第16話 ありのままの妹より(1)

 叶の手を振りほどき、俺は乃愛の元に走った。


 しかし、正面から言っても警察に止められるだけなので、校舎の裏側に回る。


 窓ガラスが割れている個所を見つけ、人一人が入る分の大きさであることを確認する。


 中の様子を窺い、誰もいないことを確認して校内に侵入した。


 外の騒然とした雰囲気とは逆に、校内は不気味なほど静かだった。


 煙が上がっていたのは、確か体育館の方だ。


 体育館に向けて走る。その途中、通り過ぎるいくつかの教室は無惨にも荒らされているのが目に入った。


 中には、何かが焦げる臭いもする。梶原が『エラー』を使ったのだろう。


 無意識に、強く手を握りしめてしまう。



 特に誰とも遭遇することなく体育館に辿り着けた。


 体育館の入り口ではなく、近くの用具室に入る。この中には、体育館の2階に行ける階段がある。


 体育館の1階と2階は吹き抜けになっているため、2階からなら1階の様子を窺うことができる。


 階段を上り、そっと階下を覗き込む。


 いた。梶原と、その仲間と思われる他六人が。そして、


(乃愛……!)


 その場にいた、無事な様子の乃愛を見つけ、安堵する。本当に良かった、無事で。


 だけど、問題はここからだ。


 1階には、乃愛を含めて三十人もの生徒が残されていた。


 こんなに残されていたのか。


 しかも、その中には梶原たちの目的とする雫もいた。まだ人質にはとられていないようだが。


「貴様らは何者だ? 我らが煉獄の館を襲う目的は何故か?」


 状況を分析していると、突如乃愛は毅然とした態度で、梶原たちに怯むこともなく問いかけた。


 その顔は静かに怒っている。


 そんな乃愛に対し、梶原は鬱陶しいものを見る目をした。


「おいガキ。この場はおふざけの場じゃねぇぞ。殺されたくなかったら、今すぐそこをどけ」


「我はわずかばかりもふざけてなどいないぞ。むしろふざけているのは貴様らではないか? この場にいる多くの者の命を脅かしたのだ。到底許されるものではないぞ」


 全く気圧されないどころか、より怒りを滲ませる乃愛を見て、梶原はため息を吐いた。その鋭い目で乃愛を睨みつけ、言った。


「俺たちが用あるのは後ろの烏丸の娘だ。さっさとそいつを差し出せ」


 自分のことを言われた雫は、ビクッと肩を震わせた。まさか自分が狙われているとは思わなかったのだろう。


 やっぱり、梶原たちの狙いは雫だ。


「……漆黒の姫を?」


 乃愛の目に鋭さが増した。


「てめぇには関係ねえ。さっさとどかねえと、ただじゃ済まないぞ」


 梶原は右手をかざした。


 まずい! そう思った瞬間、その手から炎が発生した。


 一瞬で体育館の空気が温められる。


 くそっ、ここまで熱気を感じるものなのか!? 以前見たものより、火力が桁違いだということに明らかだ。


 生徒たちから悲鳴が上がる。


 梶原の炎は、一瞬で生徒たちを恐怖で支配した。


 最初に畏怖の感情を抱かせることで、抵抗することがどうなるかを梶原は知らしめたんだ。


 だけど、乃愛だけは違った。


「『エラー』か……しかし、その力を脅しの材料に使うのはいただけないぞ」


 乃愛の声音はますますきつくなる。


 だが、そんな乃愛の様子に梶原は苛立たった様子を見せる。


「梶原さん。こいつ一度気絶させましょう」


 梶原の隣に出てきた細身の男が、梶原にそう言った。


「やれ、宮木。烏丸の娘には当てるなよ」


 そう言うと、宮木と呼ばれた男は一歩前に出て、その右腕を変化させた。


 何だ、あれ!?


 右腕は、もとの腕の原型を失い、人間の手とは思えない様相を遂げた。肥大化したその腕からは、刃物のような鋭利な突起物がいくつも突き出している。


「ひぃぃっ」


「ば、化け物だ!」


 その様子を見ていた生徒たちから畏怖の声を漏らす。


 宮木と呼ばれた男はそれらを無視し、乃愛に向かって駆けた。


 あんな腕で殴られでもしたら、気絶なんかでは済まないのは誰が見ても明らかだった。だが、


 乃愛……?


