第5話 緊急手術

__車の窓をガンガンと叩く音でジョンは目が醒めた。


トーランス病院の駐車場の車の中で、ハンドルにもたれたまま気を失っていた。


「一体どうしたんだ?」ドアを開けて白衣を着たままのピーターが覗き込む。シャツの赤いシミに気がつき、めくりあげる。わき腹から首まで小さな穴が開いていて、そこから出血が続いていた。それを見ると生物のような針を思い出し、また気が遠くなってきた。


 「おいストレッチャー早く!」というピーターの声がぼんやりと遠くから聞こえてきた。



 次に気がついた時は病院のベッドの上だった。 目を開けるとリリーが付き添っていた。やれやれ、よりによって。


 「気分はどう?」赤い唇を曲げて笑った。どうしてこんな女が魅力的に見えたのだろうか?


 「一体どうしたの?車の中で気絶なんてさ」


 リリーはたった今使ったばかりの注射針を医療廃棄物のゴミ箱に捨てるところだった。


「その針はどうしたんだ!」と叫ぶ。


「は?何言ってるのよ。痛い痛いと暴れたから一応鎮痛剤を打ったのよ。私の仕事忘れたの?小さい傷口は消毒しておいたけど、どうしたのあれ?」


ズキリズキリとあちこちが痛む。鎮痛剤が効かないくらい、痛みが増してくる。


 ピーターがカーテンを開けて覗き込む「気分は良さそうだな、バイタルもしっかりしている。よしすぐにレントゲンを撮ろう」


 車椅子に乗せられレントゲン室に運ばれる。 身体のあちこちが痛む。この皮膚の内側にもっと針が増えているのではないか?と嫌な予感がした。


 腹部から頭部にかけてレントゲンを撮ったレントゲン技師はフィルムを見た瞬間「まさか!」と叫んだ。 幸いジョンには聞こえない個室の中だった。「Drウオルツ、すぐにこれを見てください!こんなの見たことがない!」


 フィルムを見たピーターは息をのんだ。 


 「これは……」


 黒いフィルムに写るジョンの体にはまだ何十本もの針が体中に埋まっている。 それは向きこそばらばらだが、体と頭の周りをぐるっとなぞるように並んでいた。


すぐに全身のレントゲンに切り替えた。体中に針が並んでいた。


「いったい、どうしたって言うんだ」


「患者はSM趣味があるんですかね?それにしても多いな、これは自分で入れるにしても時間がかかっただろうな」



 性的にいろいろなものを体の中にいれて取り出せなくなる患者は何人も見てきた。


 肛門に大きな瓶を入れて取り出せなくなった急患も診たことがある。あの時は割れると腸内を傷つけるので、手術に大変な時間がかかった。針を何本か飲み込んだ患者もいた。胃の内壁に刺さり大出血を起こしていた。ピーターはロスアンジェルスのER医師だ。銃撃戦もあれば、変わった性癖の人物も多い、数々の修羅場をくぐり治療をしてきた。


 しかし、体中にこんなにも針を刺した患者は初めてだった。


「まさか、ジョンに限って」と言いかけてピーターはジョンの知らない側面があるのではないかと考えた。それにもちろん性的指向のことなど訪ねたこともなかった。それにしてはあの慌て方は腑に落ちない。とにかく話を聞こうとドアを開けた。


 まだレントゲン室にいたジョンの顔が歪んでいる。


「うあ、あ、あ!!ピーター!また、あれが!あれが始まった!!助けてくれ!!」


耳のすぐ上から針が出ている。そしてこめかみからも、ゆっくりと針が出ていた。顔には幾筋もの血が流れていた。ジョンの顔はみるみる蒼白になり白目をむいていた。


「緊急手術に踏み切る!急げ!針は動いているぞ!とにかく全部取り出すんだ」


 ピーターは麻酔医に運転席にあった食べかけのランチのことを伝えた。


 通常の手術では前夜から食事は禁止され胃の中には何もない状態にするが、緊急の場合はクラッシュインダクションと呼ばれる麻酔の方法をとる。


 胃に食物が入っていると誤嚥性肺炎の危険性が高いと考えられる。十分な酸素化と胃内容物吸引の後、静脈麻酔薬と筋弛緩薬を一度に投与し、マスク換気を行わずに気管挿管を行う。


 処置を行っている間にもジョンの額、眉の上からまた一本ズルリと出てきた。血が一筋目の中に流れ込む。


「急げ、どうなっているのかわからないが、この針は動いているようだ。危険な部位から取り出すことにする」


「まずは頭だ。もう一度レントゲンを!早く!いそげ!」頭皮の中に何本もの針が刺さっていた。 


麻酔で深く眠ってはいるが、その間にも針は動きながら這い出てきた。手術専門の看護師は、出てくる針を受け止めては傷口を消毒し止血を繰り返す。


「こんなの見たことがない!」


ようやく手の消毒を終えたドクターウォルツが両手を挙げて手術室に入ってきた。


「どうなってる?」


「バイタルはしっかりしています。でも針は、まだ動きながら出てきます。今3本目です」


「よし、とにかく全部取り除く、フィルムを見せてくれ」


手術は数時間かかった。


複雑な手術ではなかったが、浅く切開、針の摘出、縫合。という行為を繰り返した。針は全部取り出すことができた。午後から始まった手術でジョンがリカバリー室で目を覚ました時は7時を回っていた。


