第17話 ありのままの妹より(2)

 乃愛は六対一と圧倒的に不利な状況で、梶原たちに立ち向かっていく。


 梶原たちは乃愛の『エラー』を見ているので、油断している様子はない。


 特攻をしかけた乃愛に相対するように、マスクを被った体格のでかい男が前に出てくる。あいつは――。


 昨日時計塔を出た瞬間、俺を襲った男だ。


 その時のことを思い出す。はるか後方まで殴り飛ばされたことから、おそらくパワー系の『エラー』なはず。


 あんな一撃が乃愛に当たりでもしたらひとたまりじゃないぞ!?


 男は乃愛を視界に捉えたのか、その右拳を突き出す。


 乃愛はそれを横に飛んで悠々と回避する。そのまま回転の勢いをのせ、グラムを振るった。


 当然、男もグラムを警戒していたため、すでに回避行動を取ろうとしていたが、


「がはぁっ……!」


 乃愛が振るうグラムの前には、あまりに遅すぎた。


 男の口から苦しそうな声が漏れる。


 しかし、男の体から斬りつけられた痕はおろか、一滴の血も流れていなかった。


 見れば、グラムには黒い瘴気のようなものが発せられている。


 斬ったのではなく、その黒い瘴気を叩きつけたんだ。


 例え『エラー』を使っても、相手を殺すことだけは、乃愛は絶対しない。


 けれども、瘴気による一撃も重く、男はその場で力尽きたように意識を失っている。


「ちっ、近藤! 浅岡!」


 梶原が叫んだ瞬間、後ろにいた二人が同時に駆けた。


「俺が先行する! 浅岡は援護を頼む!」


 すると、近藤と思われる男が先行していき、無防備な状態で乃愛に向かっていく。


 乃愛は近藤の『エラー』を警戒しているのか、グラムを構えつつ挙動を目で追っている。


 しかし、近藤が何かする様子がないまま肉薄してきたため、乃愛はグラムを振るった。


 グラムは何の障害もなく近藤に直撃したが、


  ――ガキィィィィン――


 金属同士が勢いよくぶつかったような、甲高い音が体育館に鳴り響いた。


「ぐっ!?」


 乃愛がこの場で初めて苦しげな声を上げた。


 剣を握る手が震えている。


 金属の、体!?


 近藤の体は、照明の光を反射させる金属で覆われていた。


 多分、金属のように体を硬化させるのが、近藤の『エラー』だ。


 ニヤリとしている近藤を見ると、はじめからその力でグラムを受け止めるつもりだったことが窺える。


 そのまま畳み掛けるように、近藤は金属で覆われた拳で乃愛を攻撃していく。


 乃愛はその攻撃を躱しつつ、近藤から距離をとろうとする。


 だが、もう一人の浅岡という男が乃愛の背後に回り込んでいた。


 浅岡が両手を突き出す。瞬間、スタンガンより何倍も甲高い電撃音が空気を裂いた。


 肉眼で視認できるほどの稲妻が両手の間から瞬いている。


「っ!?」


 稲妻に気づいた乃愛はその場で急制動をかけた。


 その隙を突いて、近藤の拳が飛ぶ。しかし、


「なっ……!?」


 近藤の拳は空を切る。


 乃愛は拳が届くよりも先に、床に突き刺したグラムを支点に跳躍していた。


 乃愛は跳躍した勢いでグラムを引き抜き、近藤の背後に降り立つ。


 だが、近藤に焦った様子はない。回避する必要がないからだ。


 またさっきと同じことが起こる。多分、この場にいる全員がそう思っただろう。


 でも、そうはならないぞ。


 俺の知る乃愛のグラムは、


 乃愛がグラムを振りかぶる。瞬間、グラムを包む黒い瘴気が何倍にも膨れ上がる。


 ――ガキャァァァァン!!――


 さっきと同じような音が響くが、今度は違う。


 金属の破片を散らしながら、近藤の体がいとも簡単に吹き飛んだ。


 さらに、吹き飛ばされた近藤は、その先にいた浅岡をも巻き込んでいく。


「ぼはぁっ!?」


 壁が凹む勢いで二人の体は激突し、そのまま動かなくなる。


「その程度の防壁では、出力を上げた我のグラムは受けきれないぞ」


 あれがグラムの最大威力かはわからないが、あまりに圧倒的な力だ。


 乃愛は倒れた二人が動かないのを確認して、残りの三人を無力化しようと振り返る。


 その瞬間、乃愛の体に無数の蔓が絡みつき、その体を空中に縛り上げた。


「ぐっ……!?」


 乃愛! ……しまった!?


「やってくれたな。だが、ようやく捕まえた」


 その声が聞こえると同時に、状況を見誤っていたことに気づく。


 梶原よりも後方にいる、眼鏡を掛けた男。その袖から幾重もの蔓が伸びている。


 乃愛が圧倒している間、男はずっとチャンスを窺っていたんだ。


 そんな男の動きも、俺なら気づけたはずだ!


