*4* 契約書には保護者のサインを。
珍しく朝から屋敷にいた父と久々に一緒の朝食を終えて席を立つと、傍に控えていたアデラが近寄ってきて、エプロンのポケットから赤い封蝋が捺された封書を取り出して見せてくれる。
残念ながらまだ他の仕事があるアデラとはお昼までお別れだけれど、あの悪巧みを一緒にした彼女のいないところで、先に開けて読んでしまうのは勿体ない。
自室に戻って趣味の刺繍でもしようかと悩んでいると、背後からトントンと肩を叩かれ、振り向くとアデラが「先に面白いものを見てからの方が、仕事って捗るんですよ~」と笑って立っていた。
私はそんな彼女と一緒に自室へと戻り、二人並んで手紙の内容を確認した後、手紙とは別に入っていた
***
「うん、ちょっと待ちなさいクラリッサ。そのな……もう一度、父様にも分かるように最初から説明してくれないか?」
昼食後に執務室へ紅茶を運ぶという使用人からワゴンを奪い、笑顔で中へと招き入れてくれた父に
そのせいでよく人に舐められるのだけれど、本人はそのことに腹を立てたりしない穏和な聖人だわ。そんな私と同じ髪色をした父は、普段は柔和な笑みを浮かべている顔を曇らせ、鳶色の瞳でこちらを見つめながら困ったように眉根を寄せる。
「ええ、ですから……ほんのちょっと私の能力を使って、ノイマン商会と共同でお仕事をしようかな、と」
そう口にして、今朝ノイマン家から届けられた封書から“ヴィルヘルム・ノイマン”とサインされた契約書を取り出すと、父は眉間に皺を寄せて深く溜息を吐いた。
「――四日前、使用人達からノイマン男爵家の長男が乗り込んできたと聞かされた時は、ついにお前の魅力に気付いた若者が、先日の夜会でお前を見初めて婚約を申し込みにきたと思ったのになぁ……」
あからさまにがっくりと肩を落とす姿に「ごめんなさい、お父様」と、表向きはしおらしく謝ってみたけれど、むしろ内心ではどうして娘よりも乙女な発想をしているのと苦笑してしまう。
「ただもしもお父様が、ノイマン様と私が一緒に仕事をするのを快く思わないようでしたら――、」
“お断りの手紙を書きます”と続けようとした私に向かい、父がゆっくりと首を横に振る。まるでこちらが最初からそう言い出すことなどお見通しであったようだ。
「いいや、ノイマン家は商売上手で有名だから、ある程度のことなら知っているし別段構わないよ。ただ【成り上がり】であるという風評のことをお前が気にしているのなら、大いに構うがね?」
父の言わんとする言葉の意味に「私も気にしておりません」と答えれば、父はにっこりと人好きのする微笑みを浮かべて「流石は我が家のお姫様だ」と褒めてくれる。そうして、こうも続けた。
「なぁ、クラリッサ。働くということは命を繋ごうと世界に抗う行為だ。そんな勇気のあることを進んでしようという人間にも職業にも、貴賎はないよ。とは言っても貴族社会はその辺りが本当に面倒だけどね」
普段はお人好しすぎて不安に感じてしまう父の、こういうところが私は好きだ。そんな父が経営する領地内には、貧困から娼館で働いて身体を壊した女性達を匿う施設があり、そういう女性達がこの後も生活できるよう、手に職をつけさせる為の職業訓練施設もある。
勿論子供達を預けられる教会や、お医者にかかるお金のない人達が重病化する前に駆け込める診療所も。だからこそ我が領地はいつでもお金に困っている。けれどそんな父の領地経営方針のお陰でここは穏やかで平和なのだ。
私を面白半分としか思えない頻度で転生させる神様が、もしも父や、同じ優しさを持っていた母を相手に同じことをしたら、きっと私は許せないだろうと思う。
「一度お受けした仕事なら、きっちりと最後までやり遂げなさい。働いて得られる報酬の喜びは、きっとお前の糧になるよ。それにね、父様はおまえが傾きかけた我が家のために夜会に出て、愛のない人とお金目当てに婚約することを諦めてくれて嬉しいんだ」
そんな風に話を締めくくって書類にサインをしてくれた父を、私はとても眩しいものを見る気持ちで眺めた。だけどごめんなさい、愛のないお金目当ての結婚は諦めていないのよ。
話を終えて執務室から出ると、父に休憩時間を長めに取らせることに成功した私を褒めてくれる使用人達も好きだわ。
本当にこの屋敷と領地には良い人達ばかりで、他人から向けられる悪意への抵抗力が下がりっぱなしになるわね?
それからは午後のお茶の時間になるまで自室で趣味の刺繍をし、時間になればアデラをつれて四阿でお茶をしながら、どんな情報を集めるべきかという作戦会議を行った。
ノイマン様から届いた手紙には、初めての調査発表日は一週間後と書かれていたのでまだ時間はある。アデラと練った案では、まずは一種類の動物から情報収集をしようということになり、栄えある第一号は毎日庭園の四阿にパン屑をねだりにくる小鳥達に決まった。
ちょうどお茶の時間だったこともあって、早速鳴き交わされる声に聞き耳を立ててみる。その内容をアデラが用意してくれた紙に綴り、取り敢えずは情報量を優先させて聞き取ることに専念。
後はこれを一日二回ほど続け、四日分程度書き貯められたら、残りの三日で絞り込むことにしよう。小鳥達のピチュピチュ、ピチチという騒がしい声を耳にしながら書き込んでいく内容を、隣からアデラも興味深そうに覗き込んできて。
うちの領地内で誰と誰が恋仲だとか、どこのお家に猫がいるか、使用人達が非番の日にどこで遊んでいるのか……などという可愛らしいものもあれば。
よその領地を治めている貴族が泥沼不倫の末に、あわや殺傷沙汰になるところだったという話や。どこかのご子息が結婚前にお手つきをした使用人が身籠もった話。結婚式が近付いてマリッジブルーだと思っていたご令嬢が、実は妊娠していた話――などなど、正直無表情な私でなければ隣のアデラのように百面相になっていたかもしれない。
あまりに立て続けにその手の話があがるので、思わず「この紙の何枚かはすぐに焼却処分にした方がよさそうかしら?」とアデラに訊ねると、彼女は「いいえ、お嬢様。交渉相手は商人ですから。意外とこういう情報を望んでいるかもしれませんわぁ」とほわりと微笑む。
言っていることは鬼畜なのに、笑顔が良すぎるからか“そういうものなのかも?”と納得してしまう自分がいる。それに姦しい小鳥達の恐ろしい噂話の数々は、社交界の縮図にも似て慣れれば無心に綴ることができる。
素敵な能力の使い方ではないかもしれないけれど、転生してからここまでこの能力を駆使してみたことはなかったから、どこまで可能性がある能力なのかを見極めるのにも良い機会だわ。
それに相手は小鳥。とても気になる情報でもどんどん移ろ気に話は変わっていき、そういうところが本当に社交界っぽいのだ。
時折出てくる領地経営に役立ちそうな情報は父へと報告したりしながらも、アデラと書き溜めた禁書は日に日にその分厚さとドス黒さを増していき、私達の危険な情報通ぶりも日々拍車をかけていくのだった。
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