最初にぼんやりと蛍光灯の光が目に入ってきた。すぐに激しい嘔吐感が襲う。部屋が揺れる。そうだ、針、針はどうなった?思わず体を起こそうとして当直らしいナースに咎められた。


「まだ動けないわよ、一般病室にもうすぐ運びますよ」そしてナースアシストに


「患者の意識戻ったわ、ドクターウォルツを呼んできて」バタバタと足音が聞こえる。姿は見えないが、声が音が聞こえる。また揺れていた部屋が消えていく。


もう一度目が覚めたときにピーターがのぞき込んでいた。


「ジョン、気分はどうだ?お前のおかげで家に帰れないぞ」と笑う。そして「手術は成功だ、50本埋まっていたよ。信じられない数だ。針は検査に回している。体にぐるっと沿うように埋まっていたよ。でも全部取ったよ」


「50本?この体の中に?一体どうなっているんだ」 まだ吐き気がする。そして針の恐怖からか手術後の副作用からかガタガタと震えていた。


「それはこっちが聞きたいくらいだ。なあ、ジョン後で、そうだな数日したら話がある」


「もう頭ははっきりしている、今話してくれ」


「そうか、うん。だったら、これは友人として聞くぞ。本当のことを言ってくれないか。何かその、言いにくいな。くそ。……なにかプレイの一種なのか?性的な。自分で針を埋め込んだのか?そんな患者はたくさんいる。話してくれないか?」


「な、何を言ってるんだ!好きでこんなことをしたと思っているのか?」


「まあ、そういう患者も多いってことを言いたいだけなんだ。それから人体改造に興味がある患者もいる。なにかそういうことなのか?」


 ふざけるなと叫びたいのをこらえた。ピーターが手術をしてくれたことを思い出した。それに叫ぶような元気も残ってはいなかった。


 確かにLAでは最近人体改造が流行っている。背中にいくつも鍵フックをかけて体をつるすという信じられない趣味もある。背中に縦2列にいくつも穴をあけて、交互にリボンを結んだものも見たことがある。


 ネコになりたかった男は歯を削り、髭まで植え込んだ。顔の半分に穴をあけて横から歯が見える男の写真を見たときは心底後悔したものだ。


ジョンはうめいた。


「おい!勘弁してくれよ、そんな趣味はないんだ。人体改造ってなんだ?舌の先を切ったり、額に異物を入れたりするするあれだな?体中に針を刺す?そんな気になったこともないよ。自分を傷つけるつもりなんてない、死にたくなったこともない。俺が一番原因を知りたいよ。実は昨日(針の出てくる奇病)のことを調べたんだが世界中に似たような症例があるらしいじゃないか?」


「体から針が出てくる、か。あんなものはインターネットのたわごとだ。医学会の症例がないことはないが、アメリカにはないからな。アフリカやインドだったか。俺自身はこちらでは聞いたこともない。 黒魔術だと言う奴らもいるんだろう?だけどな、俺は医者だ。怪奇的なことを信じる訳にはいかないな」


「だったら、これはどう説明するんだ。神に誓って自分で針を入れたり飲んだりしていないんだ。そんなこと、するわけないだろう? それに針を差し入れた傷跡を見たのか?」


それはどこにもなかった。すべての針が体内に急に現れたようにそこにあったのだ。


ジョンはぼんやりする頭で腕や足に点々とついた医療用のテープを見ていた。頭にも数点ついていた。


「最初のレントゲンには映っていなかった。あの時俺は席を外した。あの数分の間にお前のこめかみから針が出ていたんだ。自分で刺したのかと思ったさ。しかしな、ぐるっと頭の周りについていた針は……外部から入った後がなかった」


「最初からそう言っているだろう。針は内側から出てくるんだ」衣装用テープがあちこちに巻かれ、黄色の消毒液まみれでジョンは答えた。


「医者としては全く説明のしようがない、原因もわからない。とにかくだ、針は取ったからな。今は安静にしてろ、医者としていえるのはそれだけだ。考えるのは元気になってからだな」友人でもあるピーターはそう言ってドアをしめかけた。


「ピーター待ってくれ!リリーだ。リリーは何かを知っているような気がする。それに呪われたとしたなら彼女以外考えられない!話をしてくれないか、頼む」


「なんて言うんだよ。ブードゥーの呪いをかけましたか?って聞くのか?あなたは魔女ですか?って?そんなこと聞いてみろ、あの女のことだ、思いっきりひっぱたかれるよ。まあ観察はしておくよ、とにかく眠ったほうがいい」


