◇幕間◆守り役同士の意地と意地。
お屋敷の中庭に出る裏口の前に座り込み、鋲の打たれた重たいドアに耳を当てていると、外からお嬢様の可愛らしい遠吠えが聞こえてくる。その遠吠えに合わせるように幾つかの遠吠えが細く聞こえ、お嬢様がそれにまた応じた。
直後に咽せて咳き込む音に、意地らしさを感じてしまいますけれど『ねぇ、アデラ。私一晩だけ人間を辞めるわ。だから……私を人間に戻してね?』と告げた声が、微かに震えていたことを聞き逃すわたしではありませんわ。何があろうともこのアデラ、お嬢様から離れませんもの!
キルヒアイスのお屋敷でノイマン商会の伝書鳩から手紙を受け取った時、あの常に冷静なお嬢様の顔色が一気に青ざめたように見えて驚き、それと同時にわたしだけのお嬢様でいて下さる時間の終わりも感じ、嬉しいような、悲しいような、何だか複雑な気持ちになった。
それにいつまでたってもお嬢様に懐かないメルダース伯爵の娘にも、娘を説得できないでお嬢様を疲弊させる伯爵にも憤っていたから、ノイマン様の行方不明の一報はそう悪いばかりでもなかった。それを抜きにしてもお嬢様に自信を与えてくれた方だから捜しにきたのだけれど。
ドアの外の音に耳を澄ませながらお嬢様の作戦をゆっくりとなぞる。
一、最初に小鳥達に話を訊く。
暗いからあまりアテにはならない。
昼間みた情報を教えてもらう。
二、次は倉庫にいる猫達。
夜目がきいて探索の頼りにはなるけれど、
猫は嗅覚に不安があるので補うものを手配。
三、野良犬。
どれくらいの頭数がいるか分からないけれど、
嗅覚を頼りにしての失せもの探しには重宝。
ただし猫との合同捜索では取扱いには要注意。
この三種族を使って捜索するというお嬢様の提案をわたしは了承し、合図に合わせて自分が取るべき行動のために待つ。けれどやはりと言うべきか、約束事を守れずに興味本位で覗きにくる輩はいるようですわね……?
呆れ半分憤り半分という体でその場に仁王立ち、廊下をこちらへと歩いてくる不埒な覗きに向かいランプを掲げたけれど――……お相手の顔は、わたしの予想の遥かに下にあって。
そこには緩く波打った黒髪に金に近い茶色の瞳の少年が立っていた。
思わず怒ることを忘れて「あら、小さな覗きさんねぇ?」と声をかければ、少年は「ごめんなさい」と素直に謝ってくる。どうやら部屋から出てはいけないという約束は憶えているようだけど、だったらどうしてこんなところにいるのかしら?
――と、暗闇の向こうから「フバート様、どちらですか?」と若干焦りを含んだ声が聞こえてきて、少年はその声にビクリと肩を震わせた。きっと守り役の声なのだとあたりをつけ、視線で“匿って”と訴える少年を無視して「こちらですわ」と応える。
恨めしそうに見上げてくる金に近い茶色の瞳は可愛らしいけれど、残念、うちのお嬢様の方が万倍可愛いからそんな目をしても無駄よ? 背中に庇ったドアの向こうからは、集まってきた野良犬達がご馳走のステーキ肉にかぶりつく生々しい音が響いてくる。
私はこの音が聞こえなくなった頃に第三倉庫に走って行って、猫達に犬の後を追うように合図を出し、その後さらにこの店で雇われている護衛に猫達の後を追うように告げなければならない。
そうしてそれらが全て片付けば、ようやく中庭で震えているお嬢様を迎えに行けるのだもの。ここでお子様のお相手をしている場合ではないのよ。
少しの間の後、追いついた守り役の姿がランプの明かりによって暗闇に朧気に照らし出され、その姿を見たわたしはまたも「あら」と声を漏らしてしまう。よくよく縁のある彫金師さんだこと。
相手も一瞬わたしと同じように目を丸くしたものの、軽く会釈をしてすぐに「今夜は出歩いてはいけないと、あれほど申し上げたでしょう?」と、俯く少年に説いていた。けれど少年はその言葉に納得できなかった様子で「ボクも兄上を……」と、小さな拳を握りしめている。
