◆エピローグ◆
今朝はようやく近付いてきてくれるようになった小鳥達へ、迷惑をかけていた間のことを詫び、いつもより粉のキメが細かい上等なパンを振る舞っていた時に、ふと《
父からはメルダース様とのことが終わってから何もお話がない。きっと小鳥達の間違いだと思いつつそれでも胸騒ぎがして、今日は来客があるからと執務室にいる父の元へ向かったのだけれど……。
そこにはいつも通り穏和な微笑みを浮かべた父がいて、私の姿を見るなり「やぁ、ちょうど良いところへ来たねクラリッサ。今回のお話をノイマン殿から頂いた時は驚いたけれど、父様は彼の方がお前に合っていると思うよ」と、本当に嬉しそうに仰って下さった。
ホクホク顔の父はそのまま「今日はこの後ノイマン殿と会う約束があるから、少し帰りは遅くなるよ」と言い出す始末。考えが上手く纏まらない頭でエントランスまで見送ったものの、残されたのはこの状況がよく飲み込めない私と、愛想の良い微笑みを顔に張り付けたヴィルヘルムだけで。
いつもなら私を庇ってくれるアデラは父に同伴するように言いつけられ、父が乗り込む馬車の傍でこちらを窺い、困った風に微笑むだけだったわ。全部私の知らないところで仕組まれていたのかと思うと、怒りと情けなさで歯噛みするしかない。
「――こんなの騙し討ちだわ。卑怯よ」
「そう言われるとは思っていたがな、最初に“契約書”はしっかり読めと言っただろうが。もしもあの日に忠告通りきちんと読んでいたら、俺はここに婿養子として送り込まれてきていないだろう?」
「それは、そうだけど……でも、やっぱり卑怯よ」
「まぁ、卑怯なのは認める。しかしそれが商人だ。それに――こっちとしても断られたくなかったんでね」
文句を言う私を見下ろすヴィルヘルムの表情は、飄々とした言葉とは裏腹にどこか不安そうに翳る。グッと下から睨み付けるように見上げれば、その顔はふいっと逸らされて、代わりに「持参金なら、あんたの満足する額を用意するさ」と。やはり彼らしくもない自信なさげな響きを含む。
「それに持参金があんたの望む金額に足りなくても、俺がこの家に婿養子として入れば、キルヒアイス領にノイマン商会の支店を構えるつもりだ。うちの家の看板は他の商人達にとってはそれなり以上の魅力に映る。今よりもこの領地に商人が増えて、商品の流通経路が整えば……クラリッサ。あんたが望むように財源も潤う」
いつもは腹立たしいほど傲慢にこちらを見つめるはずの双眸は、彼の野心家な一面を完全に消し去ってしまっている。やり口の狡猾な商人としての顔も、ノイマン商会の長子としての顔も削ぎ落とされたそこにあるのは、ただの【ヴィルヘルム】という青年で。
癖の強い黒髪も、浅黒い肌も、光によって赤く見える瞳も、身内にだけ甘いところも――……全部、私が知る【ヴィルヘルム】だ。それなのにいつの間にか、初めて出逢った時よりも、私の中でずっと大きな存在になってしまった。
その横顔を見上げていたら、不意に「貴男は【転生】という概念を信じたりする方かしら?」という言葉が口から零れて。
急な私の問いかけにようやくこちらを向いた彼が「さぁ、生憎と【転生】とやらをしたことがないから分からないが……。分からないからこそ、あるのだと言われたらあるのだろうと思う」と答えてくれる。
概ね思った通りの内容が返ってきたことに気を良くして「さすがは商人、柔軟性があるのね」と頷けば、彼は「それが今のこの状況に、何か関係があるのか?」とこちらを見下ろす。
「あると言えばあるし、ないと言えばないわ。でももしも【転生】してしまったとしたらよ? ヴィルヘルムがその時、どこのどんな生き物になっているかは分からないけれど……それでも貴男は【来世】にいるかもしれない私と、また【今世】のように付き合えるかしら? 例えば合鴨とか」
我ながらおかしなことを訊いている自覚はあるし、いつもの転生ではそんな“誰か”を求めたりはしないのだけれど。何故だかこの次に転生する時には、きっと寂しいと感じる気がしてそう訊ねた。
するとヴィルヘルムは苦笑して――、
「ふん、何だそれは。クラリッサの考えることは大抵変だが……相変わらずおかしなことを聞くな。当然だろう。もしもクラリッサの言うように同じ時間軸に【転生】することがあれば、どんなことがあったとしても、必ず探し出してみせるさ」
と、そう言って私の頬を摘まんだ。ムニムニと頬を弄んでいたカサついた指先は、そのまま輪郭をなぞるように撫でて離れていく。
人間とはとても現金な生き物で。強欲で、足ることを知らず、人の温もりを憶えたらそれを手離すことに恐怖を感じる。多種多様な生物の中でだと、最も弱いところに位置するに違いないわ。
ジッとこちらを見下ろす双眸に「約束できて?」と問いかければ、すぐに「愚問だな」という自信家な言葉が降ってくる。ねぇ意地悪な転生神様、今の言葉が聞こえたかしら? 私はこの人やアデラが一緒にいてくれるなら、何度【転生】してあげても構わないわよ。
「だけど残念なことに私の来世は松らしいの。山火事でもあれば即転生かもしれないわね。もしもそうなったとしても、一緒にいたいと思える?」
割と真剣に訊ねた私を、急にヴィルヘルムの腕が力強く引き寄せる。突然のことに踏ん張りがきかずにその胸に飛び込む形で抱きつけば、肩口に顔を寄せたヴィルヘルムが「愚問だな」と、また答えてくれる。
――ドクッドクッ、
――ドクンドクン、
抱き合うお互いの身体から響く音が心地良いから、許すわ、神様。
だから【来世】もどうかこの人と一緒に、しがらみが多くて面倒くさい、大嫌いな人間にして頂戴ね?
転生体質令嬢の打算的恋愛事情◆人間転生とか最悪です◆ ナユタ @44332011
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