*17* だから人間転生は嫌なのよ。


 メルダース様と婚約を目標に始めた交際から早二ヶ月。三歳児というものは例え貴族の娘であろうとも、まだ野生の記憶を残して生きているものなのだと痛感していた。


 困ったことに幼い子供からは、私は“人間”に見えないらしいのだ。考えてみれば大人が不気味がるのに、子供が怯えないはずがないのよね……。結果どれだけ笑顔を浮かべようとしても全く表情の動かない私に、ゾフィーが懐いてくれない。


 焦りは禁物だと分かっていても、毎回顔を合わせるたびに泣き出されてはこちらも気が滅入る。メルダース様も何度も謝って下さるのだけれど、こればかりは仕方がない。


 アデラは時々教会に子守りのお手伝いに出かけているから、最後の頼みの綱だったのだけど『お嬢様に好意的でないお子様はちょっと……』という、だいぶ心配な言葉をもらってしまって八方塞がり。


 毎日溜息ばかりが増えていく私を見た父は『なぁクラリッサ。お相手は、どうしてもメルダース様でなければならないのかい?』と、心配して下さる。確かに意地になっている部分はあるかもしれないという自覚はあった。


 でもヴィルヘルムが捜してきてくれた候補なのだから、きっとメルダース様なら間違いないと思っているし、実際彼はゾフィーを泣かしてしまう私にとても良くして下さる。それがまた余計に心苦しいのだけれど……。


 そんなこんなで、泣いて拒否をされるたびにゴッソリ気力を持って行かれる私にとって、ノイマン商会から振り込まれる情報代金は、自信回復に一役買ってくれる心の支えとなっていた。だからこそ、アデラと一緒につけている給与明細は唯一の楽しみ。


 そんなノイマン商会からの伝書鳩は、白い伝書鳩は目立つから情報を抜き取られやすいということで、普通の鳩と同じ色をしている。


 パッと見た感じはただの鳩である給与明細――もとい、ノイマン商会からの報せを彼等(?)が届けてくれた時は、いつもならその場で充分に労い即座に手紙を改めることにしているのだけれど……。


 アデラを呼んで一緒に手紙を開いて目にした内容に、慌ただしく屋敷を出かける準備を整えてノイマン商会の倉庫の裏口に立ったのは、それから四時間後の夕暮れ間近のことだった。


***


 到着後すぐに私達は倉庫の裏口から店舗を構えた側とは違う建物に通され、本来商談に使われるのだろう仰々しい部屋へと案内された。そこでソファーに腰を下ろすよう勧められて、アデラと共に待つこと五分ほど。


 入室してきたのは全員で五人だけれど、恐らく従業員達の中でも古参で、それなりの地位についていると思われる人達だ。彼等の表情はどれも悲壮感の漂う沈痛なもので、招かれた方からすれば、この先ろくな会話が繰り広げられないであろうことは想像に難くない。


 そんなアデラにとっても私にとっても嬉しくない初めましての中で、一際威圧感のある初老の男性が「此度は一介の商人如きが突然お呼びだてしてしまって申し訳ございません、キルヒアイス様」と頭を下げてきた。


 けれどそれというのもヴィルヘルムが極端な秘密主義者で、私がどこの誰かを家族にも教えずに鳩を飛ばしていたせいでもある。伝書鳩がどこに行き着くのか、どんな身分の人間が受け取るかは、現れる人間待ちだったのだろう。


 その点で言えば、噂が一人歩きをしている私が現れたことで身許がバレるのは、致し方のないことだわ。


 癖の強い黒髪に、この国では珍しい浅黒い肌。口許には整えられた髭を蓄えており、ふと上げられた鋭い視線がどこかの誰かを彷彿とさせる。思わず気圧されそうになる自分を叱咤して「いいえ。仕事を共にする方の窮地とあれば、我がキルヒアイス家の人間はそこがどこであろうとも必ず駆けつけますわ」と答えた。


 例えそれが私達の家の没落に拍車をかけたのだとしても、祖父や父がその矜持を持っていたのであれば、私もそうありたい。ただその直後に、隣でアデラが「流石お嬢様ですわぁ……」と感極まって呟くものだから、こんな場であるのに危うく口角を上げてしまうところだった。