 いつのまにか、乃愛の顔には悲しげな表情が浮かんでいた。


「……仕方あるまいか。本来であれば言葉だけで解決したったかのだが」


 憂いの言葉を小さく呟き、乃愛は右手をかざした。


 それを見て、俺は理解した。』《《を解放するつもりだ》》。


 宮木がその右腕で乃愛に攻撃しようとする。


 瞬間、乃愛がかざした右手に、禍々しくも、どこか美しい


「何っ!?」


 突如現れたその剣に、宮木が動揺している。


 慌てて攻撃を中断しようとするが、間に合わなかった。


 漆黒の剣は宮木の変容した右腕に当たり、何の抵抗もなく体ごと吹き飛ばした。


 宮木は体育館の壁に激突し、そのまま倒れる。


 あまりに一瞬の出来事に、梶原たちは驚愕している。生徒たちも同様だ。


 乃愛が握る漆黒の剣。


 久しぶりに見たな。最後に見たのは、この学校で生徒を助けた時だ。


 その漆黒の剣を、乃愛は『魔剣グラム』と呼んでいる。


 乃愛はグラムを振り払い、梶原たちに向きなおっている。


「こいつ、『エラー』持ちだったのか!?」


 梶原たちの一人が驚きと怒りの声を上げる。瞬間、体育館の空気がピリピリとしたものに変わった気がした。


「我は魔王だ。この魔剣グラムは、一振りすれば貴様たちを容易く傷つけてしまう。……だから我は平和的解決を望むぞ」


 乃愛が剣を携え、脅すようにして言った。


 しかし、梶原は冷静だった。


 手で仲間たちを制止させて、乃愛に向け、どこか妖しい笑みを浮かべている。


「てめぇも『エラー』保有者だったのは驚いた。だが、同じ保有者なら、俺たちの目的も理解できるんじゃないか?」


「……目的だと? 貴様らの目的は漆黒の姫ではないのか?」


 乃愛が疑いの視線を梶原にぶつける。


「烏丸の娘はあくまで手段にすぎない。俺たちの目的は、『エラー』保有者を抑圧しているこの世界を壊し、本当の自由を手に入れることだ」


 梶原の目には、本気の色が窺えた。


 烏丸連は、知事という立場以上に、こと『エラー』反対に関する事情に至っては強力な発言力を持っている。


 『エラー』反対派が多数を占めるこの世界で、重要な立ち位置にいる烏丸連の娘を人質にとることで、梶原たちは上層部との交渉を有利に進めるつもりなんだ。


 梶原たちの本当の目的を知り、自分が改めて人質として狙われていると認識してしまったのだろう。雫は、恐怖に体を竦ませている。


「い、嫌……私は関係ない……!」


 雫は両手で頭を押さえた。その目からは涙がこぼれている。


 そんな雫を、乃愛は横目で見つめていた。


「てめぇもこの世界に嫌気がさしてるんじゃないか? そこの泣いてる烏丸の娘だって、てめぇを化け物扱いしたんじゃねえか?」


 梶原は、「お前も俺たちと同じだろ」というように乃愛に問いかける。


 乃愛は黙っている。だけど、何も心配することはなかった。


 今の乃愛は、梶原の言葉程度では揺るがないことを、俺は知っているから。


「今の世界であるか……確かに、『エラー』保有者にとっては、生きづらい世界なのは認めざるをえないな。だが! 貴様たちのやろうとしていることは間違っている!」


 乃愛は真正面から梶原たちの計画を否定した。


「……間違いだ?」


 想定外の言葉だったのだろう。途端、梶原の目の色が変わった。


 だけど、乃愛は止めない。


「そうだ、間違いだ。貴様たちがやろうとしていることは、この世界からのただの逃げである!!」


 断言した乃愛に、それまで冷静だった梶原が感情を露わにする。


「ふざけたことを言ってんじゃねぇ! 俺たちのやろうとしていることが逃げだと? 俺たちはこのふざけた世の中を変えようしているんだ! それともてめぇは、俺たちはただ黙って喰われるのを待っていろとでも言うのか!?」


