第3話願いが叶う石

 その夜、ベッドに寝転びながら、尚季はツバメからもらった石をシーリングライトに翳してしげしげと見つめた。

 黒く青光りをする石は、まるでちびすけの身体のようで、尚季は掌で鳴いていたヒナを思い出して切なくなった。そっと石を撫でると中が光るように感じてベッドから身を起こす。

「不思議な石だな。もし願いが叶うというのが本当なら、ちびすけの言葉を理解したかったなぁ。お前の親の説明も分からなかったし、獣医として動物の話が分かれば最高だよな」

 動物の言葉を聞きたいと思った時、ふと尚季の頭に浮かんだのは、瑞希の部屋にあった獣人のコメディー本の表紙だった。「さしずめ俺に動物の耳があったら、兎耳山という苗字からして、うさ耳になりそうだ」

 想像した途端、可笑しくて堪らなくなった。。

「気持ち悪すぎて笑える。ヒャハッ、ハハハハ」

 ひとしきり笑って脱力した尚季は、知らないうちに眠りに引き込まれ、朦朧とした意識の中で、自分が草原にいるのに気がついた。


「どこだ、ここは?」

 キョロキョロ辺りを見回すと、首を振る度に、頭の上で何かが揺れる。動きに反動して空気抵抗を生むものの正体を知るために、尚季は慌てて傍にあった池を覗き込んだ。

「ゲッ!何だこれ!?」

 頭からにょきりと突き出ているのはうさ耳だ。尚季のくりっとした目がさらに大きく見開かれる。

 ふと、寝る前にイメージしたことが夢に現れたんだと分かり、楽しむ余裕が生まれた。

「なかなか似合ってるじゃん。これで動物の声を聞くのか?」

 すると、暗かった草原に、光が射しこんで辺りがぱぁっと輝き、どこからか声が響いた。

『なおたん、それ気に入ったキュル?僕の命が宿った石に、かけた願いを叶えるね』

 何だそれ?かなりまずい気がする。ダメだと言いたいのに意識が眠りの底に引き込まれていく。焦ってもがく手がモフモフの耳に触れた時、尚季の眠気は一気に吹き飛び、ベッドから飛び起きた。


 見回すと、まだ早朝なのか、窓の外は薄っすらと色づいていた。

 爆動する心臓を手で押さえて床に足を下す。寝汗をかいたのか背中に寝巻が張いて気持ちが悪い。不安を払拭するために、部屋の片隅に置いた木枠の姿見に目を走らせた。

「みみ~っ!本当にうさぎの耳がある‼」

 夢だ、まだ夢の続きを見ているんだ。

 瞑っているはずなのに瞬く瞼をぎゅっと閉じれば、茶色の髪から突き出た同じ色の耳が思い浮かぶ。

 きっと寝ぼけていたんだ。そうに違いないと言い聞かせ、恐る恐る目を半分開いて姿見へ持っていく。

 神経質そうにピクピク動いているものを確認して動悸が激しくなった。

「そうだ!ツバメにもらった石に願い直せばいいんだ。どこだ?どこに行った?」

 あった!布団を払ってシーツの波間に見つけた石に飛びつき拾い上げる。ところが、石は大きくひび割れ、輝きを失っていた。

「まじか!どうすんだこれ?」

 姿見に映ったうさ耳は、尚季の気持ちを代弁するように、くたりと垂れさがった。

 

 朝食を簡単に済ませ、尚季は帽子好きだった祖父のコレクションから、真新しく自分に似合いそうな中折れ帽を拝借した。うさ耳を隠せば、元の耳も残っているので外見上はいつもと変わりない。鏡で確認してから、自転車に乗って街中を走り抜け、小高い丘に登ってツバメを探した。

「お~い、ツバメたち、いたら返事しろ~」

 早朝とはいえ、八月下旬の空は既に明るく、気温も高い。まだ真夏のようなのに、燕尾服を着た鳥たちの姿は一羽も見当たらず、尚季の叫びは虚しく響いた。


「神社の前で叫ばないで頂けますか?近所迷惑になります」

 女性の声で咎められ、謝ろうと思って尚季が振り向くと、そこには高校時代にクラスメイトだった神谷玲香が立っていた。

「あれ?兎耳山尚季くんだよね?久しぶり!っていうか、こんな朝からどうしたの?」

 玲香は色白できめ細かい肌を持ち、小さな顔に見合う小さな目・鼻・口がきれいに収まった、日本人形のような地味系美人だ。お祓いを生業にする神社の娘らしく、霊感があると聞いたことがある。だが暗さはなく、むしろ明るすぎるくらいの性格で、よく相談ごとを持ちかけられていたように記憶している。

