『守倉星人』

 私にとって理解できないやつはみんな、宇宙人だ。

 それは小さな子供だったり、担任だったり、割と出くわすわけで。

「あ。昨日、井上の夢見たよ」

「……は?」

 教室にもまた、身近に宇宙人がいるものだった。

「あ、そう……」

「うん」

 朝、二つ隣の席の守倉がすれ違う際にそんなことを言ってきて、そして留まることなく窓際の席に着く。頬杖をついてぼぅっと時間を潰していたところに、挨拶もなしにそんな話をされてろくに反応もできなかった。離れた顔と手のひらのどちらもが、行き場を失ったようにさまよい、戸惑う。

 だからなんだよ。思わず声に出しそうになる、そんな疑問を教室という環境で飲み込む。

 鞄の中身を机の引き出しに入れている守倉を横目で眺めながら、頬杖を作り直す。守倉はまったくこちらを見ない。ので、私も向こうを見るのをやめて、時計を見た。

 守倉とは同じクラスになってからこれまで、ほとんど話したことがない。いやむしろ一切ない気がしてきた。守倉の声にまったく聞き覚えがないからだ。恐らく初めて聞く守倉の声は落ち着いていて、程よく明るくて……つまり、特徴がなくて。

 もしも雑踏の中で声をかけられても、聞き分けることはできないだろう。

 当然、守倉がどんな人間かもさっぱり把握していない。すれ違いざまに夢のお話をするとか実は不思議さんだったのだろうか。やや短い髪の間に覗ける小ぶりの耳をぼんやり見ていて、結局そっちに視線が行っていることに気づく。気づいたので、また前を向く。

 そんな風に、守倉を見たり、見なかったりした。

 見た結果、守倉が授業中だけ眼鏡をかけるのを知った。授業が終わる度、律義に外している。

 そして休み時間の度に誰かが話しかけに来る程度には、友達が多いようだった。

 守倉はその日、他に話しかけてくることもなく、また視線が合うこともなかった。元々の付き合いはなく、教室内のグループというか、派閥というか……交友関係の所属が違うとでも言っておけばいいのか。とにかく、関わりが薄い。あいつは滑らかで、私はちょっと荒い手触り。感覚に頼りきって表現すると、そんな付き合い方の友人が周りにいる。

 完全に、別の星の住人。文化も好みも生き方も、すべてが異世界。

 だから、普通に生きていれば交わるはずもなかったのだ。

 それこそ、高校を卒業する日までずっと。

 ……その日の体育の授業で、私は一度、守倉を目で追いかけた。

 体育館でまともに授業に参加することもなく、友達と固まって益体もない話で盛り上がって。その合間、話が途切れて気だるい空気が流れる中、ふとコートへ目が行くと守倉が走っていた。走っている守倉は同級生と比べてもやや小さい。それと……いや別に友達じゃないのだから遠慮なく言ってしまうと、胸も薄いと思った。

 その守倉がバスケットゴールの下へ駆ける。いつもなら気にも留めないであろう守倉の動きを、暇だから眺める。他のやつが投げてリングに嫌われたバスケットボールを掴むために、守倉は跳んだ。同時に飛び跳ねた同級生との背丈の差を追い越して、あいつの手が真っ先に伸びる。

 守倉のジャンプは、速い。

 でもそうやって掴んだボールをどうすればいいのか分からないのか、抱えて身を捻って苦し紛れにパスしようとして奪われてしまう。守倉は手ぶらになって、また引き返して走る。

 私、最近走ったっけ、とその真面目そうな横顔を見ながら思う。

 あいつ、なにか部活でもやっているのだろうか。

 もしくは胸ちっちゃいから抵抗なくすげー跳べるのかなとか、下らないことを考えた。

 その試合中、守倉は何度も誰よりも高く飛んでいて、マジ宇宙人みたいだなと思った。

 まぁそれくらいだった。

 学校にいる間は守倉のことを少し気にしていたけど、帰る頃には大体どうでもよくなっていた。家に帰ってからは他に意識しないといけないことも増えて、本当に忘れた。

 守倉なんて、そのくらいの同級生だった。



「あ、井上だ」

「……おいおい」

 そのくらいでしかない同級生が、夢の中で平然と挨拶してきた。

 背景はなぜか森のようだ。『もりくら』だからだろうか。

 くだらね。

「あー」

 それしか知らないからだろうけど制服の守倉を前にして、一瞬考えて。

「逃げる」

 無理やり起きることにした。方法は割愛するけど、とにかく、目を覚まそうと試みる。

「えぇー」

 守倉はやる気なさそうに嘆いた。

 お前こそ帰れ、と思った。



「あ、井上」

「………………………………」

 今度は背景が通学路なので、現実だった。

 寝不足の頭も現実そのものを訴えている。

 守倉と登校中に鉢合わせるのは初めてだった。いや今まで意識していなかっただけで、すれ違ったりはしていたのかもしれない。別にそういう気分ではないのに、守倉と並んで歩く。

