないといけなかったのか。知らなかった。
「そもそもあっちゃんというあだ名自体が初耳ですが」
「あははは」
彼女が爽やかに笑う。清涼。彼女から来るイメージは常にそこで固定される。それは夏の地下を移動する中でも、出所の分からない涼やかなものをわたしに与えてくるほどだった。
「摂津さんって呼ぶのもそろそろ味気ないかと。あ、名字をばかにしてるわけじゃないよ」
「うん。あだ名かぁ……」
「昔は友達になんて呼ばれてたの?」
「せっちゃんとか」
「そのままー」
彼女が肩を揺すった。
「後は、アオ」
今、ここには見えない色を口にする。
こっちもそのままだった。
彼女が少し考えてから、安直な正解に辿り着く。
「青乃だからアオ」
「そう。青色好きだったのもあるけど」
「アオってなかなかいいね。私も呼んでいい?」
彼女が気軽に提案してきた。視界を髪が覆うように、一瞬、暗いものが舞う。
「んー……」
私の反応を見て、彼女が曖昧に、様子を窺うように笑った。
「あ、嫌だった?」
頭を振る。
「嫌じゃないけど。でもその呼び方は、その友達にあげたものだから」
しっかりと話もしないで別れたことからの罪悪感だろうか?
そんなことを言ってしまう。でもあの子の怒った顔を思い出せば、すぐに分かる。
他の人に呼ばせたらきっと、顔をしかめて嫌がるだろう。
「むぅ」
彼女は面白くなさそうだった。露骨だった。唇と目の端が尖っていた。なかなかかわいい。
「あ、やきもち?」
「そうだって言ったらなにしてくれる?」
「肩揉みましょうか」
「考えとく。さてと、せっちゃんとアオ以外か。ちょっと難度高いな」
「あっちゃんは?」
「却下。あ、そうだ。そっちも私のあだ名考えて」
なかよしなかよしー、と彼女が冗談めかして肘で突っついてくる。そうだなぁと少し悩む。
「清涼さん」
「なんですかそれ」
「そんなイメージなので」
すっきりして、ひんやりして。でもその温度が私には心地よくて。
いつだって、いつまでも、触れていたい。
「摂津さんもそういうイメージだよ」
「そうかな」
人には、いつも必死に駆け巡ってるってよく言われた。あまり爽やかには思えない。
「おっと。摂津さん(暫定)もそういうイメージだよ」
「なんで言い直したの……」
「電車が着くまでにあだ名が決まるからです。むむむ」
つり革から手を離し、本格的に腕組みまでして熟考し出した彼女を微笑ましく見守る。
何度目かの彼女との夏、電車の中でそんな話をする。
今はまだ暗がりで、息が詰まりそうで。無言で一緒に揺れていると、どこか夢心地だ。
でもきっと、電車の着いた先にも青空が見える。
いつかも、今も、これからもその空の下を駆けていこう。
今日は会社に遅刻しそうだから、特に。
今日も快晴だった。多分、百日くらい連続で。
しかし夢の国なので水不足というものとは無縁なのであった。
「ばんじゃーい」
ベッドの端に座りながら、今日はなにをしようと考える。昨日はなにをしていただろうと、一度ゆっくり思い出さないとすぐにでも忘れてしまいそうだった。
昨日までの自分が一切なくなるというのも、少し寂しい。
それでも生きていけるというのは、もっと悲しい。
だから私は毎朝、一つずつ確認していく。昨日はああした、こうした。なにを思ったかまで丁寧に拾い上げて揃えていく。そうすると、柔軟体操のように身体がほぐれていくのを感じる。
そうしてから、窓の向こうのけたたましいような輝きに目が眩む。
何百回、何千回、それとも何億回か思ったけど、今日だってまた思う。
「良い空だ」
惹かれて出かけることにした。鞄を持たないで、いつものように制服で家を出た。
通学路を外れて海沿いの道に足が逸れる。最近は海へ向かう頻度が増えていた。町の中でよく行く場所がいくつか改装中なので、終わるまでは少しばかり退屈で。そんなときは、海だ。
テトラポットの行列の上に人影はない。声もなく、潮を含んだ風を吸い込んだ。
やってきた砂浜に独り、座る。手を握り合った隣の相手はもういない。
