第6話 ノエル 対 アンドレ

 王の謁見が終わると、ルカたちは別の広間に案内され、絢爛豪華な料理が振る舞われた。


 そして食事を終えると、それぞれに宿泊する部屋へと案内された。


 ノエルだけは一人別室で、付き人であるルカとヨハンは同じ一つの部屋に宿泊することになった。


 さすがに王の宮殿だけあって、それが付き人のルカやヨハンのために用意された部屋だったとしても、贅沢過ぎるほど広く豪華な部屋だった。


 その中でも際立つのが、二人のためにそれぞれ一台ずつ用意された巨大なベッド。


 ルカが普段寝ている自室のベッドの十倍ほどの大きさはある。


 寝そべってみると、今までに味わったことのないぐらいふかふかと柔らかい寝心地だった。


 すると隣のベッドではしゃいでいたヨハンはものの数分で寝落ちしてしまった。


 長旅の後の上、アンドレ王子による王の謁見でのあの不愉快な出来事。酷く疲れてしまっても無理はない。


 ルカもまた自分のベッドで横たわりながら、眠りに落ちるのを静かに待った。


 「…………」


 どのくらい時間が経っただろうか、なぜだか気持ちが昂って眠れない。


 仕方がないので、ルカは部屋の外にある広いバルコニーに出てしばらく風に当たることにした。


 外はすっかり夜の暗闇が支配していた。


 とりあえずバルコニーに出てみる。


 いくつもの燃え盛る松明の灯りの中、大きなハルバートを構えた煌く銀色の鎧の騎士が一人巡回している。


 その他に人気は無い。


 ルカは心地よい夜風に当たりながら、バルコニーの外側にゆっくりと歩き始めた。


 すると一人外壁の手すりに寄りかかりながら、外を眺めている人影が見えた。よく見ると、それはノエルだった。


 ルカは何となく彼の方へと歩み寄った。


 「眠れないのかい?」とノエル。


 はい、とルカは一言答えた。


 「そう言えば、君とはあまり話す機会が無かったね。少しばかり話をしよう」


 ノエルはいつものように優しげな笑顔を見せた。


 「何から話そうかな……」と彼が話題を探し始めているところに、「あの……」とルカは話を切り出した。


 「何だい?」とノエル。


 「王の謁見の間でのことなんですが、あの、その大丈夫でしたか?」


 ルカは恐る恐る尋ねた。


 「何がだい?」とノエル。


 「おれは相手がいくら偉い王国の王子だったとしても、あの行為は絶対に許せません。ノエルさんは腹が立たなかったのですか?」


 ルカがそう尋ねると、ノエルは深いため息をついてしばらく黙った。


 「正直に言うと、腹が立たなかったと言えば、それは嘘になるかな。やっぱり僕も人間だからね。でも、僕はノースフィールドの街の命運を背負っている。ミロスラフ王やアンドレ王子の心一つで、僕たちの街はどうにでもなってしまうんだ。だから僕一人が我慢して済むのであれば、何をされても平気さ」


 ノエルはそう告げながら、ルカの目を優しい眼差しで見つめてきた。


 「それに、僕の代わりに君があの王子に怒ってくれたじゃないか。僕にはそれで十分だよ。あの時の君はとても勇敢だった。よくやった」


 すると彼はルカの肩を軽く叩きながら、優しく微笑みかけてくれた。


 けれどもその後、彼は少し寂しげな表情を浮かべた。


 「たまたま王の血筋に生まれたというだけで、何をしても許され、そして何不自由無く全てを持っていて、望めば何でも手に入る」


 ノエルは言葉を詰まらせた後、ため息をついた。


「片や奴隷や貧乏な家に生まれた者は、何も持たず搾取され蔑まれ続ける。どんなに優れた能力を持っていたとしても、そんなものは全て無意味で、どんなに努力しても一生運命が変わることはない」


 そしてノエルはルカの目を強く見つめてきた。


 「不公平だと思わないかい? 比較的恵まれた環境に生まれた僕が言うのもなんだけど、僕はね、そんな世の中がただただ虚しいと思うんだ」


 ノエルはおもむろに夜空を見上げた。そんな彼の横顔は愁いの表情に満ちていた。


 「お言葉ですが、おれはそうは思いません」


 ルカはノエルの顔を力強く見つめた。するとノエルは目を丸くさせて、こちらを見つめ返してきた。


 「おれは生まれた時から父親がいない。だから母と二人暮らしで、ずっと家は貧乏だった。そんなギリギリの暮らしの中で、やっと学校にも通わせてもらっている」


 ルカは語り始めた。するとノエルは、今度は悲しげな眼差しを見せた。


 「けれどもおれは、自分のことを虚しいと思ったことは一度もありません。なぜならおれのそばには、物心ついた頃からずっとヨハンたちみたいな友達がいた。この世でたった一人の家族である母もいる。お金が無くて家はずっと貧乏だったけど、おれはずっと一人じゃなかった」


