第12話 ありのままの君でいて

 夢を見ていた。俺が中学1年の時の夢だ。


 入学式から数日経ったある日のこと、乃愛は泣きながら家に帰ってきた。よほど泣いていたのか、目元は真っ赤で、ひどく焦った記憶が残っている。


 何があったのかと聞いても、乃愛はひたすら泣いていたため、乃愛が泣き止むまでずっとそばにいることしかできなかった。


 やがて、乃愛は落ち着き、俺は事情を聞いた。聞けば、クラスの生徒に自分の格好や言動をバカにされたという。


 これまでも乃愛は中二病としての格好や言動をしていたが、まだ幼かったために批判的なことは言われてこなかった。


 しかし、中学生となってからは、今まで言われてこなかった批判的な言動を浴びることになった。侮蔑の視線や嘲笑といった遠慮のない攻撃に、乃愛の心は傷つけられたのである。


 その時の乃愛の言葉は、今でも鮮明に覚えている。


『こんなわたしはおかしいの?』


 声を震わせながら言ったその言葉は、乃愛の心からの叫びだったと思う。趣味を、いや、乃愛自身が鋭い刃物で傷つけられ、剥き出しにされて飛び出した心の叫び。


 中二病というのは、確かに世間一般では、『何やってるんだこいつ』『痛すぎる』といったような心無い評価ばかりだ。


 しかし、周囲から批判され、認められないようなものだとしても、乃愛にとっては自分が自分であるための、とても大事でかけがえのないものなのだったのだ。その証拠に、初めて見た乃愛よりも、中二病となった今の乃愛のほうが何倍も輝いて見える。


 自分が間違っているとされた乃愛に、俺は言った。


『乃愛はそのままでいいよ。だって乃愛は今の自分が好きなんだろ? なら自分を否定しちゃダメだ。そんなの乃愛の心が痛むだけだよ』


 しかし、乃愛に植え付けらたトラウマは簡単には消えなかった。


『でも、皆はわたしのことを気持ち悪いっていうよ。先生もやめなさいっていうし……』


 その時のことを思い出してしまっているのか、乃愛はひどく怯えていた。


 どんな言葉を掛ければ乃愛を救えるかわからなかった。


 救うだけなら、乃愛に中二病をやめさせればいい。そうすれば、普通に生活していくことはできる。だけど――。


『例え周りが乃愛を否定しても、俺だけはずっと乃愛の味方だ! 約束する! ……だから、自分を否定しないでくれ』


 辛いことを言った自覚はあった。でも、乃愛に本当の自分を押し込めてほしくなかった。だって、俺は今の乃愛の方が好きだったから。


 周りがどれだけ乃愛を否定しようと、俺だけは乃愛を絶対に裏切らない。


 乃愛のトラウマはすぐに解消されたわけではないが、それでも少しずつ克服していった。


 そうして、いつしか乃愛はトラウマを乗り越え、遠慮のない数々の攻撃にも揺らがない強靭な精神を身に付けた。


 自分を貫き通したのだ。


 乃愛は、俺の自慢の妹だ。



 停電事件があった次の日、学食で叶と昼食をとる。


 自然と会話の内容は昨日の停電へと流れる。


「昨日の停電はびっくりしたわね。お風呂から上がった直後だったから、あと少し上がるのが遅かったら、冷水を浴びるところだったわ」


 叶はラーメンを食べながら、昨日の出来事を話した。


「……冷水ね。回避できてよかったな」


 若干の皮肉を込めながら言ってやった。


 こっちは乃愛と家族会議を開きかけたんだぞ。そう言ってやりたかったが、からかわれるのは目に見えているため、言わないぞ。


「何? もしかしてあなた冷水浴びちゃった?」


 しかし、叶がニヤニヤしながら聞いてくる。


 ……俺の心を読んでるんですか?


 だが、全部ばれているわけではあるまい。俺は咄嗟に誤魔化した。


「ま、まあな。おかげで風邪を引きかけた」


 自分が浴びたかのように、嘘を吐く。


 しかし、そのせいで昨日のことを思い出してしまう。


 手に残る柔らかい感触……ってダメだ!? 乃愛に嫌われるぞ!?


 忘れるように、必死に首を振る。


「何でそんなに挙動不審なのよ……それに顔も何か赤いし……」


「ばっ!? 赤くねーし!」


 そう言うが、内心ではすごく焦っていた。だが、悟られるわけにはいかない。


 もし、叶に昨日のことを知られでもしたら、妹の胸を触る兄という『変態』のレッテルが貼られてしまう!


「本当に風邪だったらうつさないでよ。しっ! しっ!」


 叶があっちいけというように手を動かす。


 風邪だと思ってくれているなら、むしろありがたい。


「ざ、残念だったな叶。俺の風邪菌はもうお前にうつ…………っ!?」


 最後まで言い終える前に、視線を感じ後ろを振り返ってしまう。


 しかし、そこにはいつもの学食の光景があるだけだった。


「ちょっと、本当にどうしたのよ? あなた今日変よ?」


 叶が疑わしげな目で見てくる。


「いや、何か視線を感じたような……」


 一瞬だったが、無視できないような視線を肌に直で感じた気がした。


「視線? 別にあなたの後ろにこっちを見ているような人はいなかったと思うけど」


 叶が訝しんだ目で見てくる。


 ……本当に気のせい、か。


 多分、昨日のことで動揺しすぎてしまっただけだろう。そう思うことにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る