*2* その線で行きましょう。
昨夜は急にいなくなった私を心配して友人達に泣きついていた父を回収、一刻も早く気分の悪い思いをした会場から離れようと馬車を飛ばして、屋敷に戻れば自室に直行し、アデラに用意してもらったハーブティーを飲んでベッドに潜り込んだ。
そのお陰かいつもは低血圧で寝覚めの悪い私も、朝から爽やかに目覚めることができた。ベッドから起きあがってドレッサーの前に腰かけて鏡を覗き込めば、いつもは眠たげな半眼も少しだけ大きく開いているように思う。
起床時間にはまだ早いけれど、せっかく早起きしたのだからもう勝手に身支度を整えてしまおうか――……と。部屋のドアを控え目にノックする音が響き『お目覚めですかぁ、お嬢様?』とやや間延びした声がかけられた。
私がドレッサーの前で「起きているわ」と返事をすると、すぐにドアが開き、肩までの柔らかそうな金髪を揺らしながら現れたアデラが「お早うございます、お嬢様。昨夜はよく眠れましたかぁ?」と、人懐っこい微笑みを見せてくれる。
「ええ。アデラが淹れてくれたハーブティーのお陰でぐっすり。だからほら、心なしかいつもは半眼な目もちゃんと開いているでしょう?」
「ふふ、お嬢様ったら半眼だなんていやですわぁ。けれど……そうですねぇ、いつもの伏し目がちで物憂げなお顔もお美しいですが、今朝の潤んだ琥珀色の瞳もとっても素敵ですわぁ」
「貴女がいつもそうやって褒めてばかりくれるから、私が少しはそうなのかしらと自惚れてよそで恥をかくのよ?」
口では責めるようなことを言いつつ、ドレッサーの前に座るように促されて再び腰を下ろすと、真後ろに立って鏡の中に映る私に「お嬢様の美しさを理解できないお猿さん達とぉ、わたしのどちらを信用するんです?」と辛辣な発言をするメイドに、普段はピクリともしない表情筋が僅かに緩む。
幼い頃から一緒のアデラは私よりも五歳も歳上なのに、出会った当時の可愛らしい少女のような風貌のままだ。全体的に女性らしい丸みのある小柄な身体に、いつも笑っているように見える青い目とフワフワの金髪は、何となく日溜まりの猫に似ている。
優しく髪を梳かしてくれながら「昨夜も戦果はなかったようですねぇ」と水を向けられ、ぽつりぽつりと昨夜の夜会であったことを話していく内にどんどん心が軽くなり、その分身支度は着実に進められていく。
私の地味な濃い栗毛は暗い印象を与えるし、真っ直ぐなだけが取り柄なのだけれど、アデラが丁寧に梳かしてリボンを編み込んでくれると華やいだ。
鏡の中の自分を見て満足した私がお礼を言えば、彼女は「そんな無礼な成金野郎のことなんて野犬に咬まれたと思って、こんなに素晴らしく可愛いお嬢様の良さを理解して下さる殿方を狩りに行きましょう」と笑ってくれる。
「さぁ、完成ですわお嬢様。旦那様はもうお仕事に出かけてしまわれましたので、良いお天気ですし、気分転換もかねて朝食はお庭の
我知らず少しだけ昨夜のことを気にしていたのだろうか。何でもお見通しな彼女の一言で、鏡に映った無表情な私の頬は心持ちだけ綻んだ。
***
庭の四阿での朝食を済ませ屋敷の仕事に戻るアデラを見送ってから、一つだけ残しておいたパンを細かくちぎって芝生の上に撒く。するとすぐ傍で葉を揺らしていた木の枝から、小鳥が二羽降りてきて欠片をせっせと突っつき始めた。
普通の人間であれば、ピチュピチュと可愛らしく囀っているようにしか聞こえない小鳥達の会話内容は、爽やかな朝の一コマに相応しくないドロドロの愛憎劇だ。まさかあの煌びやかな伯爵家が……という知りたくもない裏側に、お金があるだけが幸せではないのだと思いもする。
――だけど、それはお金があるからこそ思えることだとも知っているわ。
食べながら絶えずピチュピチュと鳴き交わす小鳥の会話内容に戦慄しつつ、これだから人間に転生するのだけは嫌なのだとうんざりしていると、屋敷の方角からアデラが誰かと押し問答をしているような声が聞こえてきた。
普段はおっとりとした口調の彼女が『当家の主人は現在留守にしております。それを面会の予定も取らず許可なく立ち入るとは何事ですか』と、随分ご立腹の様子だわ。誰が来たのか知らないけれど、ここは当主代理として出迎えなければならないようだ。
気乗りはしないものの小鳥達には席を外してもらい、相手がここにやってくるまで待つこと五分。現れたのはもう二度と顔を見たくないと思っていた、アデラの言うところの“無礼な成金野郎”だった。
相手は四阿の私に気づくと、後ろから駆けてくるアデラの制止を無視して近付いてくるなり「昨夜は失礼した」といきなり頭を下げてくる。しかしそんな程度で一度決めてしまった人間の好感度など、上がるわけがない。
「まったくですわね。それで、本日は朝からどういったご用件なのかしら? ちなみにもしも昨夜と同じお話でしたら、一晩で答えは変わりませんの。即刻お帰り下さいませ」
