第10話 幸せな日々
毎年恒例の収穫祭も終わり、再び日常の生活に戻った。
秋の色も深まり、街ではもう間もなく、冬の訪れを迎えようとしている。
あれからルカは、毎朝オリビアを誘って一緒に学校に通うようになった。
二人で何を話すでもなく、ただお互いに一緒にいたいという気持ちから、自然の流れでそうなっていた。
キンモクセイの花の香りに包まれながら、道沿いを彩るヤマブキ色のポプラ並木を眺める。
ただ二人横に並んで歩いているだけで、ルカとオリビアは満足していた。
二人で季節を感じながら、ただ一緒にいられることがどんなに幸せなのだろうか。
ルカはこの時、オリビアがいつも自分の隣にいてくれることの幸せを、心の底から感じていた。
しかしそんな幸せに浸る一時も束の間、朝の学校への道中、久々にあの不快な光景を目の当たりにさせられてしまった。
ジョシュがまたヨハンにちょっかいを出して泣かせていたのだ。
例のごとくジョシュの後ろには、二人の子分たちがいて、泣いているヨハンを見て笑っている。
「オリビア、ちょっと行ってくる」
ルカは急ぎ足でジョシュの元へと向かった。
「ルカ、暴力は絶対にダメだからね」
相変わらずオリビアは心配そうにしていた。
そしてルカはジョシュの前に立ち、上を見上げ彼の顔を睨みつけた。
「おお? これはこれは、天下の大英雄ノエル様の腰巾着のルカ様ではありませんか。同じ腰巾着のヨハンを助けに参られたのでありますか?」
一回りも大きな体格のジョシュが、こちらを見下ろしほくそ笑んでいる。
「おれを侮辱するのは別にいい。でもノエルさんやヨハンを侮辱するのはやめろ。そしてもうヨハンにちょっかいを出すな」
「ああ? 何だその上から物言う態度は? てめえ、ノエルの親善試合について行けたからって、自分が強くなったとか勘違いしてんじゃねえぞ!」
ルカの言動が勘に触ってしまったのか、ジョシュはいきなりルカに掴みかかってきた。
「ジョシュ! やめて!」
オリビアの声が響く。
刹那、ルカは掴みかかってきたジョシュの両手を素早く回避。
逆に掴みかかってきたその彼の両手首を掴んでから、そして足を払い、そのまま引力に任せて彼の巨体を地面へとなぎ倒した。
ルカはそのままうつ伏せに倒れているジョシュの背中の上に跨り、彼を後ろ手にして動きを封じ込めた。
身動きが取れず必死に抵抗しようとするジョシュ。
「セントラルに行った時、お前が向かおうとしている先の成れの果てを見てきた。こんなことはもうやめろ。虚しくなるだけだ」
ルカはジョシュの顔を見下ろしながら、その彼を見つめた。
必死に抵抗し暴れようとするジョシュ。しかしその抵抗も虚しく、彼は完全にルカに取り押さえられてしまった。
闘技場での戦いで、ルカは過去のトラウマを完全に払拭することができた。もう以前のように、やられるだけのルカではない。
そしてついにジョシュは観念して大人しくなったのだった。
❇︎❇︎
それから数時間後。
木の模造刀を構えるゴルドルフ。そしてルカもまた木の模造刀を構えゴルドルフと対峙している。
二人はお互いに向き合いながら、お互いの隙を窺い合っていた。
今は剣術の授業中。静けさの中、張り詰めた空気が流れる。
以前はトラウマが邪魔したせいで、ゴルドルフを前にして剣を振り上げることすらできなかった。
でも今は違う。以前からゴルドルフの動きは全て見抜いていた。そして今この瞬間も、これから彼がどう動くのか大体の見当がつく。
ゴルドルフは剣を振り上げる際に、一瞬だけ剣の重さに引っ張られ両手が下に下がってしまう。突破口を開くにはその隙を突く。
お互いに剣を構えながら睨み合いが続いた。
そしてルカはわざと視線を横に逸らし、わざと隙ができたように見せた。
すると案の定、ゴルドルフはそれにつられて、こちらに突進しようと剣を振り上げるモーションを見せてきた。
その瞬間、ルカはすかさず彼の両手首を小手先の一振りで叩いた。
するとゴルドルフは呆気なく両手で握っていた模造刀を地面に落としてしまった。
そして面食らった顔をしたまま動きを止めるゴルドルフ。
彼は自身の身に何が起きたのか、未だに理解していない様子だ。
すると次の瞬間、周りで見学していた男子生徒たち全員が立ち上がり、興奮しながらルカに向け歓声を上げた。
「み、見事だ……」
動揺しつつもゴルドルフは一言そう告げた。
ルカは彼に一礼するとすぐにその場から立ち去り、見学している男子生徒たちの方へとゆっくり向かった。
そしていつものようにヨハンと二人で近くの木陰へ行き、次の男子生徒の稽古の様子を何となく眺め始めた。
「随分と見違えたな。実に見事だった」
いつの間にかルカたちの座っている木陰のそばにベルハルトの姿があった。
「何だまたアンタか。まあ、来るとは思ってたけど」
ルカは彼の方を見上げた。
