第32話 力の差

 乃愛が銀色の髪を靡かせながら、フィアへと向かっていく。その手に持つグラムが黒い瘴気を纏った。


「フフッ、単純な子ね」


 フィアは向かってくる乃愛を余裕の眼差しで見つめ、右手を乃愛に向け掲げた。その瞬間、乃愛を囲い込むように上下左右から氷柱が突き出した。


 逃げ場のない攻撃。ゆえに乃愛は全ての氷柱をグラムで薙ぎ払った。


 しかし、乃愛が最後の一つを薙ぎ払った瞬間、新たに無数の氷柱がそこかしこから突き出してきた。


「ちっ……!」


 乃愛が新たに現れた氷柱を見て焦燥を見せる。あのままではフィアに近づくことすら叶わない。


 フィアのあの氷は、無尽蔵に作り出せるものなのか? 俺はフィアの持つ氷結の『エラー』に疑問を覚えた。


 俺たちが今いるこのテレビ塔を丸ごと凍らせたのもフィアだ。さっきのフィアの話しぶりからすると、おそらく仲間はいない。つまり、一人でここまでの規模の攻撃をしたことになる。にも関わらず、眼前のフィアに疲弊した様子は一切ない。


 あまりに常軌を逸した『エラー』すぎるんだ。


「フフッ、いつまで持つかしらね」


 フィアはまるで乃愛を弄ぶように、次々と氷柱を突き出していく。


 そんなフィアの様子を見て、このままではジリ貧になると判断したのか、乃愛は襲い来る氷柱を無視しグラムを腰だめに構えた。


「はああああ!」


 乃愛は掛け声とともに、まるで鞘から引き抜くように勢いよくグラムをフィア目掛け抜き放った。瞬間、グラムの切っ先から黒い衝撃波が撃ちだされた。それは乃愛を襲おうとしていた氷柱をまるごと薙ぎ払い、その先にいるフィアへと飛んでいく。


 遠距離による、フィアの意表を突いた攻撃に思えた。だが、


「やっぱり甘い」


 フィアは自身の目の前にこ円形の氷の盾を作り出し、グラムの衝撃波を何事もなく防いだ。


「甘いのは貴様だ!」


 だが、乃愛の攻撃もそれきりではなかった。氷の盾を作り出したことによって、一瞬フィアの視界が塞がれた。その隙を突いて乃愛が一足に距離を詰めた。


 二人の距離がほぼゼロに近づき、乃愛がグラムをフィア目掛け振るった。


「なっ……!?」


 だが、乃愛の振るったグラムがフィアに届くことはなかった。グラムはフィアへとあと数センチという距離で動きを止めている。その原因は、グラムを握る乃愛の右手にあった。


「いくら強力な剣でも、振るえなければ無力も同然よね」


 フィアは、乃愛の凍りづけになった右手を見て笑った。


「乃愛!?」


 乃愛の右腕は、地面から生えた氷と繋がって凍りついており、ぴくりとも動いていなかった。あれでは、グラムを振るうことができない。


「こ、の……!?」


「無理に引きはがさない方がいいわよ。肩から丸ごと右腕を失うことになるわ」


 フィアは愉快気に笑い、動けない乃愛へと近づいていく。そして、左手で乃愛の頬を撫でた。


「可愛いわね、乃愛ちゃん。あなたが『エラー・コード』七人相手を打ち負かしたっていう噂を聞いた時は驚いたわ。一体どれだけ強力な『エラー』を持っているのか、実際に会ってこの目で見てみたくなったほどだもの。でも――」


 そこで一度、フィアは残念そうな顔をした。


「確かに強力な『エラー』だけど、使い手のあなたがこれじゃ宝の持ち腐れね。――だから、あたしがもらってあげる」


 そう言ったフィアの笑顔は不気味に映った。


 あいつ、まさか乃愛の『エラー』を奪うつもりで!?


 フィアは乃愛の頬を撫でつつ、


「そうそう。あなたには期待を裏切られたけれど、あなたみたいな強気な子を苦しめて殺すのは大好物よ」


 身の毛がよだつような発言をした瞬間、フィアの手から冷気が発せられ、乃愛の顔に徐々に氷が張りついていく。


 まずい! このままだと乃愛が! 


