4-2 開発テストモード


「オリベ……ハウンド・マウンド君、こっちへきて」


久能は、今にも吹き出しそうなの噛み殺しながら、僕の名前をハンドルネームで呼び直した。


「そんなおかしいなら本名で呼べ、本名で」


僕はしぶしぶながら、久能とTEIKAの方へ歩み寄る。


「で、なんなんだ?」

「ちょっとごめんねー」


 久能は僕の後頭部を掴むと、ものすごい力で下に引っぱってきた。


「うおっ! 何すんだよ?」

「え!? 久能…様??」

「いいから! TEIKAに顔を近づけて!!」


 ものすごい力だ。この華奢きゃしゃな腕の何処にそんな力が? そう思った直後にここがSEEFであることを思い出す。

 この世界では現実の腕力など意味がない。そのエリアで制限されている数字を超えなければ、想像次第で何百キロの腕力でも何百メートルの跳躍力でも実現できる。そして、このパーソナルスペースではそれらの制限を設定していない(そもそも腕力を振るう必要が無い場所だし……)


「抵抗するな!!」

「わかったわかった! 顔を近づけりゃいいんだろ?」


 力を抜いて、久能の言われるがままになる。TEIKAの顔が至近距離に来る。その間は5センチもない。こいつ、キスでもさせるつもりなのか?? 可愛らしいルックスに設定はしているが、僕は自分のAIにそんな感情も欲求も持っていない。TEIKAも謎の超接近に困惑している様子だ。


「テストモード起動。高位業務機能解放」


 僕の頭を掴んだまま、久能がつぶやくと、急にTEIKAの表情が消える。


「高位業務機能の解放にはパスワードが必要です」


 無機質な声。僕とのコミュニケーションで学習を繰り返し、生身の人間みたいな挙動をするようになってきたTEIKAが、急にインストール直後のような、機械的な存在へ戻った。


「ちょっ! 何したんだ久能!?」


 僕のことなんて意に介さず、久能はさらにTEIKAに謎の言葉を投げかける。


「パスワード認証開始。どうぞ」

「了解 ――わたのはら こぎいでてみれば ひさかたの」

「くもゐにまがふ おきつしらなみ」

「かくとだに えやはいぶきの さしもぐさ」

「さしもしらじな もゆるおもひを」

「こころにも あらでうきよに ながらへば」

「こひしかるべき よはのつきかな」

「業務機能を解放します」


 ?????

 

 なんだこれ。何が起きているかさっぱりわからない。


「はい、これでOK」


 ようやく、僕の頭は久能から開放される。


「はっ!? マスター? 久能様? 私は…!?」


 再びTEIKAは人間味のある声色に戻っていた。


「久能、何をしたんだ今??」


 久能はにやっと笑う。


「TEIKA! あなたのマスターがコレまで収集したアイドルのデータをもとに、今週ヒットしそうな曲のサビを作ってみて。とりあえず4小節でいいから!」

「……はいっ! わかりました」


 は? そんな事出来るの?? 確かに、エントリープランのTEIKAにも作曲支援機能は付いている。けどそれは、ごく一部の機能だけが使える体験版のようなもので、今みたいな無茶振りに応えられるようなものではない。


「ラ…ラ~ラ ラララッ ラ~ラ~ラ~~~♪」

「え!?」


 TEIKAはきれいなソプラノでメロディを口ずさんだ。聴いたことのない曲。けど、いかにも今のヒットチャートで上位に来そうな旋律だ。これに流行りのビートを乗せて、泣ける歌詞を加えれば、それだけでそれなりの作品になりそうな……


「今の旋律を楽譜に起こすと、こうなります」


 そう言いながらTEIKAは右手を上に掲げる。手の平を向けた先に金色の光で五線譜が描かれる。


「どう? これがTEIKAの本当の力よ?」

「久能……何をやったんだ?」

「所有者の網膜データを近づけた状態で、ランダムに選出される小倉百人一首の下の句を2秒以内に答える。それを3回繰り返す。TEIKAの開発テストモードへの移行方法よ。これで、どんなプランでも全機能が使えるようになる」

「は?」

「リリース時にデバッグモードの封印がされていないのよこの子。だから、どんなプランでも百人一首さえ覚えていれば、開発者権限で全機能が使えるの」

「なんだそれ!?」


 本当だとしたらとんでもないバグだろ? プロ仕様の…月額ン万円するような高級AIを月額3980円で(高校生の僕は1380円で)使えるというのか?


「……というタテマエだけど、なぜかこの裏技、ヴァンドームの芸能科の間でしか広まってないのよね。だから、芸能科のために密かに実装された機能なんてウワサもあるくらい」

「なんだそれ……」


 またしても僕の中の「アンチ芸能科ゲージ」が1ポイント追加される。


「そもそも、芸能科ってTEIKAを標準教材にしてるんじゃなかったっけ? そんな裏技なんて要らないんじゃ……」

「わかってないなー。昨日も言ったけど、芸能科内でもアイドルの正体は秘密なの。授業で使ってるアバターはあくまで教材。実際の活動は、みんな別垢でやってるから法人割引の適用範囲外になっちゃうのよ」


 なるほど、そういうものなのか。理屈は納得する。とはいえ、これは立派な不正だ。こんなやり方で他のアイドルを出し抜いたところで……


「憤るのはキミの勝手だけどさー」


 僕の表情を見て何かを察したのか、久能が言う。


「少なくとも同じ土俵に立たないと、芸能科の奴らを潰すことなんて出来ないからね。〈六華仙〉ならなおさら」

「……………」

「もし良心が痛むなら、正規価格を払えるくらい儲けよ?〈六華仙〉倒せるレベルのアイドルになれば、スポンサー収入だけでも一生遊んで暮らせるから! アタシはもう芸能科じゃないから、授業料として搾取されることもなくなるしね!!」


 久能のテンションが、自分の言葉でどんどん上っていくのが、声の抑揚でわかった。「俗物…」心の中で僕はそうつぶやく。『アイドル』ってそういうもんじゃないだろ……


「さて、と、それじゃあ、本格的にキャラメイクを始めていくよ!!」


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