DO_NOT_CROSS_THE_BORDER #2 著: 花緒

    深夜2時を過ぎた頃、一人酒でしたたかに酔っ払った男が、喉越しの良い汁物で今宵をシメたいと、何の気なしに、ラーメン屋「珍珍軒」に入店。男は、チャーシュー麺、煮卵・支那竹トッピングを注文し、間髪入れず、注文の品が出てきたが、あろうことか、ラーメンの中にゴキブリの死骸が浮かんでいたという。男は、顔を歪めながら苦情を付けたが、店主曰く、「確かにゴキブリは入っとるけど、文句ゆうなら、じゃあ、お前が作ってみろや」とのこと。男はさすがに我が耳を疑ったと供述している。



    「現に、スープの中に、ゴキブリが浮かんでいるのであり、ゴキブリが浮かんでいるなど、ラーメン屋にあるまじきことなのであり、であるならば、これについて店主としてどう償うつもりなのか」との旨を、湧き上がる怒りに堪えながら男は抗議したが、店主は全く意に介する風もなく「確かにゴキブリは入っとるけど、文句があるなら、じゃあお前が作れや」と繰り返すばかり。挙げ句の果てには、「お前は、ラーメンを注文し、食べる立場だ、俺は、こんな深夜に、売れもしないラーメン屋で、賞味期限切れの食材で不味いラーメンを作るしかない立場だ、お前のぼんやりした風貌を見ただけで分かるが、どう考えても、お前の方が恵まれた人生を生きている、にもかかわらず、お前は俺に文句をつけてくる、確かにゴキブリは入っとるけど、それが嫌なら、じゃあ、お前が作ってみろや」と演説を始める始末。男は酔いもすっかり冷め、言い知れぬ不快感が胸をこみ上げて来たと述懐している。



     男は、怒気を含んだ声で、返金を要求したという。しかし店主はこれをきっぱりと拒絶。これを受け、男は「ふざけるな」と語気を荒げたが、対する店主は、「俺がふざけていると思うなら、じゃあお前、ラーメン屋を開いて、深夜にやってきた客に、ゴキブリ入りのラーメンを間違って出してみろよ、じゃあお前、俺と同じことをやってみろよ、ふざけて出来ることかどうか、相手の立場に立って考えたら分かるだろうが」と激昂しはじめたという。この段になって、男は、最早この店主と通交しても得るものなど無く、然るべき法権力の介入に寄らなければ、問題の解決は難しいと痛感したという。男は、スマートフォンで最寄りの交番に電話を掛け「ゴキブリ入りのラーメンを出された上に、代金を要求され、トラブルになっている、今すぐ来て欲しい」と依頼。これに対し、電話に応対した佐藤巡査は「こんな深夜に、そんな案件で、私たちが出向かなければいけないと主張するなら、じゃあ、あなたが私たちの元まで出向いてほしい」と返答。男の苛立ちは臨界点に達しつつあったが、泣き寝入りしたくないとの一心で、仕方なく、交番まで足を運んだという。



   交番に入るや否や、男は、夜勤疲れで居眠りしていた佐藤巡査に烈火の如く怒りをぶち撒けたという。しかし、佐藤巡査は、「せっかく、ウトウト気分良くしていたのに、一体何なんだよ、お前が苛立ちに任せて怒りをぶつけてくるなら、じゃあ、俺もお前に怒りをぶち撒けてやろうか、お互い、同じ人間じゃないか、まともな人間性がないのかよ」と激怒。佐藤巡査のあまりの剣幕に、男は思わず巡査を小突いてしまったが、これに対して、巡査は男を小突き返した上で、警察官としての職務を全うすべく、公務執行妨害並びに暴行罪により男を逮捕したとのこと。



   本件につき、佐藤巡査は、事情聴取も兼ねて、珍珍軒を訪れ、顛末を店主に説明したところ、店主は痛く感謝し、「色々教えてくれてありがとう、じゃあ、俺もお巡りさんに言っておくが、あの男は他人の気持ちが分からない最低の人間だと思う、常識的に考えれば、ゴキブリ入りのラーメンを出してしまった時点で、店は倒産、人生が崩壊するのは自明だ、最早開き直るしかない絶体絶命の窮地に立たされた俺の気持ちを1ミリたりとも慮らず、文句をつけてくるような冷血漢に、俺がどうして配慮できよう」と愚痴をこぼしたとのこと。これに共感した佐藤巡査が、「あんたの気持ちも良くわかる、あんたのいう通り、あの男は自分の都合を主張するばかりで、他人の立場を考えることができない最低のクズ野郎に違いねえや」と同調したところ、店主は涙を流さんばかりに感激し、ラーメンを無料でご馳走してくれたが、やはり、ラーメンの中には、ゴキブリの死骸が浮かんでいたということだ。



     因みに、本レポートは佐藤巡査および男の供述をもとに、私が書き上げたものだ。どうして佐藤巡査ではなく、私がレポートを書く羽目になったのかというと、ゴキブリ入りのラーメンを食したせいで、佐藤巡査が体調を崩し入院しているからに他ならない。もっとも、私は文章を書くのが得意ではないし、文字を綴るのが好きなわけでもない。それに、こんな案件を文に認めたところで、誰が読むとも思えない。このところ、鈴木巡査部長は、私の書くレポートに文句をつけてばかりおられるが、誰も読まず、従って、社会に貢献できるわけでもないメモ書きを、佐藤巡査にかわって、遂行せざるを得ない私の気持ちをどう考えておられるのか。どうせ意味がないものを、どうせ意味がないと分かった上で書いている私のレポートをグダグダと批判する巡査部長の気持ちが分からない。私の文章に文句があるというならば、じゃあ、鈴木巡査部長、あなたが書けばいいではないか。

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クリエイティブライティング作品集 ビーレビのなかのひと @breview

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