2-3 お隣さん

「あ~、コレはアヤシイっすね……」


 お隣、201号室にお邪魔していた。壁に開いた穴は直径1メートル弱。半身を乗り出すことくらいは出来るけど、だからと言ってそこをくぐり抜けるわけにはいかないので、一度玄関を出て、すぐ隣のドアから入る。間取りは、僕の部屋202号室をちょうど鏡写しにしたような配置だった。唯一違うのは、大穴の開いた壁とは反対側に出窓がついていることくらいか。

 部屋に入ってすぐに目についた黒いプラスチックの破片。その一つを拾い上げる。見たことのないマークとその下に「LDR-GEAR」の文字。


「多分コレ、海外で作られてる粗悪品っすよ。ホント怪我がなくてよかったです」


  LDR関係の機器は、日本を含めた東アジア各国のメーカー製品だけで80%以上の世界シェアを占めている。けど最近は、世界地図の何処にあるか即答できないような新興国でも作られ始めている。

 聞いたことない国やメーカーだから危険だ、というワケではない。「聞いたことない」はまだ信頼できる。そもそも国名や社名が「わからない」、そんなアヤシイ製品がたくさん出回っている。この破片のマークも検索したところで、何処の国のどんな会社かわからなそうだ。


「どこで買ったんですか、これ」

「いやぁ~実は……」


 フリマサイトで安く手に入れたものだと女性は言う。

 自分の脳に電気信号を送られたり脳波をスキャンされたりするシロモノなので、僕は一番安心そうな国内企業のものを使っている。けど、その十分の一以下の値段でこういう謎の製品が出回ってるので、それを使う人も多いようだ。


「こういうのはできるだけ名前を知ってる会社のものを買ったほうがいいっすよ」

「アハハ… アタシもそう思ったんだけど、何しろ安いしさ…。それにまさか爆発するなんて思わないじゃん?」


 女性は苦笑いしながら後頭部をくような仕草をする。


「電源入れたら、急に目の周りが熱くなってさ。慌てて外して放り投げたら、ちゅどーんって……」


 そしてその音で、僕は仮想世界から引き戻されたわけだ。ちゅどーん。書き出すとメチャクチャ頭の悪い文字列だけど、実際そういう音がしたのだから仕方ない。LDRギアが爆発するときは「ちゅどーん」なのだ。全く役に立ちそうもない知識を手に入れてしまった。


「アタシ機械オンチなんだけど、まさか爆発させちゃうとはね~」


 あはは~と、女性は緊張感のない笑い方をした。いや、機械オンチとかそういう問題ではないと思うけど……。


「そういえばお隣さん、まだ名前聞いてなかったよね。アタシは邑井むらいサツキ。キミは?」

「あ、織部おりべ信乃しのって言います」

「シノ君か~。見た感じ、アタシより年下っぽいけど、学生さん?」

「はい、高校二年です」

「高二!?」


 邑井むらいと名乗った女性は驚き、声の調子をワントーン上げた。


「高校生でもう一人暮らししてんだ~! すごいね!!」


 められるような事でもないんだけどなぁ、と思う。アイドル(の中の人達)が集うヴァンドーム学園に憧れたから、地元を離れてこの街に来たと言うだけだ。


「その、邑井さん……は…?」


 邑井さんはおいくつですか? そう言い終わる寸前で、年上の女性に年齢をくのは失礼という、世間知らずのドルオタ高校生だって知ってなきゃいけないような生活の知恵を思い出し、言葉を飲み込む。


「アタシ? アタシは23歳だよ!」


 そんな僕の気の回し方なんて気づきもしないように、あっけらかんと彼女は答える。6歳年上らしい。


「それと、アタシのことは『サツキ』でいいよ。アタシもキミのことは『シノくん』って呼ぶから!」

「はぁ……それじゃあ、サツキ…さん」

「うん!」


 サツキさんはニコリと微笑みうなずく。


「それでさ、シノくん。お願いがあるんだけど……」


 と思ったら、急に神妙な表情になって僕の目を見てきた。


「な…なんです?」

「大家さんにはさ……今日のコレ、ヒミツにしといてくれない?」

「え!? いやダメでしょう!! 幸い火事にはならなかったけど、こんなでかい穴開けちゃったんだから、すぐに連絡して修理してもらわないと!」

「そこをなんとか! 今ここ追い出されるわけにはいかないの!!」

「……追い出される?」


 恥ずかしいんだけどさ…… そう前置きしてサツキさんは話し始める。どうやらこの人、家賃滞納の常習犯らしい。これまで収入が不安定な仕事をしていたらしく、何度も大家さんに嫌味を言われているのだとか。


 さっきも言った通り、ここは平成の最後の年に建てられたという、年代物の物件だ。しかも4畳半という極狭ごくせまの……。ロフト付きで天井が高いことくらいが取り柄で、その取り柄だって夏場は室内を灼熱地獄に変える短所になる。

 当然、家賃だって周辺の相場より安い。高二の僕がバイトすれば払えるくらいに……。


「ロクに家賃払ってない上に、オモチャ爆発させて壁を壊したなんて知られたら……今度こそ追い出される…ッッ!」


 サツキさんは涙目になっていた。


「だからお願い!! 今月からちゃんとした仕事につけて、毎月お給料も出るようななったから! 大家さんには、ある程度信用してもらえるようになってから話すということで……!」


 両手を合わせ、深々と6歳年下の僕に頭を下げる。ここまで懇願されたら断りづらい。僕はため息をつきながら言った。


「わかりましたよ……じゃあ、しばらくは秘密にしときましょう」

「ホント!?」


 サツキさんお顔がぱぁっと明るくなる。


「ありがと~~!!」

「うわっ!?」


 彼女は両手を大きく広げると、僕に向かって飛び込むように抱きついてきた!柔らかい感触と熱が僕の首から腹にかけてを包み込み、彼女の髪の匂いが鼻に直接入り込んでくる…!!


「ちょっちょっと!?」


 慌てて彼女の身体を引き離す。何! いまの何!?


「あははっ やだゴメン。アタシったらつい嬉しくて……」


 サツキさんは自分の髪の毛や二の腕、Tシャツを触って確認する。


「ほんとゴメンね。今の爆発でホコリっぽかったよね。」


 心臓がかつて無いくらいに高鳴っている。初めて〈六華仙〉のライブを見た時や、『ギャラクシア・スローン』第1シーズンラストで、主人公の親友が黒幕だったことが判明した時と同レベルの激しい鼓動。少なくとも現実世界では初。


 そして今頃になって自分が、年上の一人暮らしの女性の部屋にいるという事実に気づいた。間取りは自分の部屋にそっくりだけど、家具類も、壁にかかった大きな鏡も、その横の棚にならぶ……化粧品類(?)も、みんな見たことないものばかり。いや、そもそも匂いからしてウチとぜんぜん違う!!


「ちょっとシャワー浴びなきゃダメかなコレ」


 そう言いながらTシャツのホコリをはたくサツキさんを見る。じわりと汗がにじむおでこは、丸くきれいな曲線を描いている。そのラインは、まっすぐ高く通った鼻筋につながっている。そして鼻の両脇には、長いまつげが揃った大きな瞳が輝く。美人だ。今更そんなことに気づく。この人SEEFのアバターじゃないんだぞ、生身の美人さんだぞ…………いやちょっと待て、今なんて言った?


「なんてって…シャワー浴びなきゃって?」

「!!!????」


 心の声が出てしまってたらしい。どこから? 今のサツキさんの顔面の解説も漏れてた!? いやいやそれよりシャワー!! シャワー浴びるって言ったのこの人!?


「そっそれじゃあ自分シツレイします!!!!」


 慌てて立ち上がる。玄関へ向かって駆け出す。


「いでぇぇっっ!!」

「大丈夫?」


 謎メーカーのLDRギアの破片を思い切り踏み込んで、悲鳴を上げる。サツキさんがその背中に声をかけたけど、それにも構わず僕は玄関に走り、そのまま隣の自室へと逃げていった。

 


 

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