 そしてルカはノエルから決して目を逸らさず、次の言葉を告げた。


 「だからおれは、自分のことを虚しいと思ったことは一度もありません。それと、運命は絶対に変えられるとおれは信じています」


 そのルカの言葉にノエルの表情が綻んだ。


 するとルカはそんな彼の綻んだ顔を見て、ふと不思議な感覚に襲われてしまった。


 (なんだろう? この感覚は……)


 「そうか、君はそう思うのか。これは一つ勉強になった……」


 するとノエルはいつもの優しい笑顔を取り戻した。


 「不思議だな。君と喋っていると、何だか君とは他人じゃないような、そんな気分にさせられてしまう」


 ノエルのふとした発言に、ルカは自分の中の不思議な感覚の正体に気付かされた。


 そう、この感覚はまるで、他人ではなくもう一人の自分と話しているような感覚。


 「おれも今、同じことを思っていました……」


 ルカがそう返すと、ノエルは喜びに満ちた笑顔を見せた。


 「そうか。じゃあ、今から僕たちは兄弟だ。僕は物心ついた頃からずっと一人で過ごしてきたから、弟ができて本当に嬉しいよ」


 彼の喜びに満ちた笑顔は嘘ではなさそうだ。心の底から本当に喜んでいるように見える。


 ルカもまた、兄と呼べる存在の者ができて本当に嬉しく思った。


 それからしばらく二人の会話は弾んだ。特に学校での話題で二人は会話に花を咲かせた。


 「もう寝よう。明日は早い。僕の勇士を後ろで見ていてくれ。明日の親善試合は絶対に勝ってみせる」


 何かを取り戻したかのようなノエルの自信に満ちた眼差し。


 いつもふわふわと気の抜けたような印象のノエルだったが、この時ルカの目に映った彼の眼差しは、覇気に満ち溢れていた。


           ❇︎❇︎


 翌朝、セントラル闘技場。


 将来のオーガスタ王国の王となるアンドレ王子対、北の剣豪と称され国内では剣豪として名が売れているノエル・ノースフィールド。


 その二人の決闘とも言える剣術の親善試合。


 ビッグネーム同士の対決目当てに、国中から大勢の人々が詰めかけ闘技場の広い観客席を埋めていた。


 そして闘技場内は、対決する二人に向けられ多くの歓声に包まれていた。


 そんな観客たちの歓声に包まれながら、ノエルは闘技場の真ん中の円形の舞台上で一人佇んでいた。


 そしてルカとヨハンは、その舞台横から少し離れた所でノエルを見守っていた。


 「オーガスタ王国の民たちよ! 今宵は我が嫡男、アンドレの親善試合のために、よくぞこの闘技場まで参られた! 遠い土地より悪路の中を参られた者もいるであろう。実に天晴れだある! 試合の相手はあの北の剣豪と称されるノエル・ノースフィールドである! 相手にとって不足無し! さあ、今宵の親善試合、とくとご覧あれ!」


  オーガスタ国王ミロスラフの言葉に、広い闘技場の全観客席から数多の歓声が轟く。


 すると突然、ファンファーレが闘技場内全てに鳴り響いた。


 そしてしばらくすると、ノエルが立つ舞台上に両腕を縄で拘束された男が、煌めく銀の鎧を身に纏った二人の騎士に連れられて来た。


 そして男は二人の騎士たちに促されるまま、舞台の石畳みの床の上でひざまずいた。


 すると場内に再びファンファーレが鳴り響いた。


 それを合図にして、アンドレ王子が鞘から剣を抜き舞台上に登場した。


 全客席から届けられるアンドレ王子への数多の歓声。


 それに応えるようにして、彼は周囲の大勢の観客に向けて右手の剣を掲げた。


 「お集まりの諸君! 今日はこの親善試合のためによくぞ参られた! 実に天晴れである! 田舎者の剣士を相手に、私の剣術の腕前を披露してやろうぞ!」


 アンドレの言葉に、再び闘技場は多くの歓声に包まれた。


 「まあ、余興と言っては何だが……」


 するとアンドレは、舞台上でひざまづく男の方を見下ろした。


 「この男、罪人である! 話によればそもそも金が無いらしく、己が幼き娘のために、店からパンを一つ盗んだそうな!」


 アンドレは剣を振り上げながら、周囲の大勢の観客たちに向けてそう訴えた。


 そして「連れてこい!」と自らの後ろを振り返り顎で合図した。


 するとアンドレの背後から、さらに煌く銀色の鎧を纏った一人の騎士が、幼い女の子を引き連れて舞台上に上がってきた。


 「お父さん!」


 泣き叫ぶ女の子。


 「イリヤ!」


 するとひざまずいている男は、自分の娘の名前を叫びつつ思わず立ち上がろうとした。


 しかしすぐさま後ろにいた騎士の一人に、背中を蹴られ床に伏せられてしまった。

 

「このオーガスタで盗みなどあってはならない! ましてやこのセントラルの街の中でなど話にならん! この恥さらしが! お前の罪は万死に値する!」


 アンドレはひざまずく男に向け両手で剣を構えた。


 「お父さん!」


 イリヤと呼ばれるその女の子は、泣き叫びながら舞台上でひざまずく男に駆け寄ろうとした。


 しかし後ろにいた騎士によって、イリヤはすぐに取り押さえられてしまった。


 「娘よ、その目によく焼きつけておけ! お前の父親が無様に死にゆく様を!」


 アンドレは舞台の床に取り押さえられている男の首筋に、自らの手に握る剣の刃先を軽く当てた。


 そして天へと向けて大きく剣を振りかぶった。


 そしてひざまずく男の首筋に目掛け、力任せにその剣の刃を振り下ろした。


 その瞬間、男の断末魔の叫びが辺りに響き渡る。


 アンドレの振り下ろした剣の刃は、見事に男の首筋に命中した。しかし男の首を切り落とすことは叶わなかった。


 「くそ!」


 突然アンドレがそう吐き捨てた。そしてその傍で男が激痛に呻いている。


 するとその様子を目の当たりにしてしまったイリヤは、青ざめた顔でそのまま崩れ落ちてしまった。


 そしてさらにアンドレは、自らの剣を男の首に剣を振り下ろした。


 しかし無駄に血しぶきが飛び散るだけで、男の首を切り落とすことは全く叶わない。


 何度も何度も剣を振り下ろすが、やはり男の首を切り落とすことはできなかった。


 焦りで顔を曇らせるアンドレ。


 首が半分繋がっただけのような状態の男は、全身血塗れで舞台上の床に両手をつきながら、呻くようにして叫び続けている。


 「くそ!」


 それを見かねたルカは堪らず立ち上がり、腰元の剣を鞘から抜こうとした。


 しかし「ルカやめて!」とすぐさまヨハンにそれを止められてしまった。


 するとその刹那、音も無く男の首が石畳みの床の上に転がり落ちた。同時に闘技場は騒然となってしまった。


 舞台上の床に倒れた首の無い男の胴体のすぐそばには、ノエルが佇んでいた。


 そして彼は、自らの持つ剣の刃先に付着した血を勢いよく振り落とし、再びその剣を自らの腰元の鞘へと納めた。


 その次の瞬間、湧き上がる数多の歓声がノエルに浴びせられた。


 しかし彼は自らに浴びせられるその歓声の一切を無視し、自らの元いた場所へとゆっくり戻って行った。


 そんなノエルに、いつも周囲に振り撒いているような笑顔は無かった。


 ただ無表情で、その場に静かに佇んでいる彼の姿があるだけだった。


 「愚か者! このおれ様に恥を掻かせおって! 者共! 此奴をひっ捕らえよ! そしてギロチンを持って来い! すぐに処刑してやる! いや、まずは両眼をくり抜いてから四肢を引き千切ってやる! そして散々苦しませてから、ゆっくりとその首を切り落としてやる!」


 アンドレは怒りに打ち震えながら声を荒げ、自らが握る剣の刃先を何度も何度も石畳みの床に叩きつけた。そして甲高い金属音が辺りに響き渡った。


 しかしノエルは一切の表情を変えず微動だにしなかった。そして荒れ狂うアンドレをただ静観していた。


 「アンドレよ、みっともないぞ! お前が恥を掻いたのは、全てお前の責任ではないか! 大抵のことはいつも見逃してやってはおるが、今のお前はあまりに酷い! 大人しく試合に備えよ!」


 ミロスラフ王が観覧席から立ち上がり舞台上を見下ろしている。

 

 「父上……」

 

 アンドレは目を真っ赤に血走らせつつも、王の言葉に従い大人しくなった。


 「ノースフィールドのノエルよ。本当に申し訳ない。我が嫡男の醜態を許してやってくれ。これはまだ幼稚な子供なのだ」


 王はノエルに向けて深く謝罪した。


 そして「それでは審判の者よ、試合を始めてくれ」と舞台横で待機していた審判の男に指示を出した。


 大勢の観客たちが見守る中、お互いに向き合いそして睨み合うアンドレとノエル。


 アンドレに関しては言うまでもなく、ノエルに関しては何やらいつもと少し様子が違う。


 顔の表情一つ見ても、いつもの穏やかさが全く感じられない。


 一見無表情だが、ノエルからは微かに強い怒りの念のようなものが伝わってくる。


 「それでは両者、剣を構えて」


 審判の男が右手を掲げた。しばらく緊迫した空気が流れる。


 「始め!」


 審判の男が手を振り下ろした。そしてその瞬間、戦いの火蓋は切って落とされた。


 うおおおおおおお!


 審判の合図と同時に、アンドレが雄叫びを上げながら剣を振り上げた。そしてノエルへと向けて勢いよく突進した。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る