1-2 蒸貴公女(スチームパンク・ガール)

一ヶ月前


 その日僕は、SEEF世界に存在する〈プラネット・システム〉という空間にアクセスしていた。炎浦ほのうらイオンがパーソナリティをつとめるラジオ番組の公開生放送がそこで行われていたのだ。


 砕いた宝石のような星々と、鮮やかなグラデーションで光る星雲。宇宙を模した空間は重力がゼロに設定されていて、僕を始め炎浦のファンたちは、この人工の宇宙に浮かぶ天体と化していた。


 空間の中央には球形のフィールドが浮かんでいる。そのフィールドを発する光は、他の星々のグラフィックとは比べ物にならないほ明るい。その光の球体の中央には、赤を基調とした金属のトラス柱と、鏡面仕上げのパネルで構成された建造物がそびえ立つ。

 素材自体は無機質でシンプルなものだった。けど、それらが構成するモノは、古代ギリシアの神殿のような優美さを持っている。

 所々に篝火のような発光体が置かれ、鏡面仕上げの壁面に反射し、建物全体が輝いてみえる。それが、この中央の星の輝きの正体だ。

 炎浦イオン専用のステージオブジェクト。規模の大小はあるが、彼女のイベントでは、いつもこのタイプのオブジェクトが展開される。SEEFでは、有料無料合わせて無数のステージオブジェクトが公開されているが、これは〈六華仙〉の一人、炎浦イオンのみが使うことを許された特別仕様だ。


 そんな専用ステージの上で、この日彼女はゲストアイドルとのトークを盛り上げていた。イベント参加権を手に入れた僕たち3000人のファンは、さながら恒星・炎浦イオンを取り巻く大小の惑星群のように、緩やかに公転しながら中央で華咲くトークを観覧していた。


「私が〈六華仙〉じゃなくなる時? それってSEEFがサ終するときでしょ?」


 話の流れで炎浦は、例の名言録の最後の一つを口にした。その次の瞬間だった。


 バシッと収録会場に響き渡る音。彼女の頬に白い手袋が叩きつけられ、一瞬だけ張り付き、はらりと堕ちた。

「それならさ、アタシと勝負してみようよ!」

 炎浦イオン星系に属する全天体がざわめく。いつの間にか炎浦の目の前に見知らぬ黒い影が立っていた。


 漆黒に鮮やかな光沢が浮かぶフロックコートとシルクハット。きれいに磨かれているが、新品には無い風合いを持った革のブーツ。赤みがかった金髪は短く切られて前髪と襟足のみがハットから覗いている。

 スチームパンクの世界に搭乗する英国紳士と言った出で立ちだが、前開きに身につけたコートの間から豊かな胸が突き出ていて、そのアバターが女性モデルとしてデザインされていることを雄弁に語っていた。


 突然、音もなくこの場の主役の前に現れた人物に、観覧客たちも理解が追いつかない。「え、何?」「 誰だアイツ?」「 なんかのサプライズ?」そんな声が、衛星たちから聞こえてくる。


「おいTEIKA、アレは誰だ?」


 僕も小声でつぶやくように確認支持を出す。SEEF世界での僕の水先案内人、サポートAI『TEIKA』が回答する。


DBデータベースを検索します」


 パーソナルDBデータベースにはこれまでSEEF世界で僕が体験したこと、見聞きしたこと、そしてAIが僕のニーズに合っていると判断した情報が蓄積される。

 中学入学から4年半この仮想世界で生粋のドルオタをやってきた僕のDBデータベース。僕自身が知らない顔だとしても、突然〈六華仙〉のステージに現れるような人間の名前なら入っているはずだ。


「ハンドルネームは〈蒸貴公女スチームパンク・ガール〉…それ以外わかりません……ハウンド・マウンド様に提供しているDBデータベースには存在しないユーザーです」


 意外な回答だった。僕も、僕のサポートAIも知らない人物…?


「はぁ? 誰よ? アンタ?」


 突然現れ白手袋を叩きつけた人物をにらみつける炎浦。


「通りすがりのアイドルってところかな。まだデビュー前だけど」


 デビュー前のアイドル? まだライブをやったり音源を出したりしていないということか?

 わざわざ宣言することでもないだろう、と思った。思考がそのまま形になるSEEF世界では、なろうと思えば誰でもアイドルになることが出来る。ヴァンドーム学園芸能科のように専門的なスキルを教える場もあるけど、レッスンを受けていない全くの素人でも、自分がアイドルだと思えば、その人はアイドルなのだ。


「ここ、私のステージなんだけど…? なんでアンタが入ってこれるわけ?」


 炎浦は突如現れた闖入者ちんにゅうしゃに苛立ちを隠さない。当然だ。公開収録とはいえ、中央のステージには番組に出演する炎浦本人とゲストアイドルしか入れないよう、プロテクトがかかっているはずだ。にもかかわらず、シルクハットの女は何の前触れもなく彼女の聖域に出現した。


「細かいことはどうでもいいって。それよりもさ。勝負、しようよ?」


 やや低めだけど軽やかな声で謎の女は言う。


「勝負? 私が誰だか知ってるの? 〈六華仙〉の炎浦イオンよ?」


 対象的に、綺麗なソプラノだけど明らかに苛立ちのトゲが混じっている炎浦の声。


「それが?」

「私には〈六華仙〉としての格と誇りがあるの。それに見合う相手意外と軽々しく勝負なんて出来るわけ無いでしょ? ましてどこの馬の骨ともわからないアンタとなんて…」

「そっか。確かに言い訳できないしね。馬の骨と勝負して、負けでもしたら」


 うわっ!? 何言い出すんだあの女!