「よお。久しぶりだな。神谷の家って、そこの神社だったのか。今は何をしてるんだ?」

 叫んだ理由を話したくない尚季は、とっさに玲香に話題を向けた。

「私は巫女になって、今はお祓い師の修行中。兎耳山くんは?動物病院をついだの?」

「ん~っ。ちょっと訳アリで休職中。病院は姉に任せて、新しいことをやるつもり」

「へぇ、そうなの。あれっ?兎耳山くん、肩に‥‥‥」

 玲香が眉をひそめたので、ごみでもついているのだろうかと尚季も肩をみるが、シャツには汚れも見当たらない。

「気のせいかしら?私はまだ修行中だから気配を感じるだけだけど、黒い小さなものがぼんやりと見えた気がするの。最近身の回りで何か変わったことはなかった?」

 小さな黒いもの?聞いた途端にちびすけの姿が浮かんだ。ちびすけそこにいるのか?心の中で呟きながら尚季はもう一度肩の上に目をこらすが、気配さえも感じることができない。

「ひょっとして、ツバメのヒナか?」

「そう!そんな感じ。あれ?急にはっきりしてきたわ。悪い霊ではなさそうだけど、かなり強力にくっついてるみたい」

「そいつと話せないか?俺の願いを取り下げるように頼んで欲しい」

「どういうこと?霊と取引をしたの?場合によってはややこしいことになるわよ。話を聞くから社務所にきて」

 ややこしいことになると聞いて不安を覚え、自分に当てはまるのか知るために、尚季は玲香の後から鳥居をくぐり、境内にある社務所の一室に入っていった。


 勧められるままに、畳の上の座布団に座った尚季は、瑞希の本を盗み読みしたことを話すのが恥ずかしく、後ろめたさも感じることから、少しでもかっこよくみせようとして、今回のことは取引ではなく、あくまでも恩返しだと強調するように話す。玲香は黙って一部始終を聞いていたが、口で批判はしなくても、胡乱気に尚季を見つめる目が、あきれたと物語っていた。

「盗み見たBLの印象的な表紙絵が頭に残っていて、自分に当てはめて想像したわけね?それで動物と話したいという願望とごっちゃになって、一緒に叶えられちゃったわけ」

「……」

「返事は?」

「‥‥‥はい。おっしゃる通りです」

 言い返すこともできず、項垂れた尚季の目の前に白い手が伸びてきたと思ったら、帽子を頭から引きはがされた。

「うわっ、ちょっと」と驚いて叫んだのは二人同時だった。玲香が再度手を伸ばしてきて、うさ耳に触れる。うさ耳がぴくりと跳ねた。

「びっくり!本物だわ」

「俺だけに見えてるんじゃないんだな。ショックだよ。俺どうしたらいい?苗字から想像したのがいけなかったんだ」

「いっそのこと、トミヤマじゃなくて兎耳山うさみみさんに読み方を変えれば、みんなも納得するんじゃない?」

「するか!俺が真剣に悩んでいるのに茶化すなよ!」

 思わず尚季が大声で叫んだ時、戻らぬ娘を探しにきた神社の宮司で玲香の父が、社務所の障子を乱暴に開いた。男に無体なことをされているのではと心配したのか、怒りの視線をむけてくる。と、その顔が一瞬で驚愕の表情に変わった。

 あとからついてきた母親が、入り口に立ちふさがったまま動かなくなった父親の脇をかいくぐり、どうかしたのと尋ねてくる。

 あ~あ、こんな身体を晒して噂になれば、お婿にいけなくなるかもしれない。そう観念して、尚季が二人に頭を下げた。遅れてぴょこっとうさ耳が前に垂れ下がる。

「初めまして。兎耳山尚季と申します。玲香さんとは高校の時に同じクラスでお世話になりました」

 うむ、と難しい顔で頷いた宮司は、尚季の耳ではなく、肩辺りをしげしげと見つめている。それに対し、母親の方は玲香が男友達を招くなんて珍しいとはしゃいでいる。二人の態度の違いを怪訝に思い、尚季が玲香を窺えば、母には霊感が無いから見えていないと小声で返された。

 それは朗報だ!尚季が目を輝かせ、普通の人には見えないんだと喜んだ時、宮司が尚季の表情を読み、霊媒やお祓いなどの修行をしていなくても、霊感の強い人の中には見えるから気を付けるようにと注意する。

「今、注視したが、その肩に載っているちびっこは、兎耳山くんに懐いていて、悪さをする気はないらしい。玲香と話し合って、解決できないようなら力になろう」

 そう言って、宮司は務めを果たすために、妻を伴い本殿へと戻っていった。


「ねぇ、兎耳山くん。ああ、ダメだわ。苗字を呼ぶとウサミミさんにしか思えなくなってくる。尚季くんって呼ばせてもらうわね。私も玲香でいいから」

 笑いをかみ殺している玲香を睨みつけ、で、何?と続きを促す。

「尚季くんの耳が霊の声を聞けるかどうかは分からないけれど、ちびちゃんにどうやったら兎の耳が無くなるか聞いてみたら?私も念を送るから、試してみましょうよ」

 玲香は尚季を社務所の洗面所の鏡の前に連れていき、聴覚と視覚のどちらかでも感じたら教えて欲しいと言った。

「やってみる。でも、見えないものに呼びかけるのって難しいな。よし、気合を入れて呼ぶぞ!お~い。ちびすけ。姿を見せてくれ。お前と話しがしたいんだ」

 鏡の中のうさ耳は、少しの音でも拾おうとして、真っすぐに立っている。瞬きもせず、自分の周りに目を凝らしたが、尚季には何も感じられなかった。

 そもそも、ツバメが感謝から、あの石を自分にくれたと思ったのが間違いだったのかもしれない。自然淘汰されたはずの命に情けをかけてしまったため、ちびすけは天国へも上れず、まだ生きたいばかりに自分に縋りついているのではないだろうか?

