『ねことほし・後編』【再掲載】

※この作品は「入間の間」に過去掲載された小説の再掲載になります。



「わぁ、ねこ? だぁ」

「猫ちゃん? ねぇ」

 紹介されたそれは皆様の笑顔に疑問符のくっつく存在だった。

 猫と判断できるぎりぎりの輪郭と色合い、そして外見である。猫っぽいんだけど、こう、線がいい加減にすぎる。太い部分があったり、繋がっているのか怪しいくらい適当だったり。

 クレヨンで力強く押したような線が目立つので、うん、まぁ、怪しい。

「二日だけ泊まりたいんだってさ」

 紹介された長田君は全員を一瞥してから尻尾らしきものを左右に振る。

「やちーのともだち?」

「いや全然」

 食卓に収まりながらヤシロが即否定する。「ふーん」と言いつつ、娘の目は好奇心に輝く。

「イトコがまた変なのを拾ってきた」

 一方、見た目変なのはぷんぷんしている。

「またってなによ」

「ん」

 これ、とエリオが変なのを指差す。変なのはぺたこんぺたこんとご飯を盛る手を止めて、「む?」とこちらを見た。こいつは勝手に居着いただけなのに。変なのは少し固まっていたが、ご飯の山を整えててってこと席に戻っていった。こいつがいること前提で食事の量が計算されているのも考えてみると妙な話である。

 そのヤシロが「んまいんまい」と誰も待たずに食べ始めるのを、ぼけーっと見届ける。

「うちはイトコを飼うのでていっぱいです。返してらっしゃい」

「ほぅ」

 頬を手で包んでむにょむにょ潰す。「ほほふー」となに言っているのか分からないので緩める。

「とーわ家のリーダーはこのエリオさんだし。リーダーの言うことを聞きなさい」

「リーダーだったの」

 つもりだったの。頬を左右から押してみると、「そうよ」と潰れたまま得意げに答えてきた。

「というか藤和家ってお前……いやまぁいいんだけど」

 ここが藤和の家であることは間違いない。脱力しつつ、いつもの席に座る。

「長田君はご飯食べるのかな?」

「む?」

 ヤシロが箸を片手にてってこ走って、ごにょごにょと長田君と話し込む。

 友達ではないのに、妙に協力的だ。……なにか貰ったのかな?

 話し終えたヤシロがこっちに言う。

「食べても消化できないそうだ」

「そ、そうなの」

「んむ」

 長田君が、話は終わったとばかりに去って行く。廊下をぺたぺた歩く音がして、それから玄関の戸を開ける音が聞こえた。どうやって開けたのだろう、と思いつつ回り込んできた長田君が、言ったとおりに庭に転がる。物干し竿の下で丸くなる長田君は、少し猫に見えた。

「地球の環境に適応できていないのだな、古いから」

「ふぅん……」

 さらっと宇宙から来たように言い出した。いや、まぁ、地球にあんな猫はいないけど。

「わたしには環境などなんの問題にもならないがな。クックック」

 口いっぱいに頬張りながら、ただ飯喰らいの居候が勝ち誇る。

 どうでもいいが、食べながら淀みなく喋るな。どこから声を出しているんだろう。

 それから何事もなかったように朝ご飯を取り、そして。

 長田君がさっそく、娘の襲撃に遭っていた。

 娘にてってこ追いかけられた長田君が、やる気なさそうに逃げ回っている。実際のところ、外見が雑なので、やる気を推し量るのは大変に難しい。足の動きが前後に適当だし。ただのたくた逃げている雰囲気がヤシロにどこか通じるものがあるので、多分本気で逃げてはいないのだろう。

 実際、庭を二周したあたりで長田君は娘に捕まった。娘に抱えられた長田君は抵抗もしない。長田君は噛んだりしないだろうかと少しだけ心配になったけど、口がどこにあるのか正確に分からないので注目しづらい。娘が庭にいるエリちゃんの側へと走っていく。

 ちなみに女々たんは定休日でもないのでよよよと泣きながら仕事に行きました。

「もっちゃもっちゃ」

 一方、それを眺める居間には俺とヤシロがいた。転がってなにか咀嚼している。日だまりに転がるこちらの方が仕草は猫っぽい。

「なに食ってんの」

「角砂糖」

 ごくんと飲みこんでから、ぐてぇっとさらにだらしなくなる。ほっといたらそのまま寝るだろう。一日十二時間は寝る、子猫の如く。

「そもそもなんでうちに泊まろうと思ったんだろう」

「別のウチュージンが住んでいるしここなら安全かと思ったそうだ」

 砂糖がなくなって口寂しそうにしているヤシロが、もごもごと答える。

「ほぅ、この家に宇宙人がいるのか」

 誰だろう。心当たりがたくさんだ。

「クックック」

 頬が溶けるように潰れている。こいつの親族らしきものが以前に訪ねてきて話していたが、こいつは上から三番目くらいの怠け者らしい。……外れを掴まされたんじゃないだろうか。

 あぐらをかいた足に肘を突き、前屈みになりながら庭を眺める。今は娘と長田君が揃って、エリちゃんの足に猫パンチを繰り出していた。そのエリちゃんはお絵かきで簀巻きにされていたのを気にしてか、本人なりに格好良いと判断したと思しきポーズを取って立ち向かっている。