 ステージの周囲に展開されているモニターには、頬が紅潮し眉がつり上がっている炎浦イオンの顔が、どアップで映されている。怒っている。高飛車女王様が明らかに怒っている……。


「戦うこと自体が私の恥だって言ってるのよ!?」


 怒声。二人の間に挟まれたゲストアイドルはかわいそうに、両者を交互に見ながらオロオロしている。彼女の顔はモニターに写っていないが、涙目で必死にこらえているのは遠くからでもわかった。まさか自分がゲストの回、それも公開収録の日にこんな事が起きるなんて思ってもいなかったろう。

「警備システムはどうしたの!? 誰かコイツをつまみ出しなさいよ!!」

「うーん、ごめんね。多分それは出来ないよ。だって…」

蒸貴公女スチームパンク・ガール〉という名前らしい女は、すっと右腕を上へ伸ばし、パチンと指を鳴らす。


「ここのシステムは、今アタシが掌握してるから!」


 宇宙空間全体が鳴動する。炎浦イオン専用ステージの一角、彼女のパーソナルカラーである赤色のトラス柱や鏡面パネル、それに炎浦の顔をアップで映していたモニターが崩壊し、光の粒子パーティクルとなって霧散していく。


「なっ! なによこれ!?」


 〈蒸貴公女スチームパンク・ガール〉の足元の空間が裂け、何かがせり出してくる。消滅したステージの空虚を埋めるように同じくらい巨大な「何か」が姿を表す。

 歯車。複雑に噛み合い、回転する、大小いくつもの歯車。その周りを無数のパイプが走り、所々で蒸気が噴き出すシリンダーに接続されている。それらの中央には巨大な白い円盤。そこにはローマ数字でⅠ~Ⅻまでの金色の文字が刻印されている。そして鋭い剣を思わせる長短二本の針……。

 時計だ。巨大な歯車と蒸気仕掛けの時計。〈蒸貴公女スチームパンク・ガール〉という名にふさわしい、このフロックコートの女のステージオブジェクトだ。


 巨大な城を思わせる大掛かりな時計台が全貌を現すと、歯車群は動きを止めた。文字盤の手前に水平に置かれた直径3~4メートル程度の大型歯車だけが、静かにゆっくり回転を続けている。〈蒸貴公女スチームパンク・ガール〉はその歯車の中央に立っている。歯車の軸にあたるそこだけは回転していないのか、彼女は微動だにせず、まっすぐ炎浦を見据えていた。


「これがアタシの舞台。あなたはそっちの自分の舞台。それぞれのステージでパフォーマンスを披露するの。審査員は、今この場にいる観覧席の皆! それでどうかな?」


 いや、どうかなと言われても……

 「観覧席の皆」の一人である僕は戸惑う。他の人達も同じ思いだろう。みんな今日は、炎浦とゲストの和気あいあいとしたトークと、最期に披露される新曲のミニライブを目当てに来ているのだから。いくら、他のアイドルとのバトルが多い炎浦イオンのオタクとはいえ、今目の前で起きていることは想定外だった。


「……なるほどね」


 そんなオタクたちの動揺とは裏腹に、炎浦本人の声は落ち着いていた。突然自分の聖域を破壊された怒りだって当然あるだろう。それでも、彼女はゆっくりとはっきりとした声で闖入者にちんにゅうしゃ話しかける。


「私の世界に介入してきて、これだけ大掛かりなステージを作り上げる。それなりにスキルがあるみたいね……?」


 炎浦は目の前に築かれた時計仕掛けの城を見上げていた。いつの間にか中央のフィールドに居るのは炎浦と、謎の女の二人だけ。その場にいづらくなったのか、スタッフAIの指示なのか、いつの間にかゲストアイドルはログアウトして姿を消していた。


「いいわ。挑発に乗ってあげる。でも覚悟しなさい。ここにいるのは全員私のファン。この人達に私よりスゴイと思わせるなんて、はっきり言って無理ゲーよ?」


 炎浦の瞳に不敵な闘志が燃え輝いた。こうなったら、予想外とか言ってられない。炎浦オタは突如始まろうとしているバトルに高揚する。僕も、その前に浮かぶグループシートに座るオタクの一団も、いや、この場にいる全ての観覧客が歓声を上げた。


「……かもね」

「それでも勝負するって言うなら、負けた時どうなるかわかってるでしょうね?」

「アハハッ 怖いなぁ」


鋭い怒気のナイフを突きつけられてるのに、ひるむこと無くシルクハットの女は笑う。


「いいよ、なんでも言うこと聞いてあげる。アカウントを消せと言うなら消すし、ご希望なら番組を潰した損害賠償だって払ってあげるよ。そのかわり…」


蒸貴公女スチームパンク・ガール〉の目がぎらつく。


「アタシが勝ったら〈六華仙〉辞めてもらうよ…?」

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