『happy birthday』【再掲載】
※この作品は「入間の間」に過去掲載された小説の再掲載になります。
その①
生まれたことを祝えるというのは、幸いである。
だって、生き物はいつか必ず死ぬ呪いにかかっているから。
それでも生きていこうと思えるのは、とても素晴らしいことなのだ。
みたいなことが、なにかに書いてあった。
その日、朝だったか昼だったか……よく分からないけど、起きたら誕生日を祝われた。いつものようにちょいと猫風味のあだ名で彼女に呼ばれて、諸手を無邪気に上げたままお祝いされた。えー、誕生日だったの? と尋ねたらとぼけていると思われたらしく笑われてしまった。
嫌なことをたくさん忘れてしまったように、ただ微笑ましく。
ちょーかわいい。抱きつくというかタックルで胴を持っていかれて若干吐き気を催しながららぶらぶちゅっちゅとかした。したと思う。歯ががつがつ当たったのでらぶだった。
外は雪が降っている気もするし、少し後に見たら梅雨時の雨が降っているようにも見えた。なにかが窓の外を動いているけれど、首を伸ばしてもどうにも判然としない。目の端も微睡むように緩慢に揺れていて、夢心地と言えばいいのか、それとも寝ぼけているのか。
彼女がお祝いのケーキを用意して、差し出してくれた。以前に貰ったチョコレートみたいに粘ついてはいなかった。さすがに今作ったらしい。フォークを貰って、切り分けて口に運ぶ。
甘い。と思う。でも苦いと思えば苦くなるし、固いと思えば石のように歯の間で留まる。不思議な味わいだった。
おいしいと聞かれたのでおいしいと勿論答える。それはいいけど、ちょっと、量が多い。
これ全部ぼくが食べるの?
えへーとはにかんできた。
えへーと答えるほかなかった。
そんなわけで、すごく楽しかったし嬉しかった。
誕生日を嬉しいと思ったことは、本当に、思い出にない。
だからこんなに都合良くあるのはどうにも怪しくて。
感情が真っ直ぐなことが、信じられなくて。
夢かもしれないけれど、見えているものが現実か確かめる気も起きない。
どっちでもいいのだ。
心はどちらにも開かれているのだから。
ただ、今起きていることを受け入れるだけだ。
生まれたことを祝ってもらえるというのは、幸せである。
いつか必ず死ぬという呪いと共に、生きていけるのだから。
その②
いつものように自転車をキコキコしていて、ふと気づく。
そういえば、しまむらの誕生日っていつだっけ?
なにか大きな忘れ物を思い出したように、その場で振り向いてしまう。もちろん帰り道、自分の家の近くにしまむらの姿はない。気づいてしまったけれど、どうしようと悩む。
その場に止まって少し考える。
そして足を下ろして、バッタのように飛び跳ねて自転車と一緒に向きを変える。
明日に延ばすと夜眠れなくなることうけあいなので、今からお祝いに行くことにした。
しまむらの家へ向かっている間に、日は半ば沈んで夜が目を覚ましていた。暗闇を吸い込んだ空気は冬を真似るように冷たい。冬が訪れようとしていた。
しまむらは布団から出てきてくれるだろうか、とそれが今から心配だ。
しまむら家に着く。窓から漏れる灯りに目が動く。眺めつつ、電話を取った。
「もしもし、しまむら?」
呼び鈴があるのに、どうして電話をかけたのだろうと話ながら思った。
『はいもし』
「今、家の前にいるのだけど」
『え、なになに? まぁいっか、ちょっと待ってて』
「うん」
電話を切る。少し胸元に抱いてじっとしてから、顔を上げてしまむらを待った。
「安達はほんといきなりちゃんだなぁ」
しまむらが出てくる。もう制服ではなかった。それから一緒に小さいのも二人出てくる。しまむら妹と、あのちょっと変な髪の色の子だ。三人とも同じ揚げせんべいをぽりぽりしていた。姿勢もほとんど一緒で、そうしていると毛並みの違う子まで姉妹みたいだ。予想外の人数に戸惑う。
「こ、こんばんは」
「はいこんばんは。さっきまで一緒に帰ってたのに」
変なの、としまむらがせんべいをぽりぽりする。変か。変って言われてばかりだ。
気後れしつつも、用件を伝える。
「今から、その、誕生日のお祝いしていい?」
「はい?」
いきなりなんでしょうか? としまむらが目を丸くする。よく見る表情だった。
私は大概、唐突なんだろうきっと。
もっと理路整然としていたい。
「今年の誕生日、その、忘れてたから」
「あーそっか。誕生日四月だもんね。わたしも忘れてた」
「えっ」
「なに言ってんの、お祝いしてあげたでしょ」
しまむら妹が姉のシャツを引っ張る。「そだっけ」としまむらが首を傾げると、妹が膨れてしまう。「あーはいはい、あったあった」としまむらが取り繕うと、「うそつけ」と間髪入れずに見透かした。いやはは、としまむらが笑ってごまかす。
