3-3 真名の特定(ペネトレーション)

 カフェテラスに歓声が沸き上がる。あの芸能科の連中を追い払ったのだ。普通科にとっては珍しい勝利に、その場にいた全員が「ざまあみろ」と思ったに違いない。


「すごいな…オリベ…… あいつらに何言ったんだ?」

「ん、まぁちょっとね」


 アカサカの問いをはぐらかす。アカサカとホリキは、僕がSEEFに入れ込んでいること、それにアイドルのイベントに参加していることは知っている。けど、どのくらいの知識量があって、界隈でどんな活動をしているかなどは話していなかった。

 芸能科が今見た通りの連中なので、わざわざアイドルの話を普通科ここでする必要もないと思ったからだ。


 だから、直後にある人物が僕に声をかけてくることなんて、二人とも思いもよらなかっただろう。


「見ーちゃった。オリベくん大活躍じゃん」


 カフェテラスを出ると、そこにいたのは久能くのう侑莉ゆうりだった。


「お前、編入生の……」

「オリベ、お前コイツとどういう……?」


 戸惑う二人をよそに、久能は僕に近づいてきた。


「ちょっと顔貸してくれる? 昨日と同じ場所。いいよね?」



      *     *     *



 またしても体育館裏。コンクリートの巨大な建造物の影にある誰の目にもつかない空間。背中にはこちらも同じくコンクリート造りの「壁」がある。普通科生徒たちの間では「越えられない壁」と呼ばれる、普通科と芸能科の境界線だ。

 壁は、はしごやロープなしで乗り越えられるような高さではない。壁の向こうに行くには、中央にある共用棟か、芸能科の正門から入るしか無い。当然どちらも、普通科の学生証では通行不可能。

 この壁はまさしく、学園の身分制度の象徴だった。


「やっぱりアタシの思ったとおりだった。アタシの正体を言い当てたのも、当てずっぽうじゃなかったわけね」


 その口ぶり、僕がどうやって連中を追い出したのか見当がついているようだった。


「別に、あいつらSEEFでも悪目立ちしてた連中だから、すぐわかっただけだよ」

真名の特定ペネトレーションは芸能科の人間が最も恐れている能力よ」

「ペネ……何?」


 聞き慣れない言葉だった。


「あなた達は知らないかもしれないけど……」


 久能は説明を始める。


「芸能科の内部でも、原則SEEF内での活動は非公開なのよ。一緒に授業を受けるクラスメイトも、誰がどのアイドルの中の人かを知らない。ユニットを組んでいる子同士すら。お互いの正体を知らない事も珍しくないの。なぜだと思う?」


 自分たちの正体を秘密にしている? そんなの考えた事もなかった。けど、その答えの検討はすぐについた。


「……もしライバルアイドルの正体がわかれば、成績や学校内の行動を見て対策ができるから?」

「ふふっ、ご名答~」


 確かに対戦相手がダンスが苦手な生徒とわかれば、ダンス勝負を仕掛ければ良い。たとえそいつが、SEEF内ではAI補正でダンススキルを水増ししていても、地力の勝負に持ち込めば、勝率は飛躍的に上がる。

 だとすれば、正体がバレるのは、競争が激しいと言われる芸能科では致命的かもしれない。


「けど、ごくまれに普段の行動と、SEEFでの振る舞いに共通点を見出し、そこから正体を見抜く、キミみたいなのがいる。その能力を真名の特定ペネトレーションと呼んでるの」

「なるほどなぁ……ん? でも待って?」


 さっき無様にカフェテラスから逃げていった連中が脳裏に浮かぶ。奴らは自分たちの主催するイベントに強引に参加させようとした。


「さっきの奴らは? あんな事したら、真名なんて特定し放題だろ?」

「ああ、アイツらはバカだから」


 久能は、身も蓋もない言葉で連中を切り捨てた。


「芸能科以外の人間だったらバレても構わないと思ってたんでしょ? でもキミが、あまりに詳しく語って、ようやく事の重大さに気づいたってところかしら?」

「つまり普通科モブ相手だから油断してたってことね」


 連中は普通科の生徒なんて眼中にない。共用棟に行くたびに、今日みたいに普通科に奴らが乱入してくるたびに、思い知らされていたことだ。それでも腹立たしかった。あんなアイドルとしても五流六流の連中にすらモブキャラ扱いされてるなんて……


「それが嫌ならさ、アタシに協力してよ。ああいう連中を、普通科こっちの生徒たちに代わって、片っ端からぶちのめしてあげるから!」

「またその話か……」


 予想はしていたけどゲンナリだ。あんな事があったばかりなのに、芸能科に関わる誘いなんて……。


「当然よ。この話をしたくて、ここに呼んだんだから」


 久能はまたお決まりのポーズをとった。腕を組んでの仁王立ち。慣れてしまうと、小柄で黒髪の少女にダブって、気品と自信に溢れる無敗のアイドルの姿が浮かび上がった。


「あれ?」


 そう、そこに浮かび上がったのは『無敗』のアイドルの姿だ。正体不明のアイドル〈蒸貴公女スチームパンク・ガール〉に『一敗』を喫したアイドルの姿ではない。

 あの勝負からひと月、僕が炎浦ほのうらイオンから遠ざかっていた理由。何かよくわからない違和感の正体。


「あの、もしかしてだけどさ…… 」


 恐る恐る、いま浮かび上がった仮説を本人に投げかける。


「今の炎浦イオンの中身って……君じゃない……?」


 久能は、回答の代わりに「ふぅ」と小さなため息を付き目をつぶった。そして沈黙……。怒らせた? いくら疑念がわいたとしても、ストレートに口にするのはまマズかったか?


「…………………ふふっ」


 数秒後、軽く小さい笑い声が、沈黙を破る。 


「え?」

「ふふふっ…あはははっ! 何なのキミ! 凄くない!? その真名の特定ペネトレーション、アタシが思っている以上のチカラなんだけど!!」


 久能は目を輝かせ、僕の両手を握ってきた。


「キミがいれば、本当に何も怖いものなし! 取り返せる!! 『炎浦イオン』を!!」

「ええっと……あの、ということは…?」

「ええ、そうよ。キミの言う通り」


 久能はぱっと手を話すと、また腕を組む。そして、苦々しげな表情を浮かべる。


「たしかにアタシの正体は炎浦イオンよ。けど今は違う」


 一層険しく眉を曲げながら、軽く親指の爪を噛むような仕草をした。


「権限はすべて剥奪はくだつされて、今は別のヤツがイオンをってるの……!」

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