 実際私達から見て初老の男性の真後ろに立っていた、どこかで見たような雰囲気を持つ青年が僅かに苦笑するのが見えた。いったいどこで見かけたのかと首を傾げた私の隣で、先に答えを思い出したアデラが「お嬢様……あの方、以前キルヒアイス領で宝飾品を商っていた方ですわぁ」とヒソリ、教えてくれる。


 アデラの答えに成程と頷き返していると不意に控えめな空咳が聞こえ、慌てて意識を前に戻せば、初老の男性がこちらを見て苦笑しているところだった。会話の途中でよそ見をするなどあってはならないことなのにと、自分の失敗に歯噛みする。


 けれど男性はそんな私の失敗など気付かなかったという風に微笑み、


「寛大なお言葉いたみいります、キルヒアイス様。名乗り遅れましたが、わたしはマリウス・ノイマンと申します。我が愚息がいつもお世話になっておりましたようで……ご挨拶が遅くなりましたこと、重ねて申し訳ございません」


 ――と、彼から見れば小娘でしかない私に対して、大仰すぎるほど畏まった挨拶を返してくれた。一瞬これがあの傍若無人を人型にしたようなヴィルヘルムの父親かと本気で疑ったものの、その瞳の奥が少しも笑っていないことに気がついて妙な安心をしてしまう。


 マリウス様は私の探るような視線に気付いたのか、僅かに口許を綻ばせ「今日お呼びだてさせていただきましたのは、他でもない愚息のことでして」と話を切り出した。


 その発言にこちらへ出向く理由になった手紙の内容を思い出し「ええ、手紙ではこの一週間行方が……」と言葉を濁す。意図せず微かに声が震えたのは、明言することが怖かったからだろうか。


 するとマリウス様はこちらの心を見透かすように薄く笑い「恥ずかしながらその通り、少々愚息の行方が知れなくなっておりましてな。恐らく当家に勝手な恨みを持っている同業者にでもしてやられたのでしょう。不甲斐ないことです」と言葉を続けた。


 一瞬あの夜会の席であった一件を思い出して納得するも、もしもそれが本当なのであればもっと焦るべきではないのかと、内心苛立ちも覚える。獅子は千尋の谷に子を放り込むというのはものの喩えで、実際にそんなことをすれば死んでしまう。


 それとも商人とはやはり、寿命のある悪魔なのだろうか――?


「従業員達に聞くところによれば、キルヒアイス様は占術に長けておられると。そこで折り入ってお願い申しあげたいのですが……どうか一つ、うちの愚息の行方を占っては頂けませんか? 勿論タダでとは申しません・・・・・・・・・・


 話の全容は理解できたものの、最後の一文に特に力が入っていたように聞こえたのは何も気のせいではないだろう。一代で男爵位を得た目の前の稀代の商人は、自身の目の前に座る得体の知れない小娘を牽制したのだ。


 大商人といえども一部の貴族とだけの取引を優先しているのではないし、うちのような没落貴族との繋がりなど本来はない方がいいに違いない。取引によっては後々どんなことで寄りかかられるか分かったものではないと、この大商人ヴィルヘルムの父親は思っているのだ。


 正直面白くないけれど、利己的なのが人間だものね。仕方がないわ。それに私が腹を立てなくても、隣にいるアデラの纏う気配が若干尖ったことが嬉しいから、他人に侮られても構わない。


 ――……私の相棒は目の前に座るノイマン男爵ではなく、息子であるヴィルヘルムなのだから。


「それではその件・・・については成功した時に話し合うとして……今から私が言う占いに必要なものを、可及的速やかに用意していただけるかしら? この間にもどこかで身を危険に晒されているかもしれない、相棒・・の命を助けたいので」


 没落子爵の令嬢如きが、飛ぶ鳥も落とす勢いの大商人を相手に偉そうに虚勢を張ったところで、何になるわけでもないけれど。それでも隣にいるアデラや、私の能力を買ってくれたヴィルヘルムの恥になりたくはなくて。


 だけどそんな私の無礼な物言いに、それまで威圧感たっぷりに目の前に座っていたノイマン男爵は、突然バシッ! と大きな音を立てて膝を打ったかと思うと、天井を仰いで「何でこっちにせなんだ、あの馬鹿息子は……!」と。何やら悔しげにそう叫んだ。

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