 でも、もし今同じことが起きても、尚季はあのかわいいヒナを見殺しにはできず、ヒナに飛び掛かろうとする猫の輪に、迷わず飛び込んでいくだろう。

 つぶらな瞳で尚季を見上げ、甘えるように軍手の指に頭をこすりつけてきたちびすけの姿が蘇り、切なくなった。

「ちびすけ、もう一度お前に会いたいよ。お前と話ができたら、天国に行くように言ってやるんだけどな」

 目の前が熱くなり、鏡が滲んで見える。他人んちで泣くなんて情けない。俯いてぎゅっと瞼をつぶり、涙を押し込めてから目を開くと、視界の端に何か黒いものが横切るのが見えた。

 急いで上腕を見ると、羽を広げたたちびすけが、ちょんと肩に飛び乗るところだった。

「見える!ちびすけだ!」


 つぶらな瞳が笑ったように半円になり、ちびすけがちょこんと頭を下げる。トトっと近くに来たと思ったら、羽で尚季の頬を撫でる仕草をした。実態はないはずなのに、産毛を風になぶられるほどのサワサワとした感覚が頬に走る。

「なおたん。僕に会いたい、本気で思ってくれて、うれしいキュルル」

「ち、ちびすけが喋った‼」

 驚いて玲香を見ると、玲香にもちびすけの声が聞こえているようで、尚季と視線を合わせて何度も頷く。

「なおたん、僕と話したい、本気で思ったキュル。僕もなおたんともう一度会えてうれしいキュルル。なおたん前に、僕の羽治したい言ったから、今、僕の羽きれいになったキュルル。ありがとう、なおたん」

 はしゃぐように羽をばたつかせてお喋りするちびすけはかわいくて、尚季は思わず微笑んだ。弧を描く唇を見つめるちびすけが首を傾げた後、スイっとその首を伸ばし、くちばしで尚季の唇をチュンとつつく。

「うわっ!びっくりした。お前は何てかわいいんだ。もういい。何でも許す。うさ耳もオッケー!」

 頬をちびすけの身体ですりすりされて、尚季がうひょうひょと喜ぶ姿に、玲香が冷たい視線を送りながら聞いた。

「本当にそのままでいいの?王様の耳はロバの耳じゃないけれど、兎耳山くんの耳はうさぎの耳って噂になるわよ。今は穴の代わりに、人は秘密をSNSで呟くから、あっという間に広まって、そのうち取材がくるかもね」

「ううっ。それは困る。ちびすけ、この耳何とかならないか?」

 眉尻が下った情けない顔の尚季を見て、ちびすけがキョトンとして首を傾げる。

「うさ耳あきたキュル?いぬ耳の方がいいでキュル?」

「違~う!人間に動物の耳が生えていることがヤバいんだ」

「どうしてキュル?なおたん、うさ耳似合うでキュルル」

「そっか?……いや、そうじゃなくて、噂に尾ひれがつくのが怖いんだ。動物病院で変死した動物の祟りだとか言われたら、両親の後を継いで立派に家業を切り盛りしている瑞希に、迷惑がかかってしまう」


 他人の口に扉は立てられないし、噂は面白おかしく脚色される。ましてや動物病院の息子にうさ耳が生えたとなれば、根も葉もない噂を流す輩が出てくるだろう。だからうさ耳を取って欲しいと尚季はちびすけに頼んだ。

 玲香もその状況が起こりうるのを想像して真剣な表情になり、尚季と一緒にちびすけの答えを待つ。

「なおたん言ったキュル。僕の声聞きたい。僕のパパとママの話分かりたいって。パパとママはもう旅立ったので声聞けないキュル。代わりに、なおたんが動物の声いっぱい聞いて満足したら、うさ耳なくなるかも……」

「ほんとか?よしっ!動物の声を聞きまくるぞ」

「うさ耳は、なおたんの願いを叶えたくて、僕の魂のかけらで作ったキュル。なおたんが喜ぶと僕も嬉しいキュルル。なのに僕間違って、なおたんがっかりさせたキュル」

 しゅんとしてしまったちびすけに、尚季が自分から頬を寄せて擦り付けた。

「間違ってなんかいないさ。こうしてお前と話ができたんだ。俺は今すごく幸せだよ」

「ほんと?僕嬉しいキュル。僕、なおたん幸せにできたキュルル」


 パタパタと羽を振る様子があまