第2話 選ばれし者ノエル

 肩に強烈な一撃を受けてしまった。


 そしてルカはそのままうつ伏せの状態で地面に倒れ込んでしまった。


 目の前に立ちはだかるのは、右手に木の模造刀を構える教官のゴルドルフ。


 ルカはゴルドルフを睨みつけながら、地面に落としてしまった木の模造刀を拾い握りしめた。


 今は学校の授業中で、剣術の稽古の最中だ。


 二十人ほどの男子生徒たちが、ルカとゴルドルフ教官の周りを取り囲み、二人のやり取りを傍観している。


 その中にはジョシュやその腰巾着の少年二人やヨハンの姿もある。


 「全く話にならん。お前はなぜ教えたことができんのだ? 剣というのは相手に斬り込んでこそ、その力の本領を発揮するのだ。それなのにお前は、避けながら逃げ回ったり、弾いて防御するばかりじゃないか。それではいつまで経っても上達なぞせん……」


 ゴルドルフは落胆しながらため息を吐いた。そして不憫そうな目でこちらを見下ろしている。


 反撃できるならそうしている。でもできない。それが何とももどかしい。だからいつも自分のことを嫌悪してしまう。


 現に今の瞬間もそうだった。


 ルカはゴルドルフに一太刀入れるために、一歩踏み込もうと試みた。


 しかしその瞬間、母ハンナが額から血を流している姿が頭の中でフラッシュバックしてしまった。


 そしてルカは模造刀を振り下ろすのを一瞬躊躇ってしまったのだった。


 するとその瞬間、当然に隙ができてしまった。


 それに伴い、ルカはいとも簡単にゴルドルフに強烈な一撃をお見舞いされてしまったのだった。


 「もういい、下がれ。はい次!」


 ゴルドルフはルカに背を向けた。


 「ルカ、あっちで休もう」


 するとヨハンが少し遠くにある木陰を指差しながら手を差し延べてきた。


 ルカはヨハンに手を借りながらゆっくりと地面から立ち上がった。


 そしてヨハンが指差したその木陰の方へと歩いて向かい、彼と二人並んでその木陰の下に腰掛けた。


 激しく動いたせいか、じっとしているのにとても暑い。そのおかげか木陰にいると、少し冷たいそよ風が心地よく思える。


 すると校舎の一階の窓から、幼馴染みのオリビアの姿が見えた。


 彼女は楽しそうに同じ女子生徒たちと調理実習を受けているようだ。


 心なしか焼き菓子の香ばしい匂いがその校舎から漂ってくる。


 ルカは何も考えず、遠くでオリビアの笑っている顔をただぼんやりと眺め続けた。


 「相手の太刀筋はちゃんと見えているようだな。あとは相手に斬り込んでいく度胸と決断力だけか」


 気がつけば、木陰のそばに中肉中背の初老の男が立っていた。


 剣術の稽古の時間になると、いつもこの謎の男はルカの前に現れる。


 これはここ最近だけの話ではない。


 ルカがまだ幼く、この学校に進学したその日からずっとこの男はふとした時に現れていた。


 ちなみに以前、彼に名前を聞いたことがあるのだが、その時彼は確かベルハルトと名乗っていた。


 所々破れている衣服。身なりは小汚いが口髭は綺麗に整えられている。


 よく見ると、髪の毛も艶があり定期的に整えているようだ。


 このベルハルトという男、本当に一体何者なのだろうか?