視線でアデラに“この男にお茶は必要ない”と伝えると、それを読み取った彼女は“当然です”とばかりに頷いて、私の傍に身を寄せた。
今はまだ女二人に男一人という状況だけれど、アデラのことだから他の使用人も呼んだはずだし、この男も男爵の位が惜しいだろうから、ここで妙な動きを取るほど愚かでもないでしょうね。
昨夜私にヴィルヘルム・ノイマンと名乗った男は、アデラと私を交互に見やったけれど、アデラが離れる気配がないと分かると、苦々しげに溜息を吐きつつ口を開いた。
「貴女の能力について疑ったりして悪かった。しかし俺達商人は自分の目で見て、耳にしたことしか信用しない」
その言葉にアデラと視線を交わして頷き合った。内容的には《でしょうね》で合っていると思う。
「別にそれは商人に限らず仕方のないことでしょうから構いませんわ。人間は誰しも“自分の見たいものだけ見て、自分の信じたいことだけ信じる”もの。そこに異論はありません。私がそこから外れているだけですもの」
私の持つ言語能力チートは一つ大きな欠点があって、聞き取ることだけなら大抵可能なのだが、伝えることが出来るのは人間の身体で声帯を真似できる生き物だけなのだ。
鳥は口笛が吹ける範囲の大きさと種族限定だから、小さくても猛禽類系は無理。一応家禽類の鳴き真似ならできるのだけれど、年頃の娘が持つ恥と外聞がそうはさせない。
家猫の鳴き真似はできても、犬の鳴き真似は小型犬であっても駄目。そんな使い勝手の微妙すぎる能力だから、欲しい情報が確実に得られるわけでもない。大体正直に言ってしまえばこの能力はただの聞き耳だもの。
朝から余計な疲れを感じる羽目になった私が「貴男からの謝罪は受け取りました。ご用件が以上でしたらお帰り下さい」と告げれば、図々しいことに相手は「いや、まだ続きがあるので待ってくれるとありがたい」と会話の続行を申し出てきた。どれだけ厚顔なの……?
嫌な予感に眉を顰める私の耳に「この方、面倒ですねぇ」とアデラが囁く。しかも軽く頷き合う私達主従を気にした様子もなく「とはいっても、話はほぼ昨夜の続きだが」と悪びれた様子もない。そしてそれが全く何の嘘でもなく、昨夜私に聞かせた内容をそらんじただけだった。
少しだけ違った箇所と言えば「うちには優秀で生まれもっての【男爵位】の弟がいるのでね。兄の俺が家格のある妻を娶れば、ノイマン家は盤石なものになる」という、一文だけ。結局馬鹿なのかしらこの人は。
「それならわざわざ兄の貴男が婿養子にならずとも、弟さんの方を紹介して下さればよろしいのに」
「言っただろう、この場合は生まれ持った【爵位】が重要なんだ。俺は途中まで平民だったから、家督を継いだところで成り上がり者が二代続くだけだろう。それだと箔がつかん。大体弟はまだ七歳だ」
「あら残念ね、流石に私も領地のためとはいえ、七歳の子供と婚約するのは難しいわ。だけど貴男との婚約は
会話を少し足した程度では、自分の中でバリバリと音を立ててこの男との溝が深まっていく気配しかしない。本当に何をしに来たのかしらこの人。せっかくアデラのお陰で通常運転よりもきちんと開いていた目も、今となっては半眼に戻っていることだろう。
屋敷の方角を見やれば使用人達が心配そうにこちらを窺ってくれている。今日のところは――というより、追い出す前に金輪際屋敷の敷地内に侵入しないように念書を書かせようかと考えていたら、相手はまたも意外な提案を持ちかけてきた。
その提案というのが――……。
「婚約者は無理でも、実際に貴女の能力の話については興味がある。そこで考えたのだが、仕事仲間としてならどうだ?」
突飛な提案に思わずアデラと二人「「仕事仲間?」」とハモってしまう。
「ああ。例えばの話だが、貴女の能力を使って得た情報で、俺にとって有益そうな情報があればそれを売ってくれないか? 俺は貴女が売ってくれるその情報に応じた報酬をキルヒアイス家に支払い、契約内容や報酬はその都度すり合わせる」
参ったわね……やっぱりこの男の話は変なところで面白いわ。思わずすぐに断ることが出来ずに逡巡した私の横から――、
「でしたら、その場合それなりに纏まった金銭での報酬と、お嬢様の婚約者候補として相応しそうな男性の情報をご提供頂けると嬉しいですわぁ」
と、アデラが口を挟んでしまい、内心私も“あ、それはちょっと良いかも知れない”と思ってしまったところを、根っからの商人である彼が感じ取ったのか「じゃあそれで決定だな」と勝手に請け負われてしまった。
ああ……冗談じゃないわ、何なのよ。
――ほんのちょっぴり楽しそうじゃない。
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