第34話 信じさせて……!

「ぐっ……⁉」


 鋭利な氷に突き刺した左手に激痛が走り、血が腕を伝っていく。それはやがて、空気中に落ち、そのままはるか真下の地面に落ちていく。そんな左手の激痛を堪えつつ、掴んだ金剛の手だけは離さまいと、右手を強く握りしめる。


 俺は落下していく金剛の手を掴み、左手を氷に突き刺して落下を免れることができた。真下では、人が米粒ほどの大きさでかろうじで視認できるくらいだった。


 こんな高さから落ちたら、間違いなく助からないのは一目瞭然だ。


(ここから……どうする……⁉)


 俺は焦っていた。金剛を助けるのが精一杯で、ここから助かる方法が見つからない。上空では、今もフィアによる暴走で崩壊を続けている。上にも下にも、助かる道は残されていなかった。


「んん…………」


 下から、かすかに金剛の声が聞こえた。よかった、意識を取り戻したみたいだ。


「なっ……⁉ これ⁉ 奥原、京介⁉」


 自分の状況を瞬時に悟ったのか、金剛が驚愕の声を上げる。


「よぉ……目、覚めたのか……」


 歯を食いしばり、何とか金剛を見下ろす。金剛は驚愕しつつ、困惑した顔をしていた。


「何で、私を助けた……?」


 理解できないというように、顔を険しくする金剛。そんなことかと思いつつ、俺は次いで思ったことをそのまま口に出した。


「お前が、落ちそうになっていたからだよ……だから助けた……!」


 喋るたびに、体中の傷口が痛む。先のフィアの一撃で血を大量に失い、今も失われ続けている……死が目前に迫ってくる予感がしている。


「……っ⁉ 意味がわからない⁉ なぜ、自分の身を犠牲にしてまで他人を助ける? あなたにとって、何の利がある⁉」


 金剛の困惑が増すのが伝わってくる。他人を信じられなくなった金剛には、俺たちの行動が理解できないのだろう。俺は薄れゆく意識で、それでも言葉を紡いだ。


「利なんか、ない⁉ 俺たちは、見返りなんて求めてないんだよ! ただ、困っている人がいたら、苦しんでいる人がいたら、助けたいって思うんだ⁉ そこに利も理由も必要ないんだよ……⁉」


 俺も、乃愛も、雫も、叶も、海斗も、鳴上さんも、誰一人として見返りなんて求めていない。皆、純粋に金剛を思って行動しているんだ。苦しんでいる金剛を救いたいから。


「私は助けを求めていない⁉ 仮に私を助けても、あなたが死んだら意味がないじゃない⁉」


 その言葉に、俺は思わず笑みを浮かべてしまった。


「その時はその時だ。例え俺が、死ぬことになっても……お前を助けようとして行動したことに、後悔はない!」


 助けようともせずに行動しないで後悔するよりも、助けようとして行動するほうが何倍もいい。その結果、自分が死ぬことになっても、死んでしまうことに悔しい気持ちはあっても、助けようとしたことに後悔することだけは絶対にない。


「でもな、俺はまだ諦めてないぞ……⁉」


 こんな絶望的な状況で何を言っているんだと思われるかもしれない。それでも、諦めたくなかった。まだ意識があるなら、最後の最後まであがいてやる。例えみっともないと思われても。


 助けたい。例え金剛に望まれてなくとも、苦しんでいる金剛を見捨てて、簡単に諦めることだけはしたくない。そう思い、俺は金剛の手を握る力を強めた。その時だった。


 突如、目の前の世界が変容した。さっきまで見ていた景色は消え去り、代わりに真っ赤な炎と、それに焼かれる建物が映った。


(何だ、これ⁉)


 痛みも束の間忘れ、目の前の景色に困惑する。だけど、次に聞こえた声に体が震えてしまった。


『フフフッ、皆殺された気分はいかがかしら……舞花ちゃん?』


 憎らしいほどの笑みを浮かべたフィアの姿が目に映った。俺が突如現れたフィアに体を強張らせていると、今度は憎悪の感情の波が押し寄せてきた。その感情の全てが、目の前のフィアに向けられたもので、金剛が抱えている感情の全てだと理解できてしまった。