 もう一度引き留めようとしたがジョンはカーテンをシャッと閉めて出て行ってしまった。


少し眠ろうとするとガチャガチャとストレッチャーの音がして血圧を測りに来る。それにしても体に沿ってぐるりと針が埋まっている奇病だなんて聞いたこともない。こめかみから針が出てきた時の激痛を思い出していた。


体中の50もの切開の後がずきずきと痛み始めた。ジョンはナースコールボタンを押した


ジョンの部屋のナースコールボタンが点滅しているのを見てリリーは「私が行くわ」と席を立ちかけた。12時間シフトは終わりかけていたけれど、ジョンの経過が気になるのでもう少し病院にいようと決めていた。


 ナースの間ではジョンの症状でもちきりだった。もちろん誰も奇病などと信じてはいない。


「体中に50本の針だって!とんだ変態よね、ほらこの間の肛門にガラス瓶男と同じくらいじゃない?」


「素敵と思っていたのになあ~それにしても趣味なのかな?うええ気持ち悪い!」


「ドクターたちも自分で入れたんだろうって話してたわよ、信じられないわよね。私たちが一本注射打つだけでギャーギャーいうやつもいるのに」一斉に笑う。


 ナースステーションの前をジョンの診察を終えてピーターが通りかかった。すぐに部屋番号を確認してリリーの「私が行くわ」と言う声を聞いた。そしてナースたちの話声と笑い声が聞こえた。


「いい加減にしないか!夜間とはいえここを通る人間には丸聞こえだぞ!」


「すみません、ドクターウォルツ」と言いながらも、ナースたちは肩をすくめた。


「それから君、時間があるかな話がある」とリリーを呼んだ。


「今ですか?ドクターウォルツ。患者が呼んでいるんですけど」


「ほかのナースに任せられるだろう。ちょっとこちらに」


 並んで廊下を歩き、誰もいない待合室のドアを閉めて2人で腰を下ろした。


「ジョンのことなんだが、何か心当たりがないだろうか?」


「心当たりって?2人の新しいプレイだとか?そんなことするわけないわ、私たちはとっても正常なのよ。ジョンはね、ベッドの中ではいたって普通だったわよ、普通っていうより淡白なくらい」くくくと笑いながらあけすけにリリーは答える。


「それにどんな趣味があるかなんてあんまり興味なかったから。でもね、これだけは言えるわね、あんなにナルシストの塊の男が自分を傷つけるわけないわ。あんなに頭にもピンクッションみたいに針を刺すだなんて」と言い笑った。


「笑っているのか君は」


「あら、だってあのジョンにそんな趣味があるなんて、ちょっと面白いなと思っただけよ。命にかかわらないのならいいけれど、50本はやりすぎよね」


「君はジョンを愛していると思ってたよ」


「あら、私なりに愛しているわよ。ここ1か月は避けられていたからムキになっていただけよ。この私が無視されるなんて許せないわ、絶対に!」


「君は占いに興味があるんだって?魔術と言うのか。ジョンとそういう店に行ったんだろう?」


「ちょっと、この話はどこに向かっているのよ。私がジョンに何かしたっていうの?誰かがやったとでも思っているのかしら?もし誰かが故意に針を刺したとしたら、こんなことできるのは医者くらいじゃないかしらね?」


「君こそ何を言い出すんだ」


「ジョンの奥さんのケイトきれいよね?病院に一緒に来た時に見つめていたわよね?ジョンがいなくなったら、なんて考えたことあったんじゃないの?」


「失礼なこと言うな!」ピーターはかっとなって椅子をけるように立ち上がった。


「ああ、そうよね、もしもジョンを殺す気だったら簡単よね、注射一本打てばいいんですものね、ドクター。私にむかついているでしょうね。でもあなたには私を首にできないわよね、あの日の事公にできないわよね」高笑いするリリーの声を聞きながらドアを乱暴に開けた。


怒りで顔が燃え首の血管がどくどくと脈打っていた。


リリーが見習いとして病院に来た時、りりーはまだ未成年だった。高校卒業前のインターン制度として見習いにやってきたブロンドの美少女にしつこく誘惑されたピーターはたった一度の過ちを犯した。リリーが一番気に入らなかったことは、この(たった1回)というところだった。


「こんなことはもうしてはいけない。私は医者で君はまだ未成年なんだ。このまま付き合うわけにはいかないんだ」


「あら、未成年にあんなことやこんなことしたのは誰なのかしら?」


「リリー勘弁してくれ。あんな、つもりはなかったんだ」


当時の記憶が鮮やかによみがえる。このことは絶対に表に出すことはできない。後悔してもしきれなかった。


「あなたは私を首にできないわよね」と赤い唇をまげて笑うリリーを思い出すと怒りで手がしびれてきた。


「俺がもしも針山にしてやりたい人間がいるとしたら、それはお前だ、リリー」


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