第6話 殺意
「ねえ、ケイト、ジョンさんとまだ仲直りしないのかい?」
75歳になる母親のサラが夕食の片づけをしながら聞いた。5歳になる孫のトムのためにマカロニチーズを作った。ホールミルクとモッツアレラチーズをたっぷり使ったホームメイドのものだ。添えた小さなブロックリーとにんじんはほとんど残していた。
「トムは野菜を食べないのなら、せめて野菜ジュースはどうかねえ?野菜を食べないなんて体に悪いよ」と続けてぶつぶつ文句を言った。
ジョンの妻ケイトは首を振りながら「ママ、ジョンのことだけど……よりを戻そうと考えてないのよ」と答えた。
「そうは言ってもトムはまだ5歳なんだよ、父親が必要なんじゃないのかい?」
「父親らしいこと何一つしてこなかった人は父親とは呼べないわ」
高齢の母親のところに戻って1ヶ月になる。正直ジョンとまたやり直すことはできないと思っていた。
実家に駆け込み、すぐにジョンは形だけ謝りには来ていた。しかし本当にやり直したいという誠実さは全く見えなかった。
「ケイト、なあ悪かった、反省している、戻ってきてくれ」下手な役者のように棒読みにした後「それはそうと、ケイト。俺のバッジを知らないか?どこにもないんだ」と言った。そのセリフだけに熱がこもっていた。
医療機器会社の成績トップにだけ配られる特別なバッジだった。
「知らないわよ、そんなもの!」とケイトは嘘をついた。
ジョンのことだから離婚になっても幸運だと思うかもしれない。そうなったら親権は絶対に渡さないと唇をかんだ。
「あなたのおとうさんだって、あなたのおむつ替えたりはしていないわよ、男はそういうものなのよ。父親らしいということが育児の協力と言うことなら」とまた母親が言った。
「ママ!時代が違うの!今は育児に参加しない男なんて男じゃないわよ。それにジョンはトムのことかわいがってないもの。誕生日に遅く帰ったことがあるの。浮気相手と一緒だったからなのよ。トムはお父さんを待って泣いてたわ。そんな男許せないわよ」思い出してケイトはふいていた布巾をバンとテーブルに叩きつけた。
「本当なのかい?それは」
「病院の確かナースアシスタント。リリーっていうブロンドの派手な女なの。前から知っていたし、怪しいと思ってたわ。マリーが2人一緒のところを見て、その夜問い詰めたのよ。あっさり認めたわ。浮気相手はたくさんいるみたいだけど、あの女とは長く付き合っているみたいなの」
あの日遅くまでバースデーを楽しみに待っていたトムはこっそり涙を拭いていた。小さなぷっくりした手で頬の涙をぬぐっていた。
「ねえ、パパはまだかな?忘れちゃったのかな?」
「そんなわけないでしょう。すごく忙しいのよ」
「そうだよね。でも寂しいよ。プレゼント買ってきてくれるかなあ」と鼻の頭を赤くして言った。
ケイトは胸が張り裂けそうだった。万が一を思ってプレゼントは自分が買って隠してあった。案の定ジョンは息子に何も買ってこなかった。
そして仕事だ仕事だと言いながら女たちと遊び歩いていたのだ。他の日ならともかく、トムの誕生日にまで。許すことなどできない。
「そんなことがあったのかい?」
初めて聞く話にサラは驚いて振り向いた。
魅力的なジョンのことだから、何か異性関係かと思ってはいたけれど、そこまでケイトは苦しんでいたなんて。
「つらかったんだね、ケイティー」
「あの日も、ああ、きっとあの日もと考え始めたら眠れなくなったの、もう限界よ」
親友のマリーに聞いたときはあまりの衝撃で言葉がすぐに出てこなかった。頭を殴られたようなというけれど、本当にそう感じたのを思い出した。もちろん今でも胸が痛む。
マリーは言いにくそうにしていたけれど、どうしても言わなくてはいけないことがあるのと、あの日のことを教えてくれた。言いながら泣いていた。マリーが泣くところなど見たことはなかった。
その夜ジョンと大喧嘩になったときにも何回もスマホが鳴った。出ないでいるとマリーは家までやってきてジョンに怒鳴り突き飛ばした。ジョンも「関係ないものは口出ししないでくれ」と怒鳴り返してたいそうな修羅場になった。
あんな思いはもうしたくなかった。
「とにかくもうしばらくいさせて、考えたいの。ね、お母さんお願い」
「そりゃあ、ケイトがいたいだけいてもいいけど……」
サラはキッチンを片付けながらため息をついた。トム用の車の絵がついた小さなボウルをキャビネットにしまいながら涙をそっと拭いていた。
********
ジョンは部屋でナースに鎮痛剤をもらいプラスチックのカップの水にストローをさしてもらい飲んだ。