 憎い、死ね、消えろ、苦しめ、苦しんで苦しんで苦しんで、死ね……皆を返せ――。


 あまりに辛すぎる感情の数々に、頭だけでは抱えきれなくなりそうになる。金剛はこんな感情をずっと背負っていたのか⁉


 感情の波に耐えていると、やがて元の世界の景色に戻った。途端に体の痛みが再来するが、こんな痛み、すぐにどうでもよくなった。


「金剛……⁉ お前、ずっとこんな地獄のような苦しみを抱え込んでいたのか⁉」


「何をっ……?」


 金剛が意味がわからないといったような、当然の反応を示す。俺も、今の現象が何なのか正確なことはわからない。でも多分、俺の『エラー』が関わっていることは確かで、おそらく、金剛の心、内面に抱える感情を読み取ったんだ。


「先に謝っとく、悪い。俺も、『エラー』保有者で、使える『エラー』は相手の心を読むことができる力だ! 普段は自分からは使えないが、今この場で偶然、金剛の感情を読み取ったんだ……!」


 突然の打ち明けに、金剛が目を丸くしている。


「勝手に読んだのは本当に悪い! ……でも、お前の抱える感情は理解できた!」


「……っ! 何が理解できただ⁉ 私の抱えるものが、他人に理解できるものか⁉」


 金剛が怒りの声を上げる。金剛の経験した痛み、抱える苦しみは当然、他人になんて完全に理解できるものでないことはわかっている。それでも、


「それでも、一部でも、お前の苦しみは知ることはできた⁉ 一部でも、お前の感情に寄り添うことはできる! 理不尽に皆殺されて辛かったよな、苦しかったよな⁉ 皆を奪ったあの女が許せないよな、殺したいよな⁉ わかるよ! 全てを理解できなくても、そういった気持ちだけでも理解することはできる!」


 なら、後はどうする。感情に寄り添うだけで終わりか? このまま二人一緒に落ちて終わりか? ……違う。あがけ。例え絶望しか見えなくてもあがけ!


「こんなところで絶対に終わってやらないぞ! こんな悔しい思いをしたまま、終われるか!」


 金剛の感情に寄り添い、それで終わりなんて、そんな無責任で逃げみたいなことはしたくない。動け、動け! 動け‼


「…………この状況から助かる方法なんてない」


 それまで無言だった金剛が諦めのような言葉を呟く。しかし、


「けど、もう少し前の状況なら、逆転の手立てはあるかもしれない」


 その言葉に、俺は金剛を見る。金剛は俺のことを真っ直ぐに見ていた。


「前の、状況?」


「そう。私の『エラー』は、短時間の時間の巻き戻し。今から発動すれば、崩壊前までなら戻れるはず」


 その事実に、俺は驚く。時間を巻き戻すって、『エラー』にはそんな力も存在するのか⁉


「この力がもっと早く使えていたら、皆も救えたのかな……」


 過去の惨劇を思い出しているのか、金剛には後悔の感情が浮かんでいるように見えた。それを見て、俺は悟ってしまった。金剛は自身の『エラー』に気づくのが遅かった。それゆえに、気づいた時にはもう手遅れだったんだ。今金剛が言ったように、時間の巻き戻しは短時間分しか行えないから。


「この力を使えば、確かに過去に戻れる。……でも、それは同時に、あなたが私の感情に寄り添ったという出来事も、消えることになる」


 金剛が何か探るように、俺にそのことを伝えてくる。金剛が言いたいことが、何となくわかった。


「それでも、過去のあなたは、私が助けを求めた場合、私を助ける? 私がこの時間で起きたことを言ったら、あなたは信じる?」


 金剛の瞳は疑心暗鬼で揺れているように見えた。


 金剛は今、俺を信じようとしてくれている。けど、不安なんだ。他人を信じることが不安で、期待してまた裏切られるのが。


 けど俺は、わずかにでも金剛が信じようとしてくれたことが、この場において何より嬉しかった。


「当然だ! 俺は金剛を助けるためにここに来たんだ! それなのに、そんな俺がお前を信じなくてどうする⁉ 『エラー』なんて関係ない! 俺は最初から、いや、俺たちは最初からお前を助けたいんだ! それは今も過去も変わらない!」


 俺はそう言い切ってみせた。過去の俺を信じるとかじゃない。信じる必要なんかない。ここに来た時点で、すでに気持ちは決まっているんだから。


「…………わかった。もう一度、もう一度だけ、私に人を信じさせて……⁉」


 金剛の願いを込めた叫びとともに、目の前の世界は歪んでいった。

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