*15* 野望に一歩前進、よね。


 ――それは先のお茶会で仕入れた情報をヴィルヘルムに流してから、一ヶ月後のことだった。


『今度こそ喜べクラリッサ。今回の相手は伯爵家の三男で、オイゲン・メルダース。見目の良い二十七歳だ。聞き込みの結果では、優しい性格らしいが若くして先妻を亡くされた方でな。幼い娘が一人いる。優良物件だがそこが心配部分なのかもしれん』


『ではまずはそのお子様の懐柔が大切ということですわね。どんなお子様か知りませんが、わたしのお嬢様に懐かないわけがありませんわぁ。何にしてもちょうど良いお相手が見つかって良かったですね、お嬢様』


『待ってアデラ。何故鉄面皮の私に子供が懐くと無条件で思ったの……?』


『じゃあひとまず次の見合い相手はコイツで決まりだな。幸い相手の親はうちのお得意先と懇意にしている伯爵家だ。話をつけてもらって日取りが決まったら、それとなく偶然を装った席でも設ける。期待していろ』


 あの時は彼もミッテンベルグ子爵の外堀を埋める準備に忙しいのに、耳寄り情報を手土産に屋敷を訪れてくれたのだと思うと嬉しかった。今はあの四阿の下で交わされた気心の知れた会話が少しだけ懐かしい。


「クラリッサ嬢、こちらの焼き菓子もどうかな? どんなものがお好みか分からなくて、娘の喜びそうなものを手当たり次第に用意してしまったものだから……すまないね」


「いいえ、そんなことはありませんわメルダース様。私も流行りのお菓子などには疎いものですから、次はどれを摘まんでみようかと迷ってしまって。お嬢様ともども、細やかなお心遣いいたみいります」


 一度目はヴィルヘルムの仲介で潜り込んだお茶会で偶然を装って出会い、二度目はお互いの家の知り合いがいるお茶会の席。今日はついに屋敷に直接招かれて、三度目の顔合わせの最中なのだけれど――。


 詳しい理由はしれないものの、亡くなった前妻様のお家にそのまま居続けることは出来なかったようで、自領の中に用意された小さな屋敷に、少人数の使用人達と暮らしている慎ましい方だ。


 釣書にあった通り性格も穏やかで温かみのある赤毛と、柔和そうな焦げ茶色のたれ目をしたがっしりとした体格のメルダース様からは、今のところこちらを軽んじるような気配も見えない。


 だというのに――……結論から言ってしまえば、今の私は正直かなり気詰まりしている。それというのも最近はヴィルヘルムとの明け透けな会話に慣れてしまい、淑女の立ち居振る舞いを若干サボっていたからだろうと思う。


 貴族らしい優雅な振る舞い、相手を敬う穏やかな会話内容。素晴らしく手入れの行き届いた広い庭園は、今が盛りの秋薔薇の甘い香りで満ちている。


 頭上では何故かキルヒアイス領から私達を追いかけてきた小鳥達が、アデラ並の過保護さで『チュピピ表情が固いよ、、キュルルルル頑張ってもっと笑って』『キュククク見ててやるからピュルルル肩肘はるなよ』『チュチチチ今回こそ必ずピーヨヨョヨヨ番を捕まえるのよ』と騒がしく囀って応援してくれるけれど……ちょっとうるさい。


 そして恐らくどこかで私の噂を聞いたのだろうメイドの手で、怖々と目の前に用意されたティーカップの中の紅茶は踊り、ソーサーに飛び出して紅茶色の水玉模様を作った。


 ここまであからさまに招かれざる客という対応をされると少し困る。何故なら私の背後からこの屋敷のメイド達に、ニッコリ・・・・と笑いかけているアデラの堪忍袋が切れてしまいそうだから。


 けれど無理を言ってこの場に同席させてもらっているアデラは、その柔軟な表情筋を最大限に活用して堪えていた。その後三時間ほど私はそんな彼女に“あと少しだけ堪えて!!”と心の中で叫びつつ、表面上は長閑な会話を楽しむふりをして相槌を打ち続けたのだった。



***



「もう、本当に、本っ当に――……格の低いメイド達ばかりでしたわぁ。でもご本人様はお優しそうですし、子連れでこちらに婿入りされた場合は、あちらの土地の一部を頂けるかもしれませんわね」


 次に会う約束を取り付けたメルダース様に見送られて乗り込んだ帰りの馬車内で、正面に座っていたアデラが何だか物騒な発言をする。


 けれどその言葉に「アデラったら……もしかして私の頭の中を読んでいたの?」と冗談混じりに返す。けれど心の中は不気味がられる主人を持つ彼女への申し訳なさと、私のために憤ってくれることへの喜びが滲んでしまうわ。


 アデラとふざけ合ううちに、あのお茶の席で感じていた居心地の悪さはすっかりと失せて、今度は代わりにあちらに対しての申し訳なさが浮かんだ。


「私のお相手をして下さった彼はお気の毒ね。今日はお会いできなかったけれど娘さんがいるだけで、お金にしか興味のない変わり種の相手をしなければならないだなんて」 


 ふと自分で口にしたことながら多少同情と自責の念が沸いてきた。勿論結婚した暁にはその娘の良き母親代わり……には、ちょっと役不足かもしれないけれど、最善を尽くすつもりだわ。


「そんな心配はまったく不要ですけれど、娘さんがいなかったことは少々気になりますわねぇ。恐らくあの方も表面通りの穏やかさだけではなくて、お嬢様の人柄を見てみたかったのだと思いますわぁ」


 アデラの言葉に私も同意して頷く。きっと彼は娘と私を直接会わせる前に、自分のテリトリー内で私という人間の値踏みをしたのだろう。けれどその気持ちは痛いほどよく分かるし、むしろ夜会やお茶会でされるよりもよほど気楽だわ。


 そこで不意に、今頃ヴィルヘルムは上手くやれているのかと心配になった。彼も私と同じでかなり婚活に苦労するタイプだし、何よりも速度を重視する彼は、きっと間怠っこしい値踏みなどしない。最初に出逢った時のように意識的に人の嫌なところを抉ってくる。


 急に貴族入りして狼狽えている女性に対してもああだとすれば、かなりな高確率で相手を怒らせるか怯えさせているに違いない。


 人の心配をしている場合でもないのに思わずそんなことを考えていたら、向かいに座っていたアデラまで「だけど人柄云々で言えば、ノイマン様は難しそうですわねぇ」と笑った。


 思わず本当に思考回路を共有している気分になった私が「すごいわアデラ。たった今、同じことを考えていたのよ」と声をかけると、彼女はとても嬉しそうに笑ってくれて。


 後日メルダース様の三歳になる娘、ゾフィーと顔合わせの機会をいただけたのに、私の半眼と無表情が怖いと泣かれたことは、馬車の中でヴィルヘルムのことを笑った罰かしら?

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