第2話 美女は4畳半の壁を穿つ
2-1 パーソナルスペースにて
「お疲れさまでした。
TEIKAの声とともに、視界に広がる星々、観客たち、勝ち誇る〈
視界が暗転する。その直後には、セラミックと金属のパネルで覆われ、無数の3Dディスプレイが発光している空間に立っていた。
ここはSEEF世界への旅立ちの入口となる、僕のパーソナルスペースだ。ちなみこの内装は、お気に入りのLDRドラマコンテンツ『ギャラクシア・スローン』で主人公達が搭乗する宇宙戦艦のブリーフィングルームを模している。ドラマの公式チャンネルが無料公開している内装だ。
一ヶ月前、炎浦イオンのイベントに突如現れ、勝負を仕掛け、そして圧勝してしまった〈
「ハウンド・マウンド様」
ハキハキと明るい声が僕のハンドルネームを呼んだ。白を基調とし、肩や襟に金モールの装飾が施された制服(これも『ギャラクシア・スローン』公式が配布している主人公勢力の軍服だ)に身を包んだ少女のCG。
サポートAIのTEIKAは、パーソナルスペース内ではこの姿で僕の助手をしてくれている。
「えっと… ハウンド・マウンド様?」
ハンドルネームで呼ばれるたびに、今日の昼休みのことを思い出す。笑みをこぼしながらその名を呼んだ
「……しにたい」
『亡国の姫君が残した八つの宝玉を宿した剣士たち』という設定は、14歳の心に強く響いた。その剣士の一人と自分の名前が同じなのだからなおさらだ。
14歳の僕は早速英和辞典で、その剣士の苗字『犬(ただし"dog"以外)』と『塚』を調べたら、韻を踏んだカッコイイ名前(少なくとも当時の僕にとっては)が出来上がった。以来、仮想世界を冒険するときに使う、もう一つの僕の名前にしている。
……が、正直な所マズったな、と17歳の僕は薄々そう思っていた。
そう思っていた矢先に、久能が現れたのだ…。今すぐ布団にダイブしたいところだが、あいにくこのブリーフィングルームにそんなものは無い。
「も~~~!ハウンド・マウンド様! 聞こえてますかっ!?」
全く相手にされてないことに。しびれを切らしたサポートAIは、ぷくっと頬を膨らませて僕の顔を覗き込んできた。
「なぁTEIKA……僕の名前なんだけど、イニシャル読みにしてくれないか? 『H.M.』って……」
中学英語丸出しのネーミングセンス。せめてイニシャルにすることで痛さを和らげようという試み。焼け石に水なのは分かるけど、その名前で呼ばれるたびに、今日の久能の顔を思い出しそうなのが嫌だった。
「え? ですが…」
明らかに戸惑った表情で口ごもるTEIKA。
「ハウンド・マウンド様の登録名はハウンド・マウンド様ですし、イニシャルでお呼びすると、同じお名前が1264万2563件ございますが…」
そう言いながらTEIKAは、左腕を大きく回して空中に弧を描く。するとその軌跡を中心に無数の……おそらく1264万2563人分の顔写真の表示が始まり、空中を埋め尽くし始めた。
「わっ!? 馬鹿やめろ!ストップストップ!!」
僕は慌てて顔写真表示をキャンセルする。危うく、宇宙戦艦の司令室が見ず知らずの老若男女の顔に支配されるところだった。(もっとも僕の使っているLDRギアのスペックだと、10万人を超えるあたりで処理落ちし、キャンセル処理が走るとは思うけど…)
「この人達全員と僕やお前が顔を合わせるわけじゃないだろ!?」
「それはそうですが……でも、すでにハウンド・マウンド様がこのお名前を登録してから1135日が経ちます。今さら私が呼び名を変えると、ハウンド・マウンド様の反応が遅れる危険性が……」
変に真面目なやつだ。もっとも、アカウント登録時にそういう性格をオーダーしたのは僕自身だけども……。
「名前の呼び方が命取りになるような、危険地帯に行くつもりは無いよ」
宇宙戦闘機でのドッグファイト、幻想の国でのドラゴンハンティング、1940年代ヨーロッパでの戦車戦、1600年秋の関ヶ原……SEEFには擬似的な命のやり取りをするアクティビティがいくつも用意されている。けど今の僕は、その手のスリルを求めていない。
「はぁ…わかったよ。名前についてはとりあえずいいから……それより炎浦イオンのプロフィール出して」
「あっ…はい……でも」
「なんだよ?」
「いえ……珍しいなと思いまして。ハウンド・マウンド様は、もう炎浦イオンさんへの興味を失ってしまったものだと……」
「ああ……。まぁ……ちょっとね……」
TEIKAの言うとおりだった。ひと月前のバトル以来、僕はずっと夢中だった炎浦イオンから遠ざかっていた。
もちろん今でも、彼女のことは好きだ。少なくともSEEF世界のアイドルである彼女のことは……。それでも、なぜか最近の彼女を見ると目を
それは、彼女が負けたから…敗北者に失望したからでは決してない。その敗北に僕らファンたちが加担した後ろめたさでもない。何か、うまく言えない違和感が、あの日以降の炎浦を見るたびに、心の奥に湧き上がってくるのだ。
TEIKAが両腕を掲げると、そこに炎浦の3D映像とプロフィールが表示された。
・name:炎浦 イオン (Ion Honoura)
・tall:167cm
・B-W-H:85-57-84
・birthday:8/17
・blood type:B
・hobby:洋服のデザイン
・〝SOU〟skill:衣装系
これらのデータはあくまで炎浦イオンという仮想世界の人物の設定なので、あの
「そもそも、なんで編入なんかしてきたんだ?」
考えられるのは、今見直した〈
実はあのあと僕は、突如現れた推しアイドルの中の人に戸惑い、逃げるようにその場から立ち去っていた。「あっ! コラ! 待ちなさい!!」という怒声を背中に受けながら教室へ戻る。午後の授業に彼女は現れなかった。
申し訳ない事したかな…という思いもあるけど、それ以上にあまりにメチャクチャな命令をしてきた向こうが悪いという思いが、僕の脳内を占めている。憧れのアイドルの中の人に出会えたという感慨もまったくない。
「むしろ、中身なんて見たくなかったわ…」
うちの学校の芸能科をみたら、誰だってそう思う。普通科とはいえ、僕があの「ヴァンドーム学園」を志望校にしたのは、中学時代からドルオタをやっていたからに他ならない。けど、いざ入学してみれば「中の人」どもには失望するばかりだった。強烈なスクールカースト。普通科の生徒たちに対する傍若無人な振る舞い。やりたい放題。……だから入学以降、僕は中身は中身、外身は外身と割り切っている。
関わりたくはないけど、明日以降も久能は僕になにか言ってくるかもしれない。気が重いけど、話を少し聞くくらいはしないといけないかもな。本当に気が重い……
と、その時だった。とてもマヌケな、けど凄まじく巨大な音が僕の耳を叩いた。
ちゅどーーん!!!!!
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