 「体感は悪くない。剣を構える姿勢も芯が通っている。あとは踏み込む度胸だけだ。自信を無くさず励めよ少年」


 男はそれだけ告げると、どこかへと静かに去って行った。


 毎度のことながら薄気味悪ささえ感じさせられる。今のようにただ現れては、要点だけ告げて去ってい行く。


 しかしルカは、このベルハルトと名乗る男のことを、特に害は無い人間だとは思っている。


 「あ、ノエル様だ!」


 今度はヨハンがを輝かせながら遠くの方を指差した。


 そこには細身の長身で、黄金色こがねいろの長い髪をした一人の男が立っていた。


 彼の名はノエル・ノースフィールド。この街の領主の息子だ。


 ノエルは中性的な美しい顔立ちをしていて、いつも涼しげな顔をしている。


 はたから見ると、何事にも動じないクールな優男やさおとこといったイメージである。


 そんなことから彼は女子生徒たちからはもちろん、この学校の絶大なる人気者である。


 そしてルカの隣にいるヨハンもまた、ノエルに憧れを抱いている生徒の一人である。


 ノエルの人気の一番の理由は、何と言っても彼が剣術の達人だということだ。


 その彼の剣の腕前は、学校一どころか下手をすると、街一番なのではと巷では噂されているほどである。


 ノエルの祖先は、古の時代に魔王を討伐したとされる勇者ルキウスいう伝説の英雄である。


 そしてこの街の一番高い丘の上の、大きな岩に突き刺さった聖剣エクスカリバーの次期継承者でもある。


 そういうことから彼は、言うなれば選ばれし者なのである。


 そのノエルが何やらゴルドルフ教官に歩み寄って行っている。そして彼は軽く会釈をした。


 するとゴルドルフ教官は授業を突然中断して、ノエルに木の模造刀を一本手渡し、お互いに模造刀を構え向き合い始めた。


 「あ、すごい! ノエル様がゴルドルフ教官と実戦稽古? どっちが勝つんだろう?」


 隣に座るヨハンが突然興奮し始めた。

 

 ゴルドルフは模造刀を両手で持ち、低い姿勢の構えを見せた。


 その彼からは張り詰めた重い空気が漂っている。


 一方のノエルは、右手に軽く握っている模造刀の先を地面につけたままだ。


 彼はまるでただ棒立ちしているような姿勢でゴルドルフを迎え打とうとしている。


 ゴルドルフとは違い、ノエルからはただ穏やかな静寂だけが感じられる。


 そして二人は、互いに隙を窺うかのようにして向き合っている。


 同じ広場にいる者たちは皆、二人のやり取りを静かに見守り始めた。


 そして校舎からもまた、多くの生徒たちが窓から身を乗り出して二人の様子を眺めていた。


 すると突然、ゴルドルフがノエルに仕掛けた。


 見事な剣さばきでゴルドルフはノエルに連続斬りを繰り出す。


 しかしノエルもまた、あまり派手な動きは見せないものの、ゴルドルフの攻撃を全て回避し続けている。


 「教官すげえ。あのノエルの動きを一方的に押さえ込んでるよ……」


 見物している男子生徒の一人がそう呟いた。


 ゴルドルフが一方的にノエルに仕掛け続けているので、はたから見れば彼が優勢のように見える。


 しかしこの勝負、ノエルは全く本領を発揮していない。


 むしろゴルドルフをやみくもに踊らせて楽しんでいるようにも思える。


 ゴルドルフが負ける。ルカは二人の勝負を見ていて密かにそう確信した。


 そして案の定、疲労からかゴルドルフの動きが徐々に鈍くなり始めた。


 そして次の瞬間、ノエルはゴルドルフが握っている模造刀を一振りで払い飛ばした。


 模造刀が弧を描きながら宙を舞い、そして音をたてて地面に転がり落ちた。


 ノエルはゴルドルフの喉元に模造刀の切っ先を軽く突き立てた。


 するとゴルドルフは両手を上げて動きを止めた。


 勝負はついた。ノエルの勝ちだ。


 「ノエル様!」


 ヨハンが興奮して木陰から立ち上がった。


 すると次の瞬間、周りにいたほぼ全ての者たちが、ノエルに向けて歓声を上げ拍手喝采し始めた。


 校舎の窓から身を乗り出している生徒たちもまた、ノエルに向けて拍手と大きな歓声を送っている。


 その多くの拍手と大きな歓声に包まれる中、ノエルはゴルドルフ教官と両手で固い握手を交わした。


 そして左手を天に掲げながら、自らを注目する全ての者たちに、その美しい笑顔を振り撒いて答えた。


 まるで彼のその姿は、古の英雄である勇者ルキウスを彷彿とさせる。


 どうやらノエルの凄さは本物のようだ。


 あんな見事なまでの剣術を見たのは初めてだ。彼の剣術は一切無駄な動きが無くそして速い。


 ゴルドルフ教官もまた、このノース・フィールドの街では一流の剣士としてその名が通っている。


 それなのにも関わらず、ノエルはその彼をたった一撃でねじ伏せたのだ。


 彼は街一番どころか下手をすると、世界中のどの剣豪たちとも、十分に渡り合えるほどの実力があるのではないかと、ルカはその時思ったのだった。

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