4-5 Pトレーサー

 ピンポーン。


 ドアチャイムの音


「おう、来たな…」


 バシィッ!!


「いってえ!? 何するんだよ?」


 挨拶よりも前に、久能くのうは手の平で、僕の頭を叩きつけてきた。


「いきなりとんでもない所に連れてったペナルティよ! 横暴プロデューサー!!」


 横暴なのはどっちだよ…? 僕はじわりと痛みが残る頭をでる。


「で、先生は来てるの?」

「あ、ああ。ちょうどさっき帰ってきたから、こっちの部屋に呼んでおいた」

「こ……こんばんわ……久能さん」


 僕の部屋のローテーブルのまに座っていた、サツキさんはばつの悪そうな顔で久能を迎えた。まぁ、一連のゴタゴタの元凶なのだから仕方ない。僕は壁に開いた大穴を見る。


邑井むらい先生、ちょ~~っとお願いがあるんですけど~?」


 久能はケータイを開き、例の写真を空中に投影しながら、サツキさんに声をかける。僕にビールを注がせている、ほろ酔いのサツキさんの画像。久能は甘えるような声を出していたけど、それが『お願い』ではなく『脅迫』であると、その写真は雄弁に語っていた。



      *     *     *



 翌日の放課後。僕と久能は教員棟の入り口に立っていた。この建物は共用棟と同じく、芸能科と普通科の境界線上に立っていて、渡り廊下で共用棟と繋がっている。


「先生~ こっちでーす!」


  約束の時間に、サツキさんが渡り廊下の向こうからやってくるのが見えた。サツキさんは「静かに!」と言いたげに、口元に人差し指を当てるジェスチャーをする。

 サツキさんが左手をかざすと、透明アクリル製の扉が音もなく開く。


「さ、他の生徒や先生に見つかる前に早く入って!」

「失礼しまーす」


 久能は、なんでも無いような素振りでドアの奥へと歩みだす。僕も生唾をごくりと飲んでから普段生徒が入れない領域に足を踏み入れた。


 教員棟は芸能科と普通科、双方の教員達のオフィスが入る建物だが、この内部でも二つの科は厳格に区別されていた。1~2階のそれぞれ半分が普通科教員のエリア、1~2階のもう半分と3~5階の全てが芸能科教員のエリアだ。ここでも芸能科のほうが優遇されている。


「ここがアタシの部屋」


 サツキさんに案内されて入った場所は、普通科等の教室ひとクラス分と同じくらいの広さがある部屋だった。外部講師の使うオフィスとは思えない面積だ。

 その半分は、天井の照明が映り込むほどワックスで磨き上げられた板張りの床。壁の一面は巨大な鏡張りで、腰の高さに長い一本のバーが渡されている。教員のオフィスと言うよりも、ダンススタジオと呼んだほうが良さそうな内観だった。


「芸能科の先生の部屋ってこんなに広いの??」


 前に一度、日直当番で担任の先生の部屋を訪れたことがある。普通科教員の部屋はこの三分の一程度だ。


「これでも狭いくらいじゃない? 先生によってはレコーディングスタジオ付き部屋も持ってる場合もあるから」

「スタジオぉ!? そういうのって芸能科棟にあるんじゃないの?」

「生徒用のものはね。こっちは、個別指導や、先生本人が使うためのものよ」

「先生本人?」

「そ。 現役アイドルが教員やってる場合もあるし」

「そうなの!?」


 またしても初めて聞く芸能科の内情だ。


「別に驚くことないでしょ? 性別も年齢も人種も関係なく、自分の理想の姿でアイドルやれるのがSEEFの良いところなんだから」


 確かにそれもそうだ。50代のおじさん教師が15歳のハーフエルフ中学生という設定でアイドルをやっていても誰も文句は言わない。むしろ、これだけ環境が整った場所で仕事をしているなら、その環境を向こうの世界での活動に利用しない手はないだろう。


「ヴァンドームの教員ならではの役得ってところね。で、邑井むらいセンセ」


 久能はサツキさんの方を見る。


「例のもの、用意できた?」

「用意というか……たぶんコレに付いてると思うんだけど……」


 そう言いながらサツキさんは、指をさす。ダンススタジオ風の内装の反対側は、廊下と同じくリノリウム製の床材が張られている。そこにはオフィスデスクと本棚、そして長さ2メートルくらいの黒い機械が鎮座している。歯医者の椅子を真っ黒く塗ったようなそのデザインは、通販サイトで見たことがある。


「これって……REMシリーズの最高クラスじゃん!!」


 僕としたことが、あまりに無造作に置かれているために気づかなかった! LDRギアの中でも最高級モデルだ。

 最もリラックスした状態でダイブ出来るように、人間工学に基づいて設計されたというシート。脳波出入力端子は32個搭載…僕が使っている標準モデルの8倍だ! その他にも様々な機能が付いている、まさしくプロ仕様のギアだった。


「付いてると思う…ってはっきりしないなぁ! どっちなの?」

「だ、だって……何処どこ見りゃいいのか、わかんないんだもん…」


 サツキさんは眉をくねらせながら言い訳する。まぁ仕方ない。よくわからずに怪しげなギアを買って、爆発させるような人だ。最高級モデルにどんな機能が搭載されてるかなんてわからないだろう。


「久能、大丈夫だよ。このモデルなら、Pトレーサー内蔵してる」

「ホント? ならよかった」


 昨日の夜、久能がサツキさんに要求したのが、Pトレーサーの使用だった。


『芸能科の講師だったら、オフィスにLDRギアぐらいあるでしょ? それに付いてるPトレーサーを使わせてちょうだい!』


 Pフィジカルトレーサーは、LDRギアの周辺機器の一つで、文字通り肉体の挙動をトレースし、LDR上のアバターに設定するためのものだ。


 人間、頭の中で思った動きと、実際の肉体の動きにはどうしても差が出てしまう。肉体のかせを外し、思うがままに動くことが出来るのはLDRの良いところだ。でも、アスリートやダンサーなど、現実でも人並み以上の動きができる人の場合、むしろアバターの方をうまく動かせないという事になりうる。


 昨日の関ヶ原でのミヤコ久能がまさにそれだったのだという。そこで、この機能を用いて、久能くのう侑莉ゆうりの肉体の動きをミヤコのデータに学習させるのだ。


「…Pトレーサーが必要ってことは、久能はそれなりにダンスできるってこと?」

「馬ッ鹿にしないでよ!! これでもアタシ〈六華仙〉よ!?」

「元でしょ?」

「うるさい!」


 炎浦イオンの〝ソウ〟は衣装系だった。ダンスや歌はAIの力を借りているはずだ。


「確かにAIがあれば、誰でもそれらしく踊れるしアクション演技ができるようになる。けど、基礎がある人がAI使うのと、素人がAIを使うのじゃ、全く違う結果になるの。ドルオタ名乗るならそれくらい覚えておきなさい」


 得意げに語りながら、久能は高級LDRギアの各所から部品を取り出し、手足に取り付ける。両手首、肘、肩、左右の胴と腰、もも、膝、手首……

 そして仕上げにヘッドセットをかぶる。同時に、ゴーグル部に入ったスリットが虹色に輝く。あ、やっぱり高級品もソコ光るんだ……。


「さてと、じゃあ一通り踊ってみるから。オリベくん、トレースの準備よろしく」


 久能はそう言うと、ワックスがけされた板床の方へ歩いていった。





 

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