 何のために、俺はここにいるんだよ……!?


「よくやった、土門。……さて」


 梶原が乃愛に近づいていく。その目には、手に揺らめく炎と同じ、憎悪の炎が見て取れる。


「よくも俺たちの計画を邪魔してくれたな。同じ『エラー』保有者、歩み寄れると思った俺が愚かだったよ」


 梶原はまるで疎ましいものを見るような目で乃愛を射る。


「き、貴様らのやろうとしていることは間違っている……! 心の中では気づいているのであろう!?」


 乃愛は苦しみつつも、毅然とした目で梶原に訴えかけるのをやめない。


 窮地に陥っても、乃愛の意志は揺らがない。


「……例え間違えだろうと、やらなきゃなんねぇんだ……そうでないと!」


 だけど、梶原にはもう届かなかった。


「俺たちはいつまでも、どこまでいっても地獄から抜け出せない!! 俺は自分が『エラー』保有者というだけで家族が迫害された! 久原は信じていた友人らに裏切られ、殺されかけた! 土門はウィルス排斥団体に殺されかけた! 俺たちはこの世界に喰いものにされてきたんだ!!」


 胸の内を全て吐き出すかのように、梶原の感情が洪水のように溢れた。


 悪いのはだれだ?


『エラー』保有者を否定する人間たちか? 


 世界か?


『エラー』を与えたオーロラか?


 だれが悪いかなんていう明確な答えは存在しない。


 だから問題はそこじゃない。


 悪者を探すんじゃない。今苦しめられている他と変わらない『普通』の人間を理解し、受け入れることだ。


 明確で簡単な答えのはずなのに、何よりも難しい。


 梶原の感情を肌で感じ、この場にいる生徒たちはどう思っただろう――。


「ぐぅ……ぁ……!」


 梶原の感情に同調したのか、乃愛を拘束する蔓が強まる。


 このままだと乃愛に限界がくる。これ以上、乃愛が苦しむ様を黙って見続けることなんてできない!


 俺は近くに置かれていたホウキを手に取り、階下の土門を睨む。


 こんなホウキ程度であの蔓に敵いっこないのは目に見えている。


 だけど、蔓に攻撃し、土門の動揺を誘えれば十分だ。それで乃愛の拘束が緩めばいい。


「くっ」


 乃愛はグラムを土門目掛け投擲した。だがそれは、土門が立つ床の近くに突き刺さるにとどまる。


 一見ただの苦し紛れの攻撃に思えた。


 だけど、これは好機だ。そう思ったのと同時に、


『―――――!』


 乃愛の助けを求める声が、


 瞬間、俺の中のスイッチが切り替わった。


 だけど、今までの感覚とは違う。冷徹な自分が確かに存在するが、俺は自分を失っていない。


 どこか不思議か感覚に身を任せつつ、俺は一切の躊躇もなく1階へと飛び降りた。


「ああああああああ!」


 一瞬、この場にいる全員の視線を受けていると感じた。


 しかし、床はすぐに迫ってくる。


 落下の勢いを乗せて、驚愕に目を見開いている土門、その袖から伸びる蔓目掛けホウキを叩きつける。


 蔓は――切れていない。それに、土門は動揺しつつも、蔓を弱めることはしていない。


 大したやつだ。だけど、本命はこれじゃない!


