第33話 希望はどこにある?

 体中を激痛が走り抜ける。


 氷で覆われた空間にいるのだから本来は寒いはずなのに、痛みのせいで今は汗が噴き出すほど熱い。


 俺の横腹には、深々と巨大な氷柱が貫かれていた。


「がっ……ぁ……」


 苦痛の声を上げるとともに、血を吐き出してしまう。


「……あの一瞬で致命傷を避けるなんてね」


 後ろから、俺を刺したフィアが、驚きとともにどこか感心した声音で言った。


 ……あの時、今まで感じたほどのない底知れない恐怖をすぐ近くに感じた。そのため、ほぼ反射的に俺の体は動いていた。咄嗟に無理矢理体を捻じり、致命傷となる部分を避けた。


 だが、致命傷を避けたとはいえ、この状況も十分にまずい。貫かれた横腹からは、溢れんばかりの血が流れ出ている。


「兄者ぁーーーー!?」


 乃愛が今までに見せたことのないほどの様相で向かってくる。


「フフッ、やっぱり坊やを狙ってよかったわ」


 ……こいつの狙いは叶と雫じゃなく、はじめから俺だったのか。


 くそっ、痛みで視界が霞んでくる。


 だけど、ただやられっぱなしだと思うなよ。


 俺は震える右手を動かし、勢いよく後ろに突き出した。


「がはっ…………え……?」


 フィアが血を吐き出すとともに、困惑の声を上げる。


 気づかなかったのか? 俺の右手に金剛の刀が握られていることに。


 俺はせめてもの抵抗として、右手に握っていた刀をフィアに突き刺した。不死身であるフィアにこの程度の攻撃が効くわけもないが。


 フィアは刺された衝撃でわずかに体をよろけさせ、俺を貫いていた氷柱から手を離した。その瞬間、俺は強引に体を右側に捻じり、横腹から氷柱を引き抜いた。


「がっ……。っ!?」


 痛みを堪え、体を捻じった勢いとともにフィアへと突き刺した刀に力を込める。肉を貫く嫌な感覚が気持ち悪い。


「……フ、フフフッ、アハハハハハ!」


 何がおかしいのか、フィアは突然と狂気を感じさせる笑い声を上げ始めた。すると、自身に突き刺さった刀を掴んだかと思うと、一瞬でそれを凍らせていく。


 氷が手に届く一歩手前で、俺は刀を手放した。フィアの自由を許すことになるが、このままだと乃愛のように腕ごと凍らされてしまう。


 しかし、俺の予想とは反対にフィアの体はその場に固定された。


「ごふっ……! …………あ、ら?」


 再度吐血したかと思うと、フィアは驚愕の表情を浮かべる。


 フィアの胸の先から、鈍く光る銀色の切っ先が飛び出していた。誰かが後ろからフィアを刺したんだ。フィアの後ろから、薄汚れているものの、目を惹くような金色の髪が流れた。


