*5* 市場調査って難しいものなのね?


 ――情報収集を始めてから一週間後。


 約束通り屋敷を訪れたノイマン様とアデラを連れ、初日に話をした庭の四阿でお茶の席を設けた。家庭教師の先生に課題を提出する時のように緊張しながら例の禁書を手渡すと、彼はその分厚さに驚いた表情を浮かべる。


 アデラが器用に綴じてくれた禁書を手にした彼が、パラパラと数頁めくってから「少し検分に時間をもらおう」と言って、そのまま視線を頁に落としてしまった。その反応に手応えを感じ、アデラと目配せをしあってお互いの健闘を讃え合っていたのだけれど――。


「ふむ……使えそうな情報は、これと、これ、後は細々と四つくらいだな」


 僅か数十分ほどで全ての頁に目を通したらしい彼は、そう言って禁書を閉じた。どうやら私達が一週間を費やした大作の出来はあまりよろしくなかったようだ。


「結構集めたと思ったのだけれど、使える分となると意外と少ないのね」


「いやまあ……子爵家のお嬢さんが小遣い稼ぎにやる分には上等だ。しかし商人の立場から言わせてもらうと情報に一貫性がない。出所の怪しいような浅い情報は使えないからな」


 そう言われてみれば成程、納得である。確かに様々な噂話を得られたけれど、禁書の中身はどれも噂の表層をさらっただけの、いわば上澄みのようなものばかりだ。それにやっぱりと言うべきか、彼が抜き取った情報はどれもアデラが使い道があると教えてくれたものばかり。


 私の気になっていた情報は一つもなかった。そのことがちょっとだけ残念だったけれど、これも今後に活かせば良いことよね……と思っていたら。


「ですがノイマン様? ここにある情報はどれもお嬢様の協力がなければ、まったく集まらなかった貴重なものばかりですもの。そこのところを鑑みてお小遣い・・・・を精算して下さると嬉しいですわぁ」


 私のカップに紅茶のお代わりを淹れてくれていたアデラが、フワリと音がしそうな柔らかな微笑みを浮かべながら、禁書の表紙を指先で叩いていた彼に向かって言った。微妙に圧を感じたものの、こちらも足下を見られて買い叩かれたくないので、素知らぬ顔で新しく淹れてもらった紅茶を口にする。


 すると彼はメイドであるアデラの発言に気を悪くした様子もなく、少し考える素振りを見せてから「それは勿論だ。こちらが持ちかけた話だからな。ただすぐに金額の話をするのは難しい」と言う。


 けれどそこは何となくそう言われる気がしていたので、先ほどまで感じていた高揚感もどこか冷めて、自分でも分かるほど平坦な声で「そうでしょうね」と答えていた。


 その声音に隣にいたアデラが心配そうに顔を曇らせ、ノイマン様は片眉を上げてこちらを窺う。そうでしょうね、そうでしょうとも。胸の奥から染み出すようなやるせなさに囚われながら「貴男も他の方達のように、私のことを嘘吐きの魔女だとお思いになるのね」と。


 口にしてから何を当然なことを訊いているのかと呆れ、すぐに「今日はもう疲れたので部屋に戻ります。アデラ、お見送りをしてさしあげて」と告げて立ち上がる。馬鹿なことをした。無駄なことをした。やはり家族以外に話すべき能力ではなかったのだ。


 勝手に期待して失望しながらその場を離れようとした私の腕を、ノイマン様の手が掴む。咄嗟に振り払おうとしたけれどびくともしない。睨みつけてやろうと視線を向ければ、何故か向こうがこちらを睨んでいた。


「待て。誰もそんなことは言っていないだろう? 納得ずくで契約を交わしたくせに子供みたいな癇癪を起こすな。話を最後まで聞け」


「ええ、そうね。ただの子供の癇癪ですわ。ですから私のことはお気になさらず、どうぞご自由に値段をお決めになって」


 傲慢な物言いにムッとして売り言葉に買い言葉で答えれば、乱暴に腕を引かれてしまい、つんのめるようにノイマン様の方へと身体が傾いだ。するとそれを見て慌てて立ち上がった彼の胸に抱き止められる。


 けれどその直後に「ちゃっかりお嬢様に触れないで下さいませねぇ?」と、アデラが硬直していた私の肩を引いて引き剥がしてくれた。何とも言えない微妙な空気の中で「取り敢えず一度座ってくれ」と促され、無言のまま言われた通り席に座り直す。