「ノエルの剣術はどうだった? いい刺激になったろう?」
「ああ、あの人は凄過ぎる。魔法も使えるし。おれなんかがいくら努力したとしても、到底あの強さには及ばないな」
「どうしてそんなことを自分で決めてしまう?」
「いや、普通に考えりゃ分かるだろ?」
「そんな考えはつまらん。さっさと捨ててしまえ」
「はあ?」
つい腹が立ってしまい、ルカは思わずベルハルトの顔を睨みつけた。
そんなルカなど一切無視して、ベルハルトは突然そわそわとし始めた。
「そうそう、仕事を思い出した。じゃあな、小僧。また来る」
彼はそう告げると、そそくさとルカたちの前から去って行ってしまった。
「おい! まだ話は終わってないぞ!」
そう呼び掛けるも、ベルハルトは全く振り返る素振りも見せない。彼の背中は早々に遠のいて行ってしまった。
「一体何なんだあいつは……」
怒りの矛先を失ってしまったルカは、思わず不貞腐れながらそう呟いた。
「何か羨ましいな……」
突然ヨハンが深いため息を吐いた。
「ん? どうした?」
寂しげな表情を浮かべるヨハンの横顔。
「僕もルカやノエルさんみたいに強くなりたいな……」
そして再び彼はため息を吐いた。
「言っとくけど、おれは別に強くなった訳じゃねえぞ。現にあの闘技場で、おれはお前を守ってやることができなかった。それは今でも悔やんでる」
「でもさ、ルカはノエルさんと一緒に肩を並べてあんな大きな竜と戦ってたよね? 僕はそれがすごく羨ましく思えるんだ……」
ヨハンはしょぼくれた顔で膝を抱えながら地面を見つめた。
どうやら彼は弱い自分にコンプレックスを抱いているようだ。それは当然か、その気持ちは身に染みるほどよく分かる。
ルカもまたセントラルに行くまでは、自分の弱さに悩まされていた。
けれどもそんなことより、もっと深刻な問題がある。
ヨハンは背が低く細身の体型の上に、見るからに運動神経や身体能力が絶望的に悪い。
素人目から見ても、武術において強くなれる素質が全くと言っていいほど皆無だ。
何と言っていいものか、彼に掛けてやる言葉が見つからない。
それと、以前から密かに疑問に思っていたことがある。
男ならば、誰しもが強くならなければならないのだろうか?
いや、そんなことはないはずだ。
自分の身を守るための護身術は、多少なりとも必要かもしれない。
けれどもむやみやたらと強くなったとして、その先に何があるのだろうか?
生きていく上で、そこにあまり意味はないような気がする。
それにヨハンにはヨハンなりの、生きていく上での戦う
だから彼が武術で強くなる必要はないのだ。
「お前はそのままでいいと思う。ほら、お前は昔から手先が器用で、色んな物を作ったり修理したりするのが得意だろ? それはおれにはできない芸当だ。だからお前はそっちの才能を伸ばせ」
「え?」
驚き反面、ヨハンの
「いざって時はおれもいるし、ほら、弱い方が大好きなノエルさんにだって守ってもらえるだろ?」
「ホントだ!」
ノエルの名前を出したのは、どうやら大成功だったようだ。
彼は完全に笑顔を取り戻してくれた。内心密かにホッとするルカ。
「そうそう、無理に強くなろうとすることはない」
追い討ちをかけるように、ルカはヨハンの機嫌をとった。
瞳をうっとりさせながら満面の笑みを浮かべるヨハン。一件落着めでたしめでたし。
「あれ何だろう?」
突然、男子生徒の一人が空を見上げて指差した。
晴天の空の下、黒く巨大な雲が猛スピードでこちらに向かって来ているのが見えた。
「おい! やべえぞ! 早く逃げろ! あれはワイバーンの大群だ!」
一人の男子生徒の声で、周りにいる全ての生徒たちが騒然となり始めた。
そんな中、黒く巨大な雲に向かって、よく目を凝らしてみた。やはりあれは雲ではない。
灰色の飛竜の大群。全ての飛竜たちが黒く重厚な鎧を身に纏い、そして背中には煌めく鎧を身に纏った人間を乗せている。
見覚えがある。あれはセントラルの王宮で見た鎧の騎士。そしてその手には大きな旗を携えたハルバード。
遠目からでも見える風になびく大きな旗。竜の頭の両側に大きな芭蕉の葉の羽ばたきを示す紋章。
オーガスタの騎士の軍団。
そう、あれは紛れもなくオーガスタ王国最強を誇る飛竜騎士団の軍勢だった。
すると突然、すぐ先の方に見える風車の一つが轟音と共に爆発し炎上した。
そして悲鳴が轟き、我先にと逃げ惑う大勢の生徒たちで学校中は混乱状態に陥ってしまった。
戦慄、押し迫る生命の危機。
「ヨハン、すぐ近くの森に避難して隠れろ。おれはオリビアを探し出してから逃げる」
ルカはヨハンにそう告げると、一目散に女子生徒たちが授業を受けている校舎を目指したのだった。
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