1-4 間違っても思ってはいけない!

「さすが〈六華仙〉、歌もパフォーマンスも最高だね!けどアタシも負けないから!!」


 〈蒸貴公女スチームパンク・ガール〉は舌なめずりすると、足元で回転していた歯車をタタンッと踏み鳴らした。それを合図に歯車が数十センチ下へ移動する。ガシャン…と鈍い金属音を鳴らして、彼女が立つ歯車は周囲に広がる他の歯車たちと噛み合った。時計仕掛けの巨城が再び鳴動を始める。


 噛み合った歯車から動きを伝えられ、蒸気管の弁が開放される。ピストンから勢いよく蒸気が吹き溢れ、その圧力で別の歯車が回転を始める。その動きはまたたく間に彼女のステージ全体に伝播でんぱする。〈蒸貴公女スチームパンク・ガール〉のパフォーマンスが始まる…!


 炎浦のアウトロを押しのけるように、その曲のイントロが始まった。楽器は一つだけ、聴いたことのない音色だけど、多分オルガンのような鍵盤楽器の仲間だと思う。そしてそれが奏でる旋律も聴いたことがない。


「オリジナル曲か……」


 現在、SEEFで活動中のアイドルの6割強は、カバー歌手だと言われている。特に無名のアイドルは、作曲家の人脈、作曲AIを購入する資金、そういったものを持たない。だから既存の楽曲を拝借して活動することが多いのだ。

 そのため、著作権コピーライトフリーの歌を専門に作曲する作曲家なんてのもいる。けどこの曲はその類のものとは思えなかった。


 もっとも無名のアイドルとはいえ、これだけ大掛かりなステージを作り出せる相手だ。オリジナル曲を用意できる力があっても不思議じゃない。

 

  ”造花の森を抜けた先”

  ”天を貫く宝石の塔がある”


「へぇ……?」

 さっき炎浦とやりあっていたときの、やや低めの、だけど跳ねるような軽やかさも持つ話し言葉とはまるで印象が異なる。ガラスを思わせるような繊細で透き通った伸びがその声にはあった。


  ”さあ 案内しよう”


「ボイスチェンジじゃないよな…?」

 不思議なのは、声質が変わっていないことだ。仮想世界の中では、自分の声なんていくらでも加工ができるし、好みの声を売るショップも珍しくはない。曲によって衣装を着替えるように声質を変えるアイドルだっている。


  ”君たちにとって初めての世界”


 けど〈蒸貴公女スチームパンク・ガール〉の声はそういうのとは違う。音の高低、声量の強弱、それに呼吸、そういった古典的なテクニックで、話し言葉と全く違う印象を生み出している。これまで多くのアイドルを見てきた僕には、そうとしか思えなかった。

 

  "君たちが知りながら足を踏み入れなかった 私の世界"


「!?」

 歯車の間から次々と等身大の自動人形オートマトンの一群が飛び出す。 そして音の『圧』が変わった。

 鍵盤楽器ひとつだったメロディに、多数の管楽器、打楽器の音が組み合わさる。この多層的な音は、自動人形オートマトンたちが持っている楽器から発せられていた。

 が、その中でも圧倒的な存在感を持っているのが、他でもない〈蒸貴公女スチームパンク・ガール〉本人の肉声だった。先程の透き通るような声が更に表情を変える、声に激情が乗り、荒々しく観客の胸を殴りつけてくる。


  ”さあ 見せてあげよう 本物の華を 真実の輝きを"


 流石に今度は、音量に機械的な加工が加わっているかもしれないが、声質は依然変わりない。

「これってもしかして…歌声系の〈ソウ〉…なのか?」

 AI補正のかかっていない生の人の歌声。いやそれにしたって、人の声とはこれほど表情豊かなものだったのか!?


  "私は命じる 誰も私から目を背けてはいけない"


蒸貴公女スチームパンク・ガール〉の頭上にエモ・スフィアが発生する。その成長の勢いに…………誰もが目をむいた。



「………は?」



 成長なんてもんじゃない。ほぼ爆発だった。彼女の頭上に光の粒が生じたかと思ったほとんど次の瞬間、炎浦の光球スフィアに匹敵するようなサイズの輝きが時計仕掛けのステージを照らしたのだ。


 インパクトの勝利。全く知らないアイドルが、思いがけない実力を見せた。その驚きが大脳を過剰に揺さぶり、それが光球スフィアに予想外の栄養を与えたのかもしれない。


「え…? 何よこれ……?」


 炎浦の顔がゆがむ。目を見開き、半開きになった口を引きつらせ、急成長した〈蒸貴公女スチームパンク・ガール〉のエモ・スフィアを眺めている。


(あれ…?)


 その表情を見た時、僕の中に変な違和感と、かすかなときめきを覚えた。

 彼女をデビューから追ってきた。大型ルーキーとして、先輩たちを圧倒し、あっという間に〈六華仙〉にまで上り詰めるその過程を、そして〈六華仙〉の一人としてSEEFアイドル界に君臨する様を見続けてきた。


 高飛車キャラにお似合いの高笑いや、勝ち誇ったときのドヤ顔は彼女の名物だ。かと思えば、ステージに立ち歌うときの真剣な眼差しはしびれるほど格好いい。普段強気ツンな態度が多いからこその、素直デレたときの表情が身悶えするほど可愛らしい。

 ステージで、ドラマで、バラエティ企画で、彼女のあらゆる顔を見てきた。そのはずだった。


 けど……


「嘘……? こんなの……ありえない……」


 それは、初めて見る顔だった。


 本気の狼狽ろうばい。絶対王者は、高飛車ではあったけど、決しておごっていたわけじゃない。いつだって本気だった。手抜き仕事をしていたことなど一度もなかった。バトルならなおさらだ。だから、30勝無敗という偉業を成し遂げた。

 そんないつでも本気の彼女に匹敵するほどエモ・スフィアを成長させた、全く無名のアイドル。その存在に、明らかに彼女はうろたえていた。


(炎浦ってああいう顔するんだ……)


 そう思ったときになにか後ろめたいものを感じたけど、それでも僕は思考を止められなかった。


(もしも……もしも負けたとしたら、炎浦はどんな顔をするんだろう?)


 悔しがる?絶望する? 泣くのかな? 彼女の涙……そういえばドラマの演技意外で見たこと無いよな……?


「馬鹿野郎!」


 炎浦の涙にまで考えが至った瞬間にすぐ、炎浦ガチ勢を自認していた僕は自分を恥じた。そんな事、間違っても思ってはいけない! しかしすでに手遅れだった。〈蒸貴公女スチームパンク・ガール〉の光球スフィアは更に巨大化する。


 SEEFとは、デジタル化された思考と感情の世界だ。だからこそ今の僕の思考は、炎浦オタとして許されないことだったのだ。

 現実世界の僕が頭につけているLDRギアというデバイスは、冷酷に僕の脳波を読み取る。そしてそれは時計仕掛けの城の上空に送られ、そこに浮かぶ感情の光へと還元される。


 きっと僕と同じようなことを考えていた炎浦オタクが沢山いたのだと思う。光球スフィアの輝きは急速に巨大化していく。彼女はあまりに強すぎた。ゆえに、僕らは自分でも気づかないうちに期待してしまったんだ。


 炎浦イオンが負ける、その瞬間を……

 

「ゲーム・セット、かな?」


 いつのまにか〈蒸貴公女スチームパンク・ガール〉の歌は終わっていた。時計の城に立つ自動人形オートマトンたちがアウトロの演奏を終えた時、二人の上空に浮かぶエモ・スフィアの大きさには倍近くの差が生まれていた。

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