◆幕間◆職人の誉れ。
「えぇと……それじゃあ、こっちが一等級でこっちが二等級?」
そうまだ小さな手が、作業台の上に広げられた仕分け前の宝石の上をウロウロと彷徨う。同年代の子供が持つような傷の一つもない手は、労働する必要がない生まれであることを物語っている。
「はいご明察です、フバード様。傷見ルーペを使ってご覧になれば分かるかと思いますが……こちらの宝石には、極小さくはありますが中に傷がありますね? これはご購入頂くお客様に見えないかもしれませんが、同業の者に見つかればとても恥ずかしいことなんです」
こちらの言葉に納得のいかなさそうな表情をしてしまった少年の前に、傷見に使用するルーペを差し出し覗かせてやれば、今度は納得が出来たのか「兄上が傷見ルーペを使うところなんて見たことがないから、やっぱり兄上は凄い目利きなんだね!」と嬉しそうに笑う。
そんな表情からも、この小さな“見習いさん”が兄である現経営者を慕っていることが分かる。緩く波打った黒髪に金に近い茶色の瞳の少年は、柔らかな表情も相まってどちらかと言えば女性的な顔立ちで、兄と似ていないことをよく残念がっていた。
「ふふふ、そうですね。ヴィルヘルム様は素晴らしい目をお持ちですよ。一朝一夕で手に入れられるものではありません。長い時間をかけてじっくり身に着けられたものでしょう」
しかしこちらの言葉は少年の心の何かに触れたのか、彼はそれまでの勢いをなくして「……うん」と小さく頷くに留まった。小粒の宝石を指先で弄り出すその姿に、さてどうやって慰めたものだろうと悩んでいると、廊下側から足音が聞こえてきてこの工房の扉前で止まる。
軽く二度ノックがあり、フバード様が僕の背後に隠れたところで「どうぞ」と声をかけると、そこには案の定、背後に隠れた少年が敬愛する兄の姿……僕の雇い主が立っていた。
「はー……やっぱりここにいたのか、フバード。工房は遊び場じゃないんだから、アクスルの仕事の邪魔をするな。あとは……あぁ、そうだ。そろそろ家庭教師の来る時間だぞ。ちゃんと自室で待っていろ」
仕事で忙しく飛び回っているヴィルヘルム様は、弟君のフバード様を探す時はいつもご自分で探しにこられる。フバード様もきっと、それが嬉しくてすぐに見つかるこの場所に逃げ込むのだろう。
無言のまま椅子の背にしがみつくフバード様と、仁王立ちになってその様子を見下ろすヴィルヘルム様。相変わらずこれで僕よりも二つ歳下とは思えないが……そんな二人の間に挟まれた新人職人の僕。雇って頂いている身ではあれども、味方をしてやるべきはやはり前者の方だろう。
「ヴィルヘルム様、邪魔だなんてとんでもない。今はちょうどフバード様に、一等級品と二等級品の仕分けを手伝ってもらっていたんです。おかげで助かりました、フバード様。ありがとうございます」
半分ほどは本当のことだと思って口にした言葉に、眉をしかめたヴィルヘルム様が「フバード、今のアクスルの話は本当か?」と低く問えば、素直なフバード様は「……ううん。手伝おうと思ったけど、出来なかった、です」とあっさり白状してしまう。
苦笑しそうになった僕の目の前で、雇い主は“黒蛇”と怖れられる眼力を持って「そうか。だったらやはり邪魔だな」と切り捨てた。その言葉に背後のフバード様が落ち込む気配が強くなり、思わず「ヴィルヘルム様、何もそこまでは……」と口を挟もうとした――その直後。
「だがあれだな、座学を放り出してちょっと興味を持つのにはまだ早いが、職人の仕事に興味があるとは流石俺の弟だ。将来有望株だ……なぁっ!」
大股にこちらへと近付いてきたヴィルヘルム様は、あっさりと背後に隠れていたフバード様の二の腕を掴んで引きずり出し、天井スレスレまで抱え上げてその場でグルリと一回転する。
突然の兄の暴挙に「うわぁっ!?」と悲鳴を上げたフバード様を見上げ、ヴィルヘルム様は豪快に笑って「よーしよし、今度また品評会があったら、次はお前も一緒に連れて行ってやる。そこで気に入った職人がいたら自分で交渉してみたら良い」と。子供相手に何とも凄い約束をした。
それを聞いて目を丸くする僕と同じように、抱き上げられたフバード様も「え、え、それって本当ですか兄上!?」と興奮した声を上げる。
そんな弟君の反応を見て上機嫌になったらしいヴィルヘルム様が「ああ本当だ。だからそのためにも今から勉強して、数字に強くなって、足許を見られないで交渉出来るようになれ。ほーら分かったらさっさと行ってこい!」と声をかけて床に降り立たせると、フバード様は嬉しそうに大きく頷いて母家の方へと駆けていく。
