第1話 落ちこぼれの少年ルカの物語
強烈な拳の一撃を左の頬に貰った。そしてその反動で背中から強く地面に叩きつけられてしまった。
酷い目眩の中、ルカはいじめっ子のジョシュの顔を睨みながら必死に自らの身体を起こした。
自分よりも倍近く大きな体格の丸刈りの少年が、目の前に立ちはだかっている。
ルカはすぐさまジョシュに反撃しようと立ち上がった。
しかしその瞬間、母ハンナが額から血を流し、床に倒れている姿が脳裏を過ぎってしまった。
そしてその光景は頭の中に強く焼きついてしまっていて、どうしても離れようとしてくれない。
ルカは思わず足がすくんでしまった。
ジョシュの両隣には二人の少年たちの姿がある。ジミーとトーマス。ジョシュの腰巾着たちだ。
相手はジョシュを含めた三人、反撃すれば勝てない人数でもない。
しかし過去のトラウマがどうしてもルカの反撃を阻止しようとする。
ルカのすぐそばには幼なじみのヨハンがいる。彼は昔から、いつもジョシュにからかわれ泣かされていた。
現に今もそうだ。いじめられていたヨハンをかばったが故に、ルカはこうしてジョシュになぶられている。
「おい、何だその目は? 文句があるんならかかって来いよ。殴る度胸もねえ奴が粋がって弱え奴かばってんじゃねえよ!」
高笑いするジョシュ。そんな彼にルカは何もせずただ睨み続けた。
「ちょっとやめなよ。ルカが怪我してるじゃない。ジョシュはどうしていつも乱暴ばかりするの?」
突然の少女の声。
真っ直ぐで綺麗な長い黒髪の心優しい美少女がそこには立っていた。
街一番の美人と謳われている少女。
ルカのもう一人の幼なじみオリビアだ。
「う、うるせえよ……。女が、出てくんなよ……」
ジョシュは突然バツの悪そうな顔をして大人しくなった。
そして「何か飽きた。行くぞお前ら……」と二人の子分たちを引き連れて、彼は呆気なくその場から去って行った。
「ちょっと大丈夫? またケンカして……。どうせ勝てないんだったら放って置きなさいよ。またこんなに怪我までして……」
オリビアはルカの元へと歩み寄って来て、殴られた頬にそっと手で触れてきた。
ジョシュに負けて屈辱を味わされた挙げ句に、その都度幼なじみの女に慰められる。
自分でもどうしようもなく情けない気持ちになってしまう。そんな情けない自分をいつも嫌悪してしまう。
「何だよ? 放っとけよ鬱陶しい……」
ルカはオリビアの手をわざと払いのけた。そんな時、いつもオリビアは悲しそうな顔をする。しかしルカはいつもそれをあえて無視している。
これもまた毎度のことで、自分でもウンザリしてしまう。
「ルカは何も悪くないんだ。僕がジョシュたちにいじめられていたところを、かばって助けてくれたんだ……」
ヨハンが泣きながらそう告げた。
「そうだったの……」とオリビアは優しげに彼を見つめた。
殴り返す勇気さえあれば勝てるのに、いつもそれができない。そんな情けない自分に本当にウンザリする。
ルカは腹いせに地面を殴りつけた。
「二人ともごめんよ。早く学校行かなきゃ。遅刻したら教官にまた怒られちゃうよ?」
ヨハンは必死に涙を両手で拭いながらそう告げた。
「あ、そうだよね。急がなきゃ。ほら、ルカも急いで」
するとオリビアはルカの手を引っ張ってきた。
「や、やめろ! 恥ずかしいだろ! 学校の奴に見られたら、後で何言われるか分かんねえんだからな!」
ルカはどうしていいか分からず、思わずオリビアの手を力任せに振り払ってしまった。
そんな心にも無いことをしてしまう度に、いつも悲しそうな顔をするオリビア。
しかしルカはそんな彼女の悲しそうな顔を目の当たりにしても、照れ臭さも手伝ってか、やはり見て見ぬフリをして無視してしまうのだった。
❇︎❇︎
十五歳のルカには、物心ついた頃から父親がいない。
ルカが生まれる前に病死したと、母のハンナからそう聞かされている。
母一人子一人の母子家庭。そんな家庭環境の中、ハンナは父親の役割もしながら、女手一つでルカを育ててきたのだった。
それは八年前のことだった。その当時のルカは、いつも近所で喧嘩ばかりしていた。
その喧嘩の相手はいつもジョシュで、理由は先ほどの出来事とほぼ同じだ。
ジョシュが身体が小さくて気が弱いヨハンをいじめているのを、ルカが止めに入るというお決まりのパターンだ。
そして当時は、決まってルカがジョシュとの喧嘩には勝っていた。
ある日のこと、例のごとくジョシュがヨハンをいじめている所を、ルカはこの日も目撃してしまった。
そしていつものようにルカは、彼のいじめを止めに入ったのだったが、この日はいつもと違っていた。
ルカはこの日に限って、右手に棍棒を握っていたのだった。
二度とジョシュがヨハンをいじめないようにするために、いつも以上に痛めつけてやろうという安易な考えだった。
そして案の定、ルカはジョシュとの喧嘩に楽々と勝利した。
しかしその際ジョシュは負傷してしまい、全身血塗れで顔も誰なのかよく分からないぐらいにまで腫れ上がってしまっていた。
それでもルカは、ジョシュをこれでもかというぐらいに所構わず棍棒で殴打し続けた。
けれどもそんなルカを、泣き叫びながら抱きついて必死に止めようとする一人の少女がいた。それが幼き日のオリビアだった。
それからその日の晩のこと、ルカは家に帰った後、当然に母ハンナからこっ酷く叱られた。
しかし自分が悪いことをしたとは全く思っていなかったルカは、その時ハンナに強く反抗したのだった。
それを皮切りに親子は言い合いになり、やがてその言い合いは激化してしまった。
そしてついにハンナはルカの頬を引っ叩こうと右手を振り上げたのだった。
その悲劇は一瞬で起こってしまった。
ハンナが右手を振りかぶった瞬間、ルカは反射的に彼女のその右手を払い、そのまま力任せに彼女を強く突き飛ばしてしまったのだ。
そのルカの突き飛ばした反動で、ハンナは机の角で頭を強打してしまい額から血を流してしまった。
そんな痛々しい彼女の姿を目にした瞬間、ルカは自分がとんでもないことをしてしまったのだということを思い知らされてしまった。
そしてその瞬間から、ルカには一つの呪いがかけられてしまったのだった。
「自分の持つ力は凶暴で、絶対にその力を人に向けてはいけない」
トラウマとも言えるその呪いは、今後ルカの中で事あるごとに、母ハンナの額の流血のフラッシュバックと共に発動することとなった。
そしてそれ以来ルカは、いかなる理由があろうとも、誰かに対し暴力を振るうことが一切できなくなってしまったのだった。
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