こういう時守り役としては、そんな意地らしい姿と優しい心根を叱ることは難しい。それはわたしにもとてもよく分かる。やはり困った様子で穏やかに「フバート様のお気持ちはご立派ですが……」と言葉をかける姿と、ドア越に聞こえる犬達の気配に気が気でない。
しかしわたしがこんな場所で情操教育は止めて欲しいと言い出す前に、背後の気配が変わった。ご馳走を平らげた犬達が、お嬢様の捜索要請通りに移動を開始したのだ。
そこで色々どうでもよくなって「メソメソしている暇があるなら行動なさいまし!」と檄を飛ばし、俯く少年の手を手を取って第三倉庫に駆け出す羽目になってしまいましたわ……。
***
突然フバート様を叱咤して駆け出した華奢な背中を追いかけて辿り着いた先は、ジャスパーの職場である第三倉庫だった。僕達が辿り着いたと同時に一斉にこちらを振り返る猫達の瞳は、疵のない最上級の宝石のようだ。
その中でも一際大きな白い猫が代表者のように進み出てくると、引きずられるように走ってきたフバート様が、息を切らせながらも嬉しそうに「レジーナ!」とその猫の名を呼ぶ。
レジーナと呼ばれた猫は一度だけフバート様に《ニャオウ》と鳴くと、月のような双眸を彼女に向けてジッと見上げた。すると薄明かりの中でこちらを窺う猫達の中から、僕の存在に気付いたジャスパーが駆け寄ってくる。
足許にピタリと身を寄せるジャスパーを抱き上げると、チラリと横目にこちらを見た彼女は、すぐに無言のまま他の猫達に向かって倉庫の出入口を指差す。猫達はスッとそちらに視線を向けたかと思うと、一匹、また一匹と外の暗闇に駆け出して行った。
最後の一匹になったレジーナはクルリとこちらを振り返り、尻尾を一振りして《オアァーン》と間延びした声を上げ、何故か彼女は「頼みましたわよ」とそれに応えた。
その姿は常なら笑っているように見える青い目と、フワフワの金髪を持った彼女の容姿と相まって、まるで猫が人の姿を得たようだと感じる。そんな彼女の横顔にフッと頭の中に新しい細工のデザインが浮かぶ。
自然物を得意とする中で、まだ人間の横顔をデザインに取り入れたことはなかったが、何故か最初は彼女の横顔が良いと思ったのだ。たぶん猫と人間の間にいるような佇まいが想像力を刺激したのだろう。
頭の中で素描を描く僕を振り返った彼女は、キッと形の良い眉をはねさせると「ボサッとしていないで、次に行きますわよ!」と言うが早いか、またもフバート様を引きずるようにして駆け出した。
腕にジャスパーを抱えたまま後を追うと、今度は護衛の詰めている部屋の前で立ち止まり、ノックもせずにドアを開けると「おのおの方。打ち合わせ通り、窓から見える猫の後を追って下さいまし」と告げるや、そのまま休みを挟まずに元きた道を駆け出す。
普段からあまり外で走り回ったりなさらないフバート様は、すでに肩で息をしている。その様子を見かねて彼女の前に回り込み「一度休憩をさせて差し上げなくては」と申し出るも、彼女は湖の底を思わせる青い瞳を細めて鋭い舌打ちを一つ。
「ああ、もう……これだからお坊ちゃんは足手まといですわぁ。そうやって甘やかすだけなら、きちんと部屋に押し込んでおいて下さいませ」
一応以前まで居を構えていた領地の領主に遣える彼女といえども、極めて無礼とも言える発言にこちらが反論をするよりも早く。
するりとフバート様の手を離した彼女は、僕の手にランプを押し付けて「ぐっすりと眠れるように、お休み前のお話でもして差し上げたらいかが?」と言い残すと、足早に暗闇に消えた。
けれど気を取り直してしょんぼりと肩を落とすフバート様の傍らに膝をつき、何か慰めの言葉をかけようと口を開きかけた僕の耳に届いたのは『クラリッサお嬢様、どこにおられるのですか!!』という、さっきの凛とした声とは裏腹な彼女の、取り乱しきった声だった。
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