「フフッ、よかったわ! まだ生きていてくれたのね、舞花ちゃん?」


 血を零しながらニタニタと微笑むフィアの姿は、恐ろしく異様だった。そんなフィアの感情を曝け出したのは、他でもない金剛だった。


「っ! 金剛……!?」


 金剛の無事に束の間安堵する。金剛の服はボロボロに破けており、所々の出血が目立つ。だが、その目の奥に潜む憎しみの感情だけは変わらず顕在していた。


「お前は私が絶対に殺す! 絶対に地獄の底まで突き落としてやる!!」


 金剛がフィアに突き刺した銀色の切っ先、ナイフに力を込める。その度にフィアの口から血が零れ、笑みを強めていく。


「いいわよ、何度でもあたしを殺しなさい! でも、あたしも舞花ちゃんを殺すわ! だってずっとこの時を待ち望んでいたんだもの!」


 すると、フィアを中心としていくつもの氷のバラが辺り一帯に咲き誇った。それが何を意味するかに気づく前に、それらは一斉に内側から膨張し、幾重もの棘が飛び出した。


 細かなそれらの棘を回避するすべもなく、無遠慮に俺と金剛の肌を引き裂いていく。


「がっ!?」


「ぐっ!?」


 俺と金剛は同時に悲鳴を上げた。


 やがて棘は収まったが、俺はその場に膝を突いてしまった。


「兄者!?」


 乃愛が駆け寄ってきて、俺の体を支えてくれた。その顔はひどく焦っている。


「死ぬでない、兄者よ! ダメだ、兄者が死ぬなど、我は絶対に認めないぞ!?」


 よく見れば、乃愛の目尻には涙が浮かんでいる。


 そんな顔しないでくれ。俺は大丈夫だから。


 そう言ってやりたかったが、声を出そうとすると喉がひどく痛み、上手く言葉が出てこない。今の棘の攻撃で喉をやられたんだな。


 俺は言葉を諦め、何とか表情で乃愛を安心させようとする。だがその瞬間、肌を突き刺す冷気に襲われた。見れば、肉眼で見えるほどに、フィアから白い冷気が漂っていた。


「フフフフフッ! 皆、みーんな殺してあげる!」


 どこか正気を失ったように、フィアはニタニタと気味の悪い笑みを顔に張り付けている。


 何か来る。そう予感した時にはもう遅かった。


 突如足元が揺れたかと思えば、揺れは一気にひどくなり、テレビ塔全体が振動しているのではと思えるほど、地響きのような音を鳴らしながら揺れ始めた。


 やがて、「バキバキッ」という氷が割れる音がそこかしこから聞こえ始めた。――まさか、テレビ塔が崩れ始めている!?


 そんな最中、異変にいち早く対応したのは金剛だった。


 いまだ笑みを浮かべ続けているフィア目掛けナイフを構える。だが、そのナイフが届くよりも先に、それは起きた。


 足元の揺れが一層ひどくなったその刹那、床から今までとは比べ物にならない、人間の何倍もあろうかおいう巨大な氷柱がせり上がってきた。


「なっ!?」


 金剛は突然目の前にせり上がってきた氷柱の勢いに、吹き飛ばされてしまう。


「金ご……!?」


 乃愛の言葉は最後まで続かなかった。


 突如、床が斜めに傾いた。氷柱がせり上がった勢いに床が耐えられなくなったんだ。


 下へと引っ張られるように俺と乃愛は滑り落ちていく。だけど、悲劇はそれだけにとどまらなかった。


 斜めに傾いたこの床にも、氷柱がせり上がってきた。床は一瞬で割られ、俺と乃愛を分断した。


「兄者!?」


 乃愛が俺に手を伸ばす。


 ――乃愛っ!? 俺もその手を掴もうと手を伸ばすが、指先が触れた瞬間、俺の体は重力に引きずられるように落下した。


「いやぁぁぁぁーーーー!!」


 乃愛の悲鳴のような絶叫が遠くなり、俺の体は止まることなく下へと滑り落ちていく。


 くそっ! このままじゃ地上へ真っ逆さまだぞ!


 俺は咄嗟に掴めそうな突き出しを掴み、落下する勢いに逆らった。一時的に半分ぶら下がる形で止まることには成功したが、今も上は崩壊を続けている。このままじゃ落ちるのも時間の問題だ。


 まるで世界が滅亡する瞬間でも見ているようだった。希望なんて見つからない。ただ、終末を見届けることしかできない。それほどまでに、絶望的な状況だった。


 こんなんで、終わるのかよ……!? 


 金剛を救うこともできず、乃愛たちさえもフィアの犠牲になってしまう。こんな未来、俺は望んでいない!


 すると、俺の目が金色の軌跡を捉えた。それは真っ直ぐに地上へと落下している。


 ――違う、あれは!?


 今まさに落下している軌跡の正体に気づき、俺は迷わず突き出しから手を離していた。


 空を泳ぐようにして、落下の速度を速める。


 徐々にその軌跡に近づく。そして、ついに手が届く距離まできた。


 俺は手を伸ばした。意識を失い、落下している金剛の手を取るために――。

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