「あのな、噂話の真偽を確認するのは商売をする上で当然のことだ。貴女から得たこの情報を元に、俺が商会の人間を使って得た情報と齟齬がないか確認して、それからようやく精算の話になる。この手順は誰が相手であろうが必ず挟む。例えそれが国王であったとしてもだ」


 憮然とした表情でそう言われ、思わず「そうなのですか?」と問えば「そうだ。勝手に早とちりをしないでくれ」と怒られてしまった。


 すかさずアデラが「お嬢様は商人ではないのですから、そちらの当たり前を押しつけられても困りますわぁ」と援護してくれたけれど……説明をされれば当然のことだと理解ができる。そんなことも考えつかなかった自分の世間知らずさに、カッと頬が熱くなった。


 久々に人間に転生したからというだけでは言い逃れできない無知さだ。家族や領民に大切にされて慣れきってしまっていた。他者からの悪意で視野を狭めるなんて……情けない。


 そううなだれていると隣の席から空咳が聞こえ、視線を上げるとノイマン様が「話を続けても良いか?」と訊ねてきた。今度は素直に頷いて先を促すと、彼も眉間に寄せていた皺を緩めて頷き返してくれる。


「こちらの説明不足ですまなかった。だがこれだけは言わせてくれ。この資料は使いようによっては素晴らしい価値がある。正直これを貴女達が一週間で予見したとは俄に信じられないくらいだ」


 ……流石は商人、口が上手い。彼はこちらの自尊心をくすぐりながらも“まだ不完全である”と言っているのだ。チラリとアデラの方を見れば、彼女もそう受け取ったようで小さく頷いてくれた。


「社交界で先見の噂を耳にした時は何を馬鹿なと思ったが、今は専属で契約を結べて良かったと思っている。しかし同時にこれだけの数を、どうやってこの短期間で集めたのかも疑問だ。貴女の能力とは予知夢か何かなのか?」


 ――……って、うん? 何か今この人おかしなことを言わなかったかしら? 予知夢だなんてそれこそ神に仕える巫女とか、そういうとんでもクラスのチート能力ではないの? しっかり者に見えて、案外この人も夢見がちだったりするのかしら。


「あの……お話の腰を折るようで申し訳ないのですが、私の噂というのはどのような内容だったか教えて頂けませんか?」


 さっきの強烈な勘違いを今後起こさないように恐る恐るそう訊ねれば、ノイマン様はこちらの反応に苦笑しつつ、社交界で飛び交っている私の噂の数々を教えて下さった。


 色々な虚偽情報があった中でその内容を整理してみると、どうやら私がお茶会の席で小鳥や小動物の鳴き声に聞き耳を立てて、何もないところで忍び笑いをしていたり、茂みから現れた子猫に母猫が探していたことを教えていた姿を見られていたらしく――……。


 その姿が“動物とお喋りができる”というものではなく、魔女が呪文を唱えているようで不気味だったのだということだ。従って社交界……ひいては貴族達の中では、私が動物と話せるのではなく、黒魔術を使って人や動物を操る魔女のように思われていたらしい。


 こうなってくるともう正しく能力が伝わっていようがいまいが、どうでも良くなってしまった。アデラも彼に見えないように嗤っているし。


 ノイマン様に説明して誤解を解くのも面倒なのと、そこまで間違ってもいなさそうなので「情報収集の方法は、大体噂の通りだと思って頂いて結構ですわ」という言葉で押し通した。


 それに動物と会話ができると言ったところで信じてもらえたとしても、使いようによっては、ぼんやりとした予見よりも危ういことに利用されかねない。まだ信用しきっていない相手に手の内を晒しすぎるのは良くないわ。


 その上で「情報収集の方法について改善の余地があるようでしたら、どうぞ調べ方を変えてみますので仰って?」と提案してみる。


 彼はそんな私の言葉に一瞬だけ考え込むような素振りをし、商人の眼差しで私と禁書を交互に見やった。不思議とそれは社交場でよく浴びせられる値踏みとは違って、不快感を感じさせない。


 不意に再び無言で禁書を開いたノイマン様が、数頁だけ端を折った状態にして私とアデラの方へと向ける。私達が端を折られた頁を確認して顔を上げると、ノイマン様はまたもこちらの予想を面白い意味で裏切って下さった。


「例えばだが……。今は必要がないにしても後々必要になるような情報があった場合、後日いま折った部分の頁だけを、貴女の能力で重点的に調べ直して欲しいという注文は出来るのか?」


 彼のこの一言で大半の頁を焼却処分される予定だった禁書は、これ以降も情報注文用カタログの一冊として・・・・・使用されることになったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る