 今はウ○トラマンの登場シーンのポーズに酷似していた。

「裏のお婆さんにそれとなく聞いてみたけど、猫は飼ってないみたいだな」

 近所の長田さんは関係ないらしい。だから分かってはいるが、偽名なんだろう。

「一体どこから来たのやら」

 聞いてるかとヤシロを一瞥する。ヤシロは片目だけを開けて答える。

「滅んだどこかの星から来たと言っていた」

「……そうなのか」

 もう宇宙から来たことを隠しもしないな。

「星がなくなってからはふらふらと歩いて回っているそうだ。他の星の環境には馴染めないので、長くはいられないようだが」

 娘に抱っこされている長田君の表情からは、悲喜どちらも窺えない。

「流れか……」

 最近、ふとしたときに振り返って感じるものだった。

 どうして自分は今周りにいる人と出会ったのだろうって、一個ずつ考える時がある。布団の中で振り返ると半分も終わらない間に眠ってしまうのだけど、ここに至るまでにそんなにたくさんあったんだなと思ってしまう。

 なにも変わらないような気がしていて、けれども時間と周囲は流れている。

 この見た目と行動のまるで変わらない居候も、多分、少しは。

「お前はどうなんだ?」

 この星に留まる理由はなんだろう。そんなものがあるのかと問う。

 いつかこの星が、人が、小さな家が失われたとき、ヤシロもまた旅人になるのだろうか。

「わたし? わたしは……」

 潰れていた頬が少し固形化したヤシロが、身を起こす。

 庭で戯れる娘と長田君を見つめながら、その深く青い瞳が光る。

「内緒だ」

 秘密なのだ、と悪そうな笑顔で言う。こいつがはっきりしないときは、大体決まっている。

「……お前、なにしにここに来たのか忘れてない?」

 ぴたっと一瞬止まる。

「クックック」

 忘れてそうだった。



 そして長田君は一晩泊まって、翌日の夕方にこの家を去って行った。

 二晩よりやや短いけれどヤシロ曰く、『夜の方が目立たないで動きやすいから』らしい。

 どこに行くんだろうと、その不安になる後ろ姿を見送った。

「でもしかしいやぁ立派だなぁ。なし崩しに居着かないでちゃんと去ったよ」

「んむんむ」

 分かってないのが横で頷いている。

「おお、そうだそうだ」

 ヤシロが思い出したように、パジャマのポケットを漁る。

「これと貴重な菓子を交換してくれ」

 ささっと小石を差し出してくる。手のひらに負けないくらい、真っ白い石だった。

「なんだこれ」

「長田君に貰った、貴重な石だ」

「石……?」

 数日前に見かけた、隕石に関するテレビ番組を思い出す。

「そう来たか」

 長田君に協力的だったことについても合点がいった。石を摘むように手に取る。

 触り心地は滑らかなものだった。

「で、この石本当に貴重なのか?」

 鉱物は専門外なので、手に取ってみても河原の石と区別がつかない。

「四万年ほど前に滅んだ自星の石だそうだ」

「スーパー貴重だな」

 本当ならだけど。専門に研究している連中に見せたら、驚きの結果が出るかも知れない。

 でも、出所を詳しく尋ねられると困るな。説明して納得して貰える自信がない。

「お菓子お菓子」

 はよはよと子パンダが飛び跳ねる。物々交換は既に成立済みらしい。

「うーん……」

 取りあえず、貰ってはおくか。

 そういうわけで、近所のスーパーでややお高めのバームクーヘンを買ってやる。

 で、帰る途中でもう食べ始める。

「んまいんまいんまい」

 いつもより一個増えた。分かりやすい感想である。

「んまんま」

 一緒に食べる娘も真似する。本当はこんな時間におやつ食べると、エリちゃんが怒る。

「んー……まぁいいか、いいやな」

 かわいいし、うちの娘。頭を撫でて色々ごまかした。

「んまいんま……もうなくなった」

 テカテカしている指先を見つめながら、ヤシロがしょんぼりする。それから、ちょいっと、道の端の小石を拾う。そして期待に目をキラキラさせて聞いてくる。

「この石ではだめか?」

「だめ」

「うーむ、難しい」

 そっと石を戻す。隣に戻ってきてから、首を捻る。

「なぜだめなのだ?」

「人間は手に届かないようなものが好きなのさ」

 物質しかり、人間関係しかり、夢しかり。遠くのものを欲しがる。

 遠いものの方がはっきり見えないから、かえって、綺麗に見えるのかもしれない。

 まぁうちの娘は近くで見ても超かわいいけどね。

「あっはっは」

「ふむふむ」

 ヤシロが何事か頷いて、ついでに汚れた指をパジャマで拭う。

「こら」

「今度、別の星の石でも拾ってくるか」

 うむうむ、とヤシロがさらりと凄い予定を立てる。

 確かに遠いけど、とまだ夜が少し遠い空を見上げる。

 仮に拾ってきても、近所の小石と区別がつかないなぁと思う。

 詐欺に遭ってないか、俺。

「……はは」

 こっちに来てから嘘みたいな毎日なのは、確かだな。

 それはもう少し、続いていくのだろう。

 続いてほしい、と遠くを見つめながら願う。

 ありふれた休日の一つに、そんなことがあった。

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