 梶原の悲痛な叫びが体育館に響いた。


 梶原は別に間違ったことを言っているわけではない。


 誰だって自分を囲う環境が嫌だったら、それを変えたいと望むだろう。せめてでも、普通に生きていたい。他の人たちと同じように。


 だけど、『エラー』保有者にとってそれは簡単じゃない。


 『エラー』を持っていると知られただけで、存在そのものが否定される。そんな世界、生きづらくてしょうがないだろう。


 梶原たちはそんな世の中を変えたくて行動した。


 だけど、こんな方法じゃダメなんだよ、梶原。これじゃ自分が傷つくだけだ。


 この方法が正しくないことは、梶原たちも心のどこかでは気づいてると思う。


 それでも、この方法しかなかった。


 他に方法があるのかと問われれば、俺にはその答えは出せない。


 その答えを簡単に出せるものはいないだろう。


「……変えようと行動することは間違ってはいない。だが、その行動が他者を傷つけるものであってはならないのは真実だ! 他者を傷つけて得るものなど、偽りでしかない!」


「じゃあ他にどんな方法がある!? どうすれば、こんなふざけた世界を変えられる!?」


 梶原はまるで怒りと切望が混ざったような顔をする。自分たちでは見つけられなかった答えを、乃愛に求めている。


「……我とてその難題の答えは持っておらぬ。だから! ! 理不尽を押し付けられる世界だとしても、! そこに他者の意見など介入する余地もないほどに!」


 これが自分の意志であるというように、乃愛は言い切った。


 5年前に乃愛が自身を否定され傷つけられた日、俺が乃愛に言った言葉。それはしっかりと今も乃愛の中に残りつづけていた。


「なんだよそれっ……ようは我慢し続けろっていうのか? いつか世界が変わるのを信じて!?」


 乃愛の持論に納得を示せない梶原は憤りを見せる。


「違う! 抗い続けて、理不尽な現実と闘って、そしていつの日か、自! それが本当に変わるということなのだ!」


 乃愛は今も抗い、闘っている。自分自身を貫き通し、自分という存在をいつか認めさせるために。


 本当に強くなった。乃愛、お前はやっぱり自慢の妹だよ。


 決して折れない意志を持つ乃愛が、俺には輝いて見えた。


 乃愛の折れない意志に、梶原は押し負けたかのように顔をしかめている。


「梶原さん。もうやつの戯言に付き合う必要はありません。それに早く事を済ませないと厄介なことになります」


 長身の男・久原がそう言うと、梶原は我に返ったように頷いた。


「悪い、久原。俺としたことが……」


 その目に憎悪の色を再び宿し、梶原は乃愛を睨んだ。同時に、他の六人も戦闘態勢に入った。


 その様子に、乃愛の後ろにいる生徒たちから小さく悲鳴が上がった。


 乃愛はそんな生徒たちを守るように剣を構えた。


「すまない。我の未熟な言葉では止められなかった。だが、皆のことは我が守る。そこから一歩も動くでないぞ!」


 これまでずっと自分を攻撃してきた生徒たちを乃愛は守ろうとする。その姿に、生徒たちは困惑の表情を浮かべている。


「ち……ちょっと! 奥原乃愛、どういうつもりかしら!? あなたが私たちを守る? どうしてよ?!」


 雫が困惑する皆を代表するようにして言った。


 雫たちはこれまで幾度ともなく乃愛を攻撃してきた。


 憎まれていてもおかしくないのに、守ろうとする乃愛に困惑しているのだろう。


「漆黒の姫たちが我をどう思おうがそれは構わない。だが、例えよく思われていないとしても、それが助けない理由にはならない。困っている者を救うのが、魔王である!」


 雫だけでなく、他の生徒たちも同様に目を見開いている。


 そんな雫たちを横目に流し、乃愛は梶原たちに立ち向かうのだった。

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