 夢で見た守倉と実物はまったく変わらない。

 ひょっとして夢で逢ったのも本物の守倉じゃないだろうかとか、変なことまで考える。

 会話も似たようなものだったからか、頭がぐるぐるする。

 同じ夢を守倉と見たとか……守倉が会いに来たとか。

 そんなわけないのに。

 分かってはいるのに。

 寝不足による判断力の低下が悪い方向に働いたのだろうか。

 つい、聞いてしまった。

「守倉ってまた、私の夢見た?」

 守倉の目が丸くなる。

「え、見るわけないじゃん……」

 守倉が困惑しながら否定してきて、かぁっと、耳に血が集った。

 お前私の夢見たんじゃないのかよ、逆はおかしいのかよ。

 今すぐに別の星に移住してこいつと一生涯会話したくない。

「ひょっとして、わたしの夢見たの?」

「見るわけねーだろそんなの」

 図星だったのでつい声と態度が荒れる。自然、足が速く前に出る。

 態度に露骨に出てしまっていることを含めて恥じ入りながらも止まれない。

「ひょっとして今思ったけど」

「ひょっとして多いな。どれだけひょっとしてるんだよ」

 ひょってなんだ。

「井上って不良?」

 今、どこをどう思ってそんな疑問に行き着いたのか。

 また聞きにくいことをあっさりと聞いてくるものだった。

 教室での私を見ていれば、答えを聞くまでもないと思うのに。

 ああでも、そうか。当たり前か。

 きっと今まで、私のことなんか目にも入っていなかったのだろう。

 私が守倉を知らないように、守倉もまた、私を知らないのだ。

 しかし自分からそうだとも言いづらいので、少しぼやかす。

「守倉にはどう見えるわけ?」

「化粧が念入り」

「うるせぇ、悪かったな自信なくて」

 今度こそ守倉から離れようとばたばた、早歩きに移る。化粧や髪型なんて知ったことじゃないとばかりに急く。しかし守倉は穏やかな登校の延長くらいの感覚で、私に追随してきた。足音の乱れる私と比べて、動きに明らかに余裕がある。守倉の涼しい表情を見ていると、こっちだけ息が上がりそうだった。そして、なんで追いかけてくるのだ。

「守倉って、運動部?」

「ドッジボール部だけど」

 高校にあるかよそんな部活。あるのか? すっとぼけているのか? さっぱり分からない。

 結局、教室までついてこられた。いや同じ教室なのだから、当たり前なのだけど。守倉と一緒に来たと思われるのが嫌で、早々に席に着く。守倉も何も言わないで自分の席に向かった。

 そんな守倉とのやり取りがあったせいだろうか。

 二時間目の授業が終わったところで、大きなあくびをこぼしてしまう。

 そのあくびの後に、またあくびを重ねてから、席を立つ。

 私は面倒になると、具体的に言うと眠くなると授業を抜け出してしまう。

 中学校に通っていた頃からこんな調子で、教師には何度か注意された。親にも連絡が行ったことがあって、宇宙人みたいな両親はそういう時だけ、私の親のように怒るのだった。

 何も持たず、何も考えないで教室を出る。高校に入ってからはまだ、片手で数えるくらいの回数しか授業をサボっていない。私も大人になったものだ、と勝手に自分を褒める。

 保健室が別の校舎にしかないことに不便を感じつつ、下駄箱で靴を履く。渡り廊下を経由して校舎内を歩いて行ってもいいのだけど、教師とすれ違う確率が高い。肩でもつかまれたら面倒だ。授業開始のチャイムを聞きながら、校舎の外に出た。

 外は春を少し過ぎた陽気と、程よく肌をくすぐる風が出迎える。日差しは朝から時間を経て鋭いものに変わり始めていた。その日の下を眠気と共にのたのた歩く。今は丁度、授業が始まったところかなぁと何の気なく校舎を振り返ったところで、ぎょっとした。

 窓際の席である守倉と目が合った。守倉は回していたシャープペンを置いて、こちらをじっと見下ろしている。無視するのもなんとなくはばかられて気まずい。でもこんなところで堂々と立ち止まっていたくもない。

 守倉の口が動く。声ではなくその動きを伝えるように、少し大げさに。

『なにしてるの?』

 そう読み取れた。守倉の眼鏡の向こうにある瞳が、返事を待っている。

『ねむい』

 私はそれだけ答えて、守倉から目を逸らした。それ以上、話すことがない。

 教師に見つからないように、保健室に向かった。

 外側の出入り口から保健室に入る。座って作業していた先生が、私を見て溜息を吐く。

「いらっしゃい」

「ただいまー」

 適当に挨拶して靴を脱ぎ、ベッドに一直線に向かう。三つあるベッドはどれも空いていた。

「私以外が使うの見たことないや」

「みんな真面目なのよ」

「じゃ、私も真面目に寝ちゃう」

 右端のベッドに寝転がる。転がったまま横着に靴下を脱いで、その辺に放った。

「授業についていけるくらいにしときなさいよ」

「はいはい」

 最低限に私を咎めた先生が仕事に戻る。私は足の指を広げて、ほぅ、と開放感に浸った。

 布団もかけないで横になっていると、開けっ放しの窓から涼風が届いて意識を心地よく撫でてくる。サボるにはいい時期だった。まぁ逃げる先が保健室だから、いつでもいい気もする。

