3-6 最悪の来訪者

「ただいまぁ~ シノくんいる~?」


 その日の夜。いつものようにSEEFにダイブする気になれなかった僕は、擦り切れるくらい読み込んでいたマンガ(何十年も前に発売された、芸能界を舞台にしたマンガだ。僕の部屋にはこの手の『芸能・アイドル関係の資料』がたくさんある)を、ぼんやりと眺めていた。穴の向こうから明るい声が聞こえてきたのは19時を回ったあたりだ。

 芸能科でウワサだという、美人でノリの良い先生のお帰りだ。


「はい、いますけど?」


 答えるとすぐに穴からサツキさんが顔を出す。


「夕飯もう食べちゃった? まだだったら一緒に食べない?」


 そう言って、近所の弁当屋のロゴが入った保温バッグを差し出してきた。



      *     *     *



「高校生の前でなんだけど、これアタシの唯一の楽しみだから。ごめんね」

「いいですよ別に。そういうの気にしないんで」


 サツキさんはバッグから缶ビールを一本取り出す。カシュッと小気味の良い音を開けて開封すると、黄金色の液体をコップに注ぎ、流れるように口に持っていった。


「あ~~、この一口でスイッチ切り替わる~! これから朝までオフモードよ!」


 そう言いながら、サツキさんはバッグから次々と皿を取り出す。唐揚げに餃子、フライドポテト、ご飯ものはガパオライスと焼肉丼。いかにもビールのつまみと言った献立だ。


「さ~食べよ食べよ! あ、ご飯は好きな方取っていーよ!」


 味の濃い料理が大好きなのは高校生も同じだ。お互いの利害が一致するメニューを選んできた感じか。


「それじゃあ……いただきます」

「どうぞどうぞ。今日はアタシのおごり♪ これからしばらく迷惑かけちゃうことになるし、このくらいはしないとね!」

「そのことなんですけど……やっぱりまずくないっすか?」

「え、何が?」

「あの穴のことですよ。昨日は、まさかサツキさんがウチの先生だと知らなかったんでOKしましたけど……」

「ん~~~……」


 サツキさんは缶ビールに口をつけながら、何か考えているようだった。

 気にしないと言ったものの、自分の学校の生徒の部屋で、ビールを飲むというのは倫理的にどうなんだ、という気もしてくる。


「ま、バレなきゃダイジョーブでしょ!」


 サツキさんはいたずらっぽく片眼をつぶる。リアルでウィンクする人を初めて見た…。SEEFでアイドルがやっているのは何度も見たことあるけど、こっちの世界でもやる人いるんだ……それもこんなに自然な仕草として。


「シノくんは、普通科なんだよね?」


 サツキさんはガパオライスを頬張りながら僕に聞いてくる。


「はい、そうですけど……」

「なら別の学校みたいなものだし問題ないでしょ。それにアタシも先生とはいっても正式な教員じゃなくて、実技演習のコーチやってるだけだし。ここは先生と生徒じゃなくて、仲の良いお隣さんということでお願いしま~す」


 サツキさんは僕のコップに烏龍茶を注いできた。一緒に食事する相手に飲み物を注ぐ。高校生同士の食事では絶対ありえないやりとりに戸惑う。サツキさんが「さぁ飲め」と目で合図してくる。それに乗せられるようにコップの中身を喉に流し込む。


「おお~~ いい飲みっぷりだね~~~」

「いや、烏龍茶なんだから当たり前でしょ……」

「いやいやキミ才能あるよ。早く一緒に飲めるようになりたいねぇ~」


 何の才能だよ…? そしてあと3年はこの生活を続けるつもりなのかよ!? 心の中でツッコむ。


「いや~楽しいなー。ここん所、ずっと一人でご飯だったしな~」


 サツキさんの頬は、ほのかに赤く染まっていた。これが酔っているという状態なのだろうか。もちろん自分に飲酒体験はないし、実家の両親も家では飲まない人なのでよくわからない。


 けど……


 誰かと向かい合って食べる夕食が楽しいと言うのは同意だった。

 

 アカサカやホリキと放課後に夕飯を食べることは時々あったが、たいてい牛丼屋やラーメン屋のカウンターなので、向かい合うことはない。

 SEEF世界内で、イベントの後にライブ仲間と食事をすることならある。でも脳が錯覚させる味覚体験とも、今こうしてお隣さんと過ごす時間は別のように思えた。


 これは、アタマの固い年寄りが言う「ニセモノの世界では味わえない本当の体験」とやらなのか、それともただ単純に美人なお姉さんと一緒だからなのか、それはわからない。


 どちらにしても、こんな夕食の時間が過ごせるなら、あの穴にも感謝かなと言う気がしてくる。


「あ、ビールお注ぎしましょうか?」

「え、ホント? ありがと~~」


 慣れない手付きで、アルミ缶を手に取り、サツキさんが手にしている空のコップに中身を注ぐ。



 その時だった。



 バンッッ!!! カシャカシャカシャカシャカシャカシャッ!!



 ドアが勢いよく開け放たれる音、そして連続するシャッター音。


「えっ!?なに!!?」


 僕とサツキさんは同時に部屋の入口の方を見る。そこには……


「不祥事はっけ~~~~ん♪」


 思いを寄らない人物がケータイのカメラレンズをこちらに向けて立っていた。久能くのう侑莉ゆうり! なんでウチに…!?


「ヴァンドーム学園芸能科の教師が、普通科生徒の部屋に上がりこんでお酌させてる。これは特ダネね!!」


 ビールを注ぐ体勢のまま、二人とも凍りついていた。黄金色の液体はとっくにコップの中に注ぎ終わり、僕が持っている缶はすっかり軽くなっていた。

 サツキさんの顔を見る。「バレなきゃダイジョーブ」とうそぶいていたその顔は、真っ青になっていた。頬を染めていたアルコールの気は何処へ飛んでいったのか。


「く、久能……これはだな……」


 僕は弁明を試みるが、即効で言葉が途切れた。何をどう説明すれば、この突然の来客に今の様子を納得させられるのか? 必死で言葉を探す。


「いいわけ無用よ! ていうかこの写真は、ちょっと弁解不可能でしょ」


 久能のケータイからまっすぐ上に光が昇り、像を作る。満面の笑顔の女教師に、男子学生がビールを注ぐ姿の立体映像ステレオビジョン。我ながら出来すぎた構図だ。


「……尾行してたのか、僕の帰り道を?」

「悪趣味かなとは思ったんだけどね、もう一度ちゃんと話したかったから」


 久能は、立体映像ステレオビジョンを消すと、ケータイをポケットにしまい込んだ。


「けど、説得する必要はもう無いかな。今ならアタシに協力してくれるよね。オ・リ・ベ・く・ん♪」


 目の前が真っ暗になる。コレだから芸能科こいつらは……


 今日この日から、僕は高飛車アイドルのプロデュースをするになった。

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