チラチラとジョンを見る目に嫌悪感が浮かんでいる。ジョンはまさか自分が「体中に針を刺してる変態男」と呼ばれているなどとは夢にも思っていなかった。
ドアが開く音がしてカーテンがひかれる。そこに立っていたのはリリーだった。
「ああ、もう本当に勘弁してくれよ」と口の中で小さくつぶやいた。
「もう行っていいわよ、この患者は私が面倒みるわ、それにジョン聞こえてるわよ、なんなのよ勘弁してくれって」
ニヤニヤしながら若い看護見習いは出て行った。
「体中が痛いと訴えているのに、失礼な連中だな。いったいどうしたって言うんだ」
「ああ、針の事。皆あなたが趣味でやったと思っているのよ」
「なんだって!」
「大きな声出さないで。だって他にどう考えたらいいのよ。医者は前もって体内になんらかの方法で植え込んでいたに決まってると言ってるわよ。でも私はね(あんなナルシストが特に顔に針を刺すわけないでしょう)とは言ったけどね、ピーターにだけど」
ピーターはどんな話をしたのだろうとジョンは考えた。
「君はどう思うんだ?何かしたんじゃないのか?例えば俺が寝ている間に体の中に何らかの方法で……」言い終わらないうちにリリーは大笑いを始めた。
「そんなすごいことができたら、私は今頃優秀な外科医になってるわよ」
「なにも切開して埋めたとは言ってない。俺は信じていなかったけど呪いのたぐいだとか、そういうのなのか?好きだったろ?そういうの。怪しい店とか」
「ふん、バッカじゃないの?頭の針が深く刺さりすぎて脳に届いたんじゃないの?そんなことあるわけないじゃない。でもね、あったらいいなと思ったわよ、あなたが冷たいから。ブードゥーなんて本当に効くらしいわね、あとジャパンにも藁人形の呪いっていうのがあるらしいわ。真夜中に藁で作った人形にくぎを刺すんだって。呪いって本当にあるものなのよ」
「やめてくれ」
その時に部屋にケイトの親友のマリーマッケンジーが入ってきた。
「マ!マリー!いったいどうして!違うんだ、リリーは今夜当直なだけで……」
一か月前の修羅場を思い出し、またケイトに告げ口されたら大変だと慌てて言った。
「あらマリー早かったわね? 私が呼んだの。そうよね?マリー」
「ええそうよ、リリーが電話をくれたの」
「いいチャンスが来たわよって。ついでに言うとあの日のこともね、私がマリーに教えたのよ。今日ジョンと会うけど写真でも撮る?ケイトに教えてあげたら?って」
「は?いったいどういうことなんだ?」マリーはくすっと笑い、リリーの手をとり抱き寄せキスをした。
ジョンは飛び出さんばかりの目でそれを見た。言葉が出てこなかった。
「ジョン、私ね、病院でリリーを一目見て惹かれてしまったのよ。なんて美しいんだろうって。私は女性が好きなのよ、リリーはすっごくタイプだった。会うようになったんだけどね、なんとあなたと浮気しているって言うじゃない。ケイトの友達としても許せなかったわ。そしてあなたはケイトともリリーとも別れるべきだと思ったのよ。これほどうまく運ぶとは驚きだった」
マリーは話しながらリリーの背中に手をまわし、愛しそうに動かし続けた。
「なんていうことだ君たちが……」
「ええ、そうよ。でね、いいチャンスが来たわよってマリーに電話したのよ、ね?」リリーはグロスがたっぷりついた赤い唇でにやにやと笑いながらマリーに言った。
「なんだ、チャンスって!」
「50本も針が刺さってたんだもんね、もう2,3本増えてもいいんじゃないかしらね?」とリリーは注射器の針を取り出しながら笑った。
「太い針を頸動脈に突き立てた。なんていうのもいいかもしれないわね、ああ注射針で空気を入れてみた、とかね」
「ばかな!やめろ!」と叫びかけたジョンの口に乱暴にガーゼの束を押し込んだ。
「ナースコールは切ってあるわよ。あなたにはもう飽きたし、この私を無視するなんて絶対に許せない。マリーもあなたを死ぬほど憎んでいるの。ケイトもかもね? ああ、シナリオはね、患者は恥ずかしさのために自殺。これがいいわよね?でもその前にもう一度お楽しみをした。っていうのはどうかしらね?ペニスに針が何本も刺さっていた。なんていうのもおもしろいわよね、患者は入院中も我慢できなかったって!って新聞に見出しが載るわよ」
そういいながら注射針を手にリリーはジョンの足元のシーツをめくった。
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