「あったよねぇ」
しまむらが変な色の髪の子に同意を求めると、「存じませんぞ」と意外に冷静だった。それから「おひとつどーぞ」と、揚げせんべいを私に差し出してきた。見るとお菓子の袋を大事そうに抱えている。みんなに配っているのだろうか。
「ど、どうも」
受け取ると、にこーっと人懐っこい笑顔を浮かべた。……どう反応すればいいのか、困る。
子供の相手は苦手だった。
というか、人を相手にすること全般が向いていない自覚はあった。
「で、お祝いってなにするの?」
しまむらが揚げせんべいを食べ終えて、指を拭きながら尋ねてくる。
「えぇと……」
思い立ってそのまま来たので贈り物の一つもない。どうしよう。
「お、おめでとうっ」
「どうも」
へこへこする。取りあえず、祝うことはできた。……プレゼントはまた、明日贈ろう。
「終わり?」
「う、うん」
それじゃあ、と
「暇なら晩ご飯食べていく? 父さんが帰ってくるまで待たないといけないけど」
「え? あ、うん……うん」
みんなとご飯、なんて本当に落ち着かないだろうけどしまむらと長くいたいのでつい、頷いてしまう。「じゃあおいで」と手招きされて、犬みたいに扱われていないかと思いつつも続いた。
玄関で靴を脱いでいると、しまむら妹が私をやや険しい顔で見ていた。どうしよう、挨拶した方がいいのか。
「こ、こんばんは」
固く挨拶すると、小さく頭を下げてきた。そしてすぐ姉の後を追っていた。
……慣れない、お互いに。
居間に向かうと、しまむら母がくつろいでいた。テレビに向かってがははと笑っている。
「そういうわけで今日は誕生日になったから」
「はぁ? 誕生したの、そりゃ凄い」
しまむら母はまったく無関心そうに拍手する。それから後ろに控える私を見て「あらいらっしゃい」と柔和な顔つきとなる。表情の緩め方がしまむらとよく似ていた。
「こんな時間に遊びに来たの?」
「誕生日を祝い忘れたから来てくれたんだってさ」
「面白い子ねぇ」
しまむら母が屈託なく歯を見せて笑いながら肩を揺する。こちらはそれを受けて恥じる。
大人は変な子とは言わないで、少し気を遣ってくれるらしい。
「そうか誕生日か。じゃああんたの大好物作ったげる」
「なになに?」
「ママの自家製卵焼き」
「そっすね」
「食べたときにむせび泣く準備しといてね」
しまむら母が立ち上がり、入れ替わりにしまむらが座る。そしてしまむら妹が、しまむらの足の間にさっさと座ってしまう。ああ、と思わず声が漏れそうになった。
しまむら妹が私を見上げて、目を細めている。当然でしょとばかりに。
うぅう、と相手が相手だけになにも言えず、大人しくしまむらの隣に座った。
「ではわたしはしまむらさんの頭に」
よじよじよじ、と変な髪の子が肩から頭へと器用に上っていく。頭? と疑問を抱いていると本当にしまむらの頭の上に収まった。ひっついて、落ち着いてしまう。
「重くないの?」
「不思議と重さを感じない」
薄い水色の髪が一房垂れて、しまむらを着飾る。発光するほどの輝きが、頬を満たした。
「それより暑いよ」
みんなくっついてさ、としまむらが苦笑する。
「おたんじょーびおめでとうですぞしまむらさん」
頭の上でばたばたしながら、変な子がお祝いする。しまむらは上を向き、小さく笑う。
「ありがとね」
「今日はごちそうですか?」
「卵焼き好きでしょ」
わー、と変な髪の子が万歳する。手を離してもなぜかずり落ちない。
「さて続いてほら」
しまむら妹の背中を、しまむらがつつく。しまむら妹が、むぅっと振り向く。
「そういうのキョーヨーするの、ださいと思う」
「ナウいよ」
返し方が意味不明だった。
「前ちゃんと言ったし」
「何回言ってもいいじゃないの」
しまむらが妹の結んだ髪を摘む。ぶんぶん回して遊ぶと、「うがー」と妹が吠えた。
その反応に満足したように、へへへ、としまむらがあどけなく笑っていた。
時折そうした幼さを目の当たりにして、目眩に近いほどの強いものが巻き起こる。
そのまましまむらが顔を寄せてくる。髪が顔を撫でるように触れてきて、目が泳ぐ。
ただでさえ、どきどきしていたのに。
「安達はあまりお気に召さないかもしれないけど、わたしこういう雰囲気嫌じゃないんだ」
「え、あ、そんな」
別に、と言い訳する前にしまむらが私の目を覗いた。
「できれば、認めてほしい」
そう言うしまむらに頭を抱き寄せられて、思考が一気に散り散りになる。
ふわるんるんとしたものに包まれて、催眠にでもかけられたように頷いてしまうのだった。
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