★3★ 奇妙な淑女もいたものだ。


 ノイマン男爵家は、新進気鋭の成り上がり貴族だ。


 比較的遅く出来た息子の俺には、幼い頃に親父に構われた記憶はない。


 しかしそれでも良かった。毎日仕事に明け暮れるそのデカイ背中に憧れ、時々長期の買い付けから帰ってくる時は、例え買い付けが上手く行かずとも、お袋と俺への土産を買ってきてくれるような家族馬鹿でもあったからだ。


 ただ幸せな生活は長くは続かず……俺が六歳の頃、医者に治療の金銭面で匙を投げられたお袋が死んだ時から、俺と親父は絶対にのし上がると決めた。


 ギリギリ中級規模の商人だった親父が以前にも増して仕事にのめり込み、時には法の目をかいくぐるような危ない橋を渡りながら、一代でのし上がって男爵位をもぎ取ったのは、お袋が死んでから二年後のことだ。


 親父は着実に上顧客を掴み、一部の顧客は末端ながら貴族が混ざるほどになっていた。上に上に上に上に――――と。


 思えば当時の親父は幼かった俺の目から見ても、だいぶ正気ではなかった。幼馴染みだったお袋と結婚して小さな町の雑貨屋から始めた店を、もっと大きくするのだと働きづめに働いて、ようやく後少しで中規模の商店を持つ商人になる夢の手前で妻をなくしたのだ。


 その喪失感は一人息子だけでは埋めがたかったのだろう。それでも代わりに以前より息子に目を向けるようになり、商売の極意を教え込んでくれたことは嬉しかった。理由はどうあれ、息子から憧れだった親父の片腕へと昇格した俺もギリギリ合法な商売をして、商会を大きくすることに貢献するようになれたのだ。


 俺が十五歳の時に親父が再婚した相手は、どこか面差しが死んだ当時のお袋に似た女性で。若干複雑な気持ちではあったものの、すっかり汚い裏側に染まった身としてはとても久々に、純粋に心からの祝いを述べた気がする。


 その後二人の間に出来た弟が生まれもっての【男爵位】を手に入れた時、俺はふと“これでもう安心だ”と思うと同時に、虚無感も憶えた。


 ――……分かってしまったからだ。


 これで、自分だけがノイマン家のお荷物になってしまうことに。


 一代でのし上がった親父に、平民の頃からくっついて商売を憶えただけの俺、生まれながらに【男爵位】を持つ腹違いの弟。どう考えてもこれから先、ノイマン商会の看板の傷になり、必要でなくなるのは俺だ。


 幸いなことにうちは家族仲は良い。しかしそれも跡取りの問題が出るまでのことではないのかと、どうしても家族ですら疑う自分がいる。半端者がいる以上、もっと高い爵位がなければこれ以上大きな取引は望めない。


 俺の存在が親父の築き上げた商会の足を引っ張る。それだけは……何としても避けたかった。


 そのうち顧客の中に、毎度支払いが滞る浪費家な貴族連中がいることに目を留める。どいつもこいつも家族がいるのに、愛人に貢いで借金を膨らませているようなどうしようもない連中だ。俺達成り上がりよりもずっと質が悪く、度し難い。


 そしてそんな親のせいで貴族の中でも婚期を逃したり、借金で家名倒れの令嬢が割といることにも気付いた。一応は【生まれついてのお貴族様】だ。借金の肩代わりを餌に婚姻を結んでしまえば、もれなく向こうの家名がついてくる。使わない手はない。


 しかし当然のことながら奴等は無駄なプライドを持ち、卑しい成り上がりとの婚姻を忌み嫌った。数はいるのに手に入らない。まるで金はあるのに買えない商品のようだ。


 家名が欲しい。


 位が欲しい。


 日々焦りが募るばかりで相手が見つからない。そんな折に耳に挟んだ、ちょうど良い曰く付きの令嬢がいた。本人も他の下らない令嬢達とは違い、家が傾いているのならば自分が商品になる覚悟もあるという。だったら話は早い。


 その令嬢が出席するという情報を聞きつけて潜り込んだ夜会場で、彼女は確かにそこにいた。ただ誤算だったのは……見目が噂よりも良すぎて、思わずこちらが気後れしてしまったところか。


 濃い栗色の髪は緩く編まれて華奢な肩から流し、他の令嬢達のように自己主張の激しくないアイボリーのドレスの形はやや流行遅れだ。伏し目がちに会場内を見回す様は、噂にあった“金に困っている奇妙な子爵令嬢”とは程遠かった。


 商談を持ちかけるだけのことだというのに、柄にもなく緊張して自己紹介をすっ飛ばした俺に名を訊ね、さぁ、どうせ嘲るのだろうとその表情を観察すれば――、


『そう、ヴィルヘルム様と仰るのね。初めまして、私はクラリッサ・キルヒアイスと申します。以後お見知りおきを』


 ――と、まるでこちらが普通の貴族であるかのようにおっとりと名乗り、身に馴染んだ丁寧なカーテシーをとる。しかしその時点で噂にあった一つ目の“無表情な人形姫”という理由は分かった。


 美しい琥珀色の瞳は商売人の俺にすら何の感情も読み取らせず、表情に至っては死んでいる。綺麗なパーツが並んでいるだけといった印象だった。だがこちらは見目に用事があるわけでもないので、そこはどうでも良い。


 こちらが用があるのは、彼女が生まれ持った【子爵位】だ。


 その後は好奇の視線が多い会場内から人気のない庭園に誘い出し、他の令嬢達にも持ちかけた商談内容を口にしたのだが――……そこで初めて彼女は感情を見せた。主に、怒りの方面を。


『ご立派なお考えですわね。それにあの会場内でお声をかけて来られた理由も、成程よく分かりしたわ。けれど今夜のような場所に、そのような目立つ肩書きと見目でおいでになられるくらいなのだから……噂通り豪胆でいらっしゃるのね。成り上がり者の“黒蛇”さん?』


 甲高く怒鳴ることも、引きつった嗤いを浮かべるでもなく淡々と。こちらの見目と性格から囁かれる不名誉な渾名をもって、彼女は俺の商談内容を切り捨てた。


 クルリと軽やかに踵を返して立ち去る後ろ姿を呆然と見送ってしばらくすると、何故だかどうしようもなく腹の底から笑いがせり上がってきて。婚約者いけにえとしてではなく、商人として仲間が欲しくなったのは、たぶんあの夜が初めてだ。


 欲しいものは手に入らなかったが、面白いものは見つけられた。


 手に入らないのなら、飽きるまで近くで眺めてみたい。


 そんな生まれて初めて小さな商談を纏めた時のような新鮮な思いを胸に、翌日懲りずに屋敷を訪ねた俺が持ちかけた提案を聞いた彼女は、一瞬だけ無表情に悩んだものの主人同様変わり者なメイドに促され、やはりこちらを愉快にさせる変わり者ぶりを見せてくれた。

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