 何か手はないかと、俺は急いで辺りを見回した。すると、少し離れた場所に、一本の刀が氷に突き刺さっているのが目に留まった。あれは金剛が持っていた刀だ。


 さっきまでは気づかなかったが、あんなところにあったのか。でもそれなら、金剛も近くにいる可能性がある。


 とにかく今はあの刀にかけるしかない。俺はなりふり構わずにその刀のある場所へと走った。


「フフッ、何か企んでるわね、坊や。でも、させないわ」


 フィアは俺へと視線を向け、空の右手を向けた。


「させない、はこっちのセリフだ!」


 乃愛がそう叫んだ瞬間、グラムからさらに濃い瘴気が発せられた。その勢いはとどまることなく膨張していき、やがて破裂した。


 辺り一帯に衝撃波じみた風の暴力が押し寄せ、抵抗むなしく俺の体は押し流された。


「くっ!?」


 暴風に交じってフィアの声が聞こえる。フィアもこの暴風に流され後退を余儀なくされている。


 暴風を発生させた乃愛はというと、その暴風を利用して腕と地面を繋いでいた氷を破壊し、その場から後退していた。


 やがて暴風は収まり、場を静寂が支配した。


「はぁっ……はぁっ……」


 乃愛は膝を付いていた。何とか自由を取り戻したとはいえ、依然として乃愛の右腕は凍りついたままだ。その腕は力なく下ろされたまま動かない。


「やってくれたわね、乃愛ちゃん」


 乃愛から数メートル離れた先に、依然として余裕の笑みを携えたフィアが立っていた。


 ――力の差がありすぎる。


 俺は別に乃愛の実力を過信していたわけじゃないものの、相当なものだと思っていた。ただ、それ以上にフィアが強すぎる。


 自身の『エラー』の使い方を熟知し、それを人を殺すために一切の迷いもなく使う。その力の攻略方法が全くと言っていいほど見つからない。


 それに、フィアにはまだ不死身の『エラー』がある。例え氷結の『エラー』を攻略できたとしても、肝心の不死身のほうをどうにかしなければ意味がない。


 あまりにも絶望すぎる状況で、希望が見えない。せめて、俺の『エラー』が使えたらあいつの『エラー』の弱点を暴けないか?


 僅かな切望にかけ、俺は『エラー』を発動しようと試みる。…………だが、いくらやっても何も聞こえてこない。


 何でこんな時でも、俺の『エラー』は役立ってくれないんだよ!


 自分の力のなさに打ちひしがれそうになるが、まだ諦めるわけにはいかない。俺の視界には、まだ諦めていない乃愛の姿が映っている。妹が諦めていないんだ、兄が先に諦めてどうする。


 俺は横目に氷に突き刺さった刀を見る。さっきの暴風のおかげで、だいぶ刀との距離が縮まった。


 今は何かしら武器がいる。間違ってでも素手で戦おうものなら、一瞬で氷結の餌食になる。俺はフィアの様子に細心の注意を払いつつ、刀に近づいていく。


「まさかあんな方法で氷結から逃れるとは思わなかったわ。だけど、今みたいなやり方はすぐにボロが出るわよ?」


「…………」


 乃愛は何も答えず、グラムを左手に持ち替え、フィアを真っ直ぐ睨み返している。


「……さすがに、ここまで反抗的な態度を崩さないとなると、少し興が冷めるわね。……どうすれば、あなたの苦しむ顔を見れるのかしら」


 フィアがまるで次の遊びを探す子供のように顔をしかめる。すると、何か閃いたかのように突然顔を上げた。


「そうだわ! あの子たちを先に殺しましょう!」


 フィアの視線の先には、奥にいる叶と雫がいた。フィアは二人を視界に収めたかと思うと同時に駆け出した。


「っ!? 貴様!」


 乃愛が焦ったようにフィアの進行を阻止しようとする。それを見越していたのか、フィアが乃愛を阻むように床から氷の壁を突き出した。


「くっ」


 乃愛が急ブレーキをかけ、グラムでその壁を破壊する。だが、その僅かな間でフィアは二人へと肉薄する。


 俺は手にした刀とともにすぐさま走るが、もとよりフィアとの距離が離れすぎていたため追いつけない。


「させるかぁーーーー!!」


 乃愛はグラムを背に回し、さっき放ったのと同様の暴風を発生させた。それによって得られた推進力を利用して、乃愛はフィアへと追いつく。


 推進力による加速を生かしたまま、乃愛はグラムをフィアへと叩き込む。グラムはフィアに直撃し、その体が氷の床に沈んだ瞬間、「バキッ!」という耳障りな音ともに、フィアの体が無数の氷の破片となって砕け散った。


 乃愛が驚愕に目を見開かせる。


 今乃愛が攻撃したフィアは偽物だ! おそらく、氷の壁で乃愛の視界を奪った一瞬に、フィアは氷結で自身の偽物を作り出したんだ!


 じゃあ、本物のフィアはどこだ? いくら視線を巡らしてもフィアが見つからない。


「……っ!? だめぇぇーーーー!?」


 突如、叶が何かに気づいたように叫び声を上げる。俺はその声が自分に向けられていたのだと、一瞬後に気づくことになった。


「っっっっ!?」


 途端に、底知れない恐怖が体を飲み込んだ。そして、


「さよなら」


 嫌によく聞こえるその絶望的な声とともに、俺の体を氷柱が貫いた。

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