 蔓をクッションにし衝撃を吸収させ、受け身を取りつつ目的の場所まで下がる。


「あのガキ!? なぜここにいやがる!?」


  梶原が俺が現れたことに動揺しているようだが、今は無視する。


 受け身の体制から立ち上がり、


 本当、乃愛は俺がこの場にいることを読んでいたのかね。


「――っ!? 土門、今すぐ下がりなさい!」


 久原は気づき土門に命令するが、遅い。


 俺はグラムを引き抜き、傍に伸びた蔓を両断した。


  蔓が切れた衝撃で、土門は仰反る。その無防備となった体目掛け、グラムを叩きつける。


「ぎゃああああ!」


 悲鳴を上げながら、土門は床に沈んだ。


「ちっ! 久原、撃て!」


 久原が懐から拳銃が覗く。


 ちっ、拳銃持ちか。だけど、梶原と久原の意識が俺に集中した。


 その隙を乃愛が見逃すはずがなかった。


 拘束を解かれた乃愛は、素早く久原の背後に回り込み回し蹴りを放つ。


「しまっ――」


 久原の手から拳銃が離れる。


 瞬間、俺は駆け出し、グラムを久原に打ち込んだ。


 悲鳴もなく、久原は吹き飛ばされる。


「久原! よくもっ!?」


  梶原の声が聞こえたのと同時に、熱気が襲う。


 すぐ真横から、炎が呑み込まんとする勢いで迫ってくる。


「兄者!」


「乃愛!」


 言葉もなく、俺たちは互いの意思を瞬時に理解した。


 乃愛との交差の瞬間、グラムを乃愛の手へ。


 乃愛はグラムを手に、炎の前に立つ。グラムを包む瘴気が、今までに見たことがないほどに膨らむ。


「はああああああ!!」


 乃愛が炎に立ち向かうように突っ込み、グラムを放つ。


 乃愛を呑み込もうとしていた炎は、逆にグラムに呑み込まれるように、斬り裂かれた。


 そして、グラムは炎を消し飛ばす勢いもろともに、その先にいる梶原を捉えた。


「がああああっ!?」


 グラムの一撃を受けた梶原は、二転三転し、力尽きたように倒れた。


 誰が見ても明らかな決着に、この場を静寂が包んだ。


「ふぅっ……全く、人間の身でありながら無茶をするな、兄者は」


 乃愛が俺に振り返る。心なしか、その顔は嬉しそうだ。


「だが、おかげで助かったぞ」


「……どういたしまして」


 これで本当に終わった。そう思ったが、


「まだだ……まだ、終わってねぇ…………!」


 梶原はまだ諦めていなかった。


 その目に憎悪の色を宿したまま、立ち上がろうとしている。


「ここで終わってたまるか。ここで終わったら、俺たちは……!」


 梶原の執念の思いが、肌に突き刺さる。それがどこか、悲しく思えてしまう。


 惨めだからじゃない。どうしようもできない梶原の思いが、辛く感じてしまうからだ。


 しかし――、


「もうやめてください」


 突如聞こえた凛とした声に驚く。見れば、雫が立ち上がり、梶原のもとへ歩いていた。


 なっ!? あいつ何を!?


「なっ!? 動くでないと言ったであろう!」


 雫の予期せぬ行動に、乃愛も焦っている。


 しかし、雫は退かない。真っ直ぐ梶原を見つめ歩いていく。


 その顔には、悲痛な感情が見て取れた。


「てめぇ……!?」


 梶原が射殺す勢いで向かってきた雫を睨みつける。


 まずい、このままだと!?


 雫が攻撃されると思った。


! 私はあなたたちのことを、全く理解しようとしていませんでした……!」


 しかし、雫はその場で頭を下げた。


 突然の言葉と行動に、俺だけでなく、乃愛と梶原も虚をつかれたような顔をしている。


「ごめんなさい、だと?!」


 だが、梶原はすぐに憎き相手を前に、その感情を剥き出しにした。


「はい。私はあなたたち『エラー・コード』、いえ、『エラー』を持つ方々を、普通の人間と違う存在であると勝手に決めつけ、否定してきました。あなたたちの苦しみに、気づこうとさえしませんでした」


 雫の肩は震え、その顔には、言い表しようのない感情が渦巻いているように見えた。


 これまで、雫は乃愛をはじめとした『エラー』保有者を、人間を傷つけ、理解できない存在とし、散々否定してきた。


 世界の大多数の人間がそう考えている。だから、疑問も何も感じていない、そう考えて当然。だけど、雫のその考えは、梶原の剥き出しの感情の前に、粉々に砕け散ったのだろう。


 今雫が抱えている思いは、懺悔や無知、後悔か――。


「今日この場で、私はあなたたちが抱える思い、苦しみを聞きました……。都合がいいと言われれば反論できません。ですが、私はもう二度と、『エラー』を持つ方々を否定しません! それをここで誓います!」


 この場にいる他の生徒には一様に驚愕の色が浮かんでいた。


 かくいう俺も驚いていた。あの雫が、自分の過ちを認めた。


「否定しないだ? そんな言葉をどう信じろと……!?」


 言葉だけで信じられたら、苦労はしないだろう。何より、今まで自分を苦しめ、否定してきた相手だ。


 だけど、梶原も気づいているんだろう。雫の言葉が、ただ口から出任せの言葉じゃないことを。


「簡単に信じてほしい、とは申し上げません。ですが、お父様にかけあうなど、少なくとも私にできることは何でもします。私一人にできることは限られていますが……一人でも味方は多いほうがいいでしょう?」


 雫の言葉に、梶原は一瞬口を噤む。だが、


「ふざけるなよ……! じゃあ俺たちの苦しみを勝手に理解しやがって……! てめぇ一人が悔いたところで、何も変わらねぇんだよっ……」


 梶原たちが受けた苦しみは、梶原たちにしかわからない。その苦しみを理解することも、代行することも誰もできない。


「確かに私にはわかりません。だからこそ、もう二度と、あなたたちのような方々を生まないように、世界を変える努力をしていきます……少しでも、この世界があなたたちにとって生きやすくなるように」


 叶うかどうかなんてわからない。叶わない可能性のほうが高いだろう。


 だけど、雫の意志によって裏付けされた確かな目標だった。


「………………降参だ……あとは好きにしろ」


 長い葛藤の末、梶原は自らの敗北を認めた。


 雫の意志が梶原に届いたのかはわからない。それでも、確かにその意志が少しでも梶原の心に響いたのは間違いないだろう。

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