あれ以来、シロネを見かけることはなくなった。どれくらいの時間が流れたのか、ここでは分からないけれど随分と出会っていない感覚はあった。もう来ないのかもしれない。
外でなにかを見つけられたのだろうか。夢を越えた先で、確かな現実を。
僅かばかり寂しく、けれど、そう願わずにはいられない。
どうか、夢のように満ち足りた毎日を生きてほしい。
わたしも生きる。夢を見る者に忘れ去られた、夢の海で。
「……また、あの子に会えるかなぁ」
泳いで帰ってきたときに出会った、あの女の子に。
そんなことを期待して、海でぼんやりと過ごす。
波が寄せては、引いていく。
夢の中で出会ったものが消えていく。
友人。
彼女の体温。
夢。
「……いや」
夢は消えない。一度生まれたものは決して、なかったことにならない。
たとえ、目を瞑ったとしても世界はわたしと共にあった。
「私は叔母さんの彼女でいいんでしょうか」
「あん?」
こたつ布団を奥から出してきた叔母が、怪訝な顔でこちらを見た。
叔母は11月が始まるやいなや、いそいそとこたつの用意に着手していた。
叔母曰く、11月は冬。叔母の秋は短い。
「急にどうしたの」
「いえ、関係性というものを改めて意識してみたんですけど……」
口にしてみても思ったほど恥ずかしくはなかった。
「それでいいんじゃない」
答えながら、叔母がこたつ布団に足を入れた。軽いなぁ。
でも「ほら」と叔母が布団の隣側を自然にめくってくれたことが嬉しくて、他は忘れた。そそくさと飛び込むと、叔母がにやーっとしながら私を見ていた。
「なんですか」
「いや、犬みたいだなと思った」
「む」
犬扱いでいい気はしない。でも、叔母が嬉しそうなので複雑な気持ちになる。犬が好きなのかもしれない。
「犬とか飼ってたことあるんですか?」
「ないよ、あいつら寿命が短いもの。別れは苦手」
叔母が目を瞑る。軽く息を吐いて、またすぐに開いた。
瞳に宿るものを覗こうとしても、どこか視線が遠い。
「別れるの得意な人っているんでしょうか」
「いるよ」
叔母がさらりと言ってのけながらテレビの電源を入れる。いるのか、と思った。世の中は広い。その中で叔母もこれまでにたくさんの人と出会ってきたのだろうと想像する。
……たくさんの人か。
テレビを観ていても、ほとんど情報は入ってこなかった。
「叔母さんって、なんというか」
「なんちゅーか?」
「女性に人気とかあったんですか?」
少し言葉を選んで尋ねてみた。言葉を少し噛み砕くと、女にモテたのかと聞いたのである。
ちょっと、気になった。
「あんたが聞きたいことの意味でいうと、全然」
叔母も質問の意図はすぐに察したようだった。それから頬杖をついて自嘲めいた物言いになる。
「初恋も実らなかったよ」
叔母が最初に好きになった人。多分、女性だったんじゃないかと思う。
私の初恋の相手が叔母であったように。
「どんな人だったんですか?」
少しばかりの棘みたいなものが隠しきれない声だった。叔母が、私以外を好きになることへの嫉妬、興味、勝ちたいという想い。色んな感情が混じっての質問だった。
叔母が横目でこちらを向く。その瞳に見つめられる度、胸に宿るものがある。
罪と高揚。矛盾した感情が花火のように咲いては散る。
「聞きたいの? そんなこと」
「それは、もちろん」
深々頷く。ついでとばかりに、叔母の左手に手を重ねた。
だって、今の叔母の隣にいる私を認めたいから。
今を築き上げた過去を、受け入れる。
「叔母さんのことで知りたくないことなんて……えぇっと、実は私が嫌い、とかそういうことくらいですけど」
さすがにそれは聞きたくない。そんなことないと、信じたい。
叔母が口もとを緩ませて、肩を落とす。そうして、穏やかに言う。
「あんたは前向きね。そういうとこ、いい」
「え、あ……光栄です」
「……じゃあ、今日はそういう話でもしようか」
「……はいっ、お願いします」
叔母と話したいことはたくさんあるし、これからもっと増えていく。
一緒に生きるとはそういうことであってほしい。
そう思った。
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