軽快な足音が遠ざかって聞こえなくなると、入口から廊下を見ていたヴィルヘルム様が振り返り「弟共々、騒がせてすまなかったな。炉が冷えたんじゃないか?」と苦笑された。
巷で流されている噂と、家族や従業員や職人達に向ける姿が大きく乖離している雇い主の姿に、さらに忠誠心を高めて「いえ、今は次回作の図案をひいていただけなので大丈夫ですよ」と答え、空いている椅子を勧める。
「そうか。前回の夜会で造ってもらった首飾りと耳飾りは好評だったぞ。あの後からずっと注文が届いている」
「ありがとうございます。ですが耳飾りの方までは手が回らずに、結局デザイン画だけしか……。あの件で他の職人の先輩方には、本当にご迷惑をおかけしてしまいました」
「それは気にする必要はないと言っただろ? 第一デザイン画だけだと言うがな、デザイン画が適当な出来だと、どれだけ腕の良い職人の手を借りても粗の目立つ作品になる。その点あのデザイン画は充分だった」
椅子の背もたれを前にして抱きつくように腰掛けた彼は、こちらに向かい見る角度によって赤く輝く瞳を細めて笑った。そのデザイン画を褒める体をなして、自信を持つように焚きつけてくる人たらしぶりに緊張が緩んだ。
「その……何と言ったら良いのか……過分なお言葉を頂いて恐縮です。ですが他に何かご用件があったのでは?」
「あー……まぁ、そうなんだがな。弟にああ言った手前、すぐに言い出すのもどうかと思って遠慮しているところだ」
常に迷うことなく指示を出してくれる彼にしては、やけに歯切れの悪い言葉と気怠そうな表情に、ここ最近で一気に仕事の幅が広がったことへの疲れが溜まっているのだと気付く。
いつも飄々として弱味を見せない……いや、見せられない彼にとっては、古参の従業員でも職人でもない僕の工房が、商会の中で唯一気を抜ける場所なのだろう。
「僕相手に遠慮など必要ありません。ヴィルヘルム様が拾って下さらなければ、今のこの幸せなどなかったですから。ジャスパーも最近だと僕に餌を持ち帰らないで良いと思ったのか、ネズミを持って帰って来なくなりました。僕で出来る仕事であれば何でも仰って下さい」
職人としての誇りも、尊厳も、居場所も。全て彼にもらった。だからこそ、力になれることがあればどんなことでもやり遂げたい。
――そんな思いが伝わったのか、どうか。ヴィルヘルム様は僅かに目を見開いてから、すぐに頷いて下さった。
「悪いな、助かる。用件は女性への贈り物用にペンダントトップを三つ頼みたい。二つは揃いのデザインでモチーフは……そうだな、出来れば猫が良い。瞳は琥珀色と青の二種類用意してくれ。あとの一つはどんなデザインでも構わない。お前の造りやすいもので頼む」
「揃いの……ということは、初めてお会いした時にご一緒だったご婦人方への贈り物ですか?」
普段作品を造る時以外は、ぼんやりしている僕が憶えていたことがよほど意外だったのか、ヴィルヘルム様は「良く憶えていたな。あれからもう三ヶ月は経っているぞ」と目を瞬かせた。
「はは、それは僕も元は露店とはいえ店主でしたし、職人でもありますから。自分の店の商品を喜んで買って下さったお客様のお顔は憶えていますよ。あの時はまさかご領主のお嬢様とは気付きませんでしたが」
「あれは世間知らずを矯正するためのお忍びだったしな。だがその世間知らずのお陰でお前を見つけられたんだから、世の中上手く出来てるもんだ」
一瞬だけ疲れが滲んでいたその瞳が明るくなり、楽しげに揺れた。まるでたった三ヶ月前のあの日を懐かしむように語る目の前の青年の肩には、いったいどれだけの重圧がかかっているのだろう?
「……拾って下さったヴィルヘルム様は勿論ですが、本当に星の巡りとお嬢様方には感謝しています。揃いの二品は必ずお気に召して頂けるよう最善を尽くします。後の一点もお任せ下さい」
危うさのある雇い主に向かってそう笑いかけるも、彼の表情はすぐに商人特有の掴み所のない微笑にすりかわって。
「そうしてくれるとありがたいが、揃いでない品物に関しては、実験作の試作を造るくらいの気持ちで構わない。……もしかすると、何度も贈る羽目になるかもしれんからな」
どこか他人事のようにそう言うヴィルヘルム様に「畏まりました」と答えつつ、ふと脳裏に浮かんだのは、お嬢様の隣にいたフワフワした金髪の女性。叶うことなら今回も揃いのピンブローチを受け取った彼女にあの表情をさせたいものだ。
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