*1* 運命的な(殺伐とした)出逢い。
今夜もやっぱりと言うべきか、案の定と言うべきか――……夜会が始まってからすでに二時間。その間ずっと会場内で壁の華として佇んでいる私に、声をかけてくれるお金と地位のありそうな殿方は一人もいない。
せっかく私付きメイドのアデラが張り切ってくれたドレスや髪も、無駄になってしまった。元々婚約者探しの為に夜会に参加することに良い顔をしない父は喜ぶでしょうけど、子爵の……それも没落している家の当主が、娘可愛さに恋愛結婚を望んでいては駄目なのに。
そんな暢気な父は普段あまりこういう場所に出向かないので、出席しているところを友人達に見つかれば、あっという間に連れ去られてしまう。娘の私よりも余程人気者なのだ。
女性陣は遠巻きにこちらを見て“相変わらず無駄な努力をなさること”とクスクスと嗤うだけだし、男性陣は“見た目だけならなぁ”というようなことを口にするばかり。今夜も我が領地を立て直せそうな良い物件は見つかりそうもないわね。
収穫がないならさっさと帰って、アデラと新しい夜会の装いについて研究した方が有意義だわ。そう思い、自分に向けられる好奇の視線を無視して閉場になるまで会場を離れようとしていたら、突然背後から「失礼、貴女がキルヒアイス子爵令嬢だろうか?」と声をかけられた。
聞き覚えのない声に振り返った先に立っていた相手を見て、今夜はやっぱり外れなのだと納得する。それというのも、婚約者探し以外で注目されたくない私と並ぶには相手が悪すぎたのだ。
この国ではあまり見ない浅黒い肌に、癖の強い黒髪を後ろで一本に結んで垂らしている長身の男性。がっしりとした体躯に見合った威圧的な顔立ちに、瞳の色は光によって赤く見える赤茶色。
そんなある意味私と同等に目立つ姿をしたこの人物の名は――。
「ええ、そうですわ。そちらは確か男爵家の……?」
「ああ……名乗りが遅れて申し訳ない。ヴィルヘルム・ノイマンだ」
思った通り相手は父親の代で商人から男爵位を手に入れた、所謂【成り上がり】と呼ばれる貴族だった。貴族社会では何故かやたらと軽んじられる彼等だが、私は嫌いではない。上昇志向が強いのは悪いことではないもの。
しかしその中でもノイマン家の長男、ヴィルヘルム・ノイマンと言えば“麒麟児”と呼ばれる存在の人物だ。最近お父様である男爵が“健在な内に隠居する”と言い出して、実質はもう彼が家督を継いだようなものなのだとか。そんな人物が、没落子爵令嬢に一体何の用だろうか?
「そう、ヴィルヘルム様と仰るのね。初めまして、私はクラリッサ・キルヒアイスと申します。以後お見知りおきを」
疑問点はいくつもあるけれど、取り敢えずは当たり障りのないように子爵令嬢らしくカーテシーをとった。相手は自分から呼び止めておきながら、一瞬私の行動に目を瞬かせる。何か粗相があったのかと訝しみつつ、固まったままのノイマン様に「それで何かご用でしょうか?」と問いかけた。
すると相手は周囲に視線を巡らせ「ここは人目が多くて少し話にくい。場所を変えても?」と申し出る。よくない意味で話題に上る両者が一緒にいれば、当然目立つ。用件が何かは知れずとも、場所を移動するという申し出を断る理由もない。
結局二人きりでも人に声が届く範囲であれば良いだろうという思いから、彼の申し出に「構いませんわ」と頷いて会場を出る。
何となくこういう時に庭園に足が向くのは不思議なもので、相手も私も言葉を交わさずとも自然とそういう流れになった。けれど長身の彼と私が並んで歩くと、どうしても一歩の差が違いすぎて遅れるのではと思っていたのに、相手は意外にもこちらの歩く速度に合わせてゆっくりと歩いてくれる。
春の夜に今が盛りの薔薇の香が溶けて、花弁の色をはっきりとさせない月光が淡く縁取る様は、こんな時でもなければなかなか幻想的で美しい。そんな庭園内を無言のまましばらく歩いて。
会場から聞こえてくる音楽や人の声が、会話の邪魔にならない程度に遠ざかったところで彼が立ち止まった。それに合わせてこちらが足を止めると、彼のただでさえ彫りが深い顔立ちと肌の色とが相まって、逆光の中その意志の強そうな瞳だけがギラギラと赤く浮かび上がる。
そして――。
「単刀直入に言う。貴女の家の爵位が欲しい。俺の婚約者になってくれ」
という、貴族としてはいきなりすぎる上に、かなり失礼な婚約の申込みをしてきた。正直ここまで真っ直ぐに“家名にしか興味がない”という表現をされるのは……面白い。
今夜初めて会ったばかりの人間に対して言う言葉でもなければ、男爵位につくまでの商人という立場から見ても悪手。それでもそのお陰と言うべきか、彼に対しての興味は惹かれた。
だからこそ珍しく会話を続けてみようと思い「まぁ……その包み隠さない野心はなかなかよろしいけれど、わざわざ私にお声をおかけになったのだから、私の噂をご存知なのかしら?」と言葉を返したのだけれど……。
「勿論だ。あれだろう“先見の魔女”とかいう胡散臭い能力・・・・・・の。ノイマン家は根っからの商人気質だ。そういうペテン紛いのことは信じていない。失礼だとは思ったが、そちらの家の事情も調べさせてもらった。どうだろう、そちらにとっても悪い取引ではないと思うのだが?」
残念ながら直後にはっきりと返ってきたこの言葉には、流石に愉快な気分にはなれなかった。別にこの能力を誇りに思っているとか、貧乏が恥ずかしいとかでは全くないのだけれど、両親が“素敵”と評してくれたものを、いきなり現れた赤の他人に踏みにじられて良い気分がするはずがない。
「ご立派なお考えですわね。それにあの会場内でお声をかけて来られた理由も、成程よく分かりしたわ。けれど今夜のような場所に、そのような目立つ肩書きと見目でおいでになられるくらいなのだから……噂通り豪胆でいらっしゃるのね。成り上がり者の“黒蛇”さん?」
無礼な相手にはそれなりの答え方をするのが私の流儀。それを相手が不快に思ったところで知ったことではないもの。彼が言うように悪い取引ではなかったけれど、この交渉は決裂だわ。
相手は自分のこれまでの言動を棚上げして「これはなかなか……いい性格をしておいでのようだな」とのたまうものの、こちらとしてはもう最初に感じた興味もすっかり失せてしまった。
これ以上この男とここにいる意味もなければ、そろそろ会場内に娘の姿がないことに気付いた父が慌て始める頃だろう。
そんな父の姿を想像したら可哀想になってきたので「お褒めに預かり光栄ですわ。話がそれだけなら私はもう帰るところですので、どなたか他を当たって下さる?」と言い残し、相手の返事も待たずに身を翻した。
一瞬でも無礼な男のことを面白いと感じてしまったことに若干苛立ちつつ、追って来ない程度の分別は持ち合わせていて良かったと言い聞かせる。今夜のことは貴重な時間の浪費に終わったけれど、今更悔やんでも無駄。一晩ぐっすり眠って明日からまた頑張れば良いわ。
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