 先生に顔を覚えられること以外は。

 体育館の二階なんてあればそこに逃げるけど、生憎とこの学校にそんなものはない。

 ないっす。

「ちょっと外すから」

「ん、うん」

 適当に返事する。先生はベッドのカーテンを閉じてから、保健室を出て行った。

 ところでこの仕切りはカーテンでいいんだろうか。パーテーション?

「わっかんね」

 どうでもいいことを気にしながら微睡みを楽しんでいると、保健室の扉が開く音がした。

 先生が戻ってきたのだろうと呑気にしていると、カーテンまで開く。

 カーテンを開けたのは守倉だった。

 窓からの風が、守倉のスカートと髪を微かに揺らす。

「なんで」

「目、合ったじゃん」

「合ったけど……」

 答えになっていない気がした。守倉が保健室内を見回す。

「先生いないの?」

「すぐ戻るって出てった」

 けど。最後のそれは口の中でもごもごするだけだ。守倉が隣のベッドに腰掛ける。

「授業中なんだけど」

「井上に言われても」

 背中からくる風を受けて、守倉が気持ちよさそうに目を瞑る。

 私は寝転がったまま、どうしよ、と思った。なにをどうしよなのかは分からない。

 頭はすっかり覚めてしまっていた。

「授業サボるの初めてだ」

「ああ、そう……そうだろうね」

 真面目そうだし。

「なんて言って出てきたの?」

「体調不良で保健室に行きますって」

「真面目か」

 守倉の話で初めて、少し笑った気がする。ただし呆れてもいた。

 守倉はそのまま座っていたけど、落ち着かないように足を揺らしている。

 サボり始めは、私もそんな風に慣れていなかった。

「井上は教室戻らないの?」

 わざわざ教室を出てきてすぐに戻るバカがいるものか。

「昼休みまで寝るつもりだけど」

 それ以上は先生に追い出されるし。

「じゃあわたしもそうする」

「え」

 なんで。

 守倉は寝転がりながら、眼鏡を外す。それから持ってきていた本と一緒に枕の脇に置く。小説のようだった。

「なにそれ」

「井上が見つからなかったら、読んで時間潰すつもりだった」

 守倉はちゃんと布団をかぶる。そして布団の中でもぞもぞとしているかと思ったら、靴下を脱いでいた。畳んで、上履きに重ねるように落とす。本当に寝てしまうつもりらしい。

 眠いなんて教えなければよかっただろうか。

「こうやって一緒に寝たらさ」

 仕切るカーテンを開いたまま、守倉と私の視線が交わる。

「そうしたら、同じ夢を見るかもしれないよ」

 守倉はそこで、少し笑うのだった。

 その時、私に去来したものはなんだったのか。

 前向きなものは、とても少なかったように思う。

 恥ずかしさのような、据わりの悪さのような、首筋のむず痒さのような……。

 とにかく、ジッとはしていたくないものばかりだった。

「別に、守倉の夢なんか見たくないんだけど」

 壁の方を向きながら否定する。実際、見たくない。見てどうするって感じだし。

「それはまぁ」と守倉が曖昧に同意してきた。

 そりゃそうだ。守倉だって、私の夢なんか見ても困るだけだろう。

「…………………………………」

 なんで、そんな夢を見たのだろう。

「守倉」

「なに?」

「守倉は、どんな夢を見たの?」

 壁から離れて守倉を見る。守倉は、私を見ていた。

「よく分かんない。井上が喋りかけてくるんだけど、全然聞き取れなかったの」

 そこで守倉は、少し言葉を探すようにして。

「宇宙人と話してるみたいだった」

「……ははっ」

 その感想に、今度こそ呆れもなく笑ってしまった。

 お互いに宇宙人としか思えない。守倉とは、それくらいの距離ある関係だった。

「だからもしかしたら、井上の話はさっぱり分からないのかと思って話しかけてみた」

「ああ、そういう……」

 唐突に話しかけてきたのも一応、理由はあったらしい。

 なんで私の夢なんて見たのかは結局、分からないけど。

 守倉が尋ねてくる。

「井上は?」

「見てない」

「嘘つき」

 正鵠を射る評価を無視して、目を瞑る。守倉もそれ以上は話しかけてこない。

 お互いがベッドに沈むように、空気が落ち着いていく。

 暗闇の中、守倉の正確な呼吸が伝わってくる。

 私の呼吸も、守倉には届いているのだろうか。

 守倉の見る夢を意識しながら、自分の夢に近づいていく。

 眠る直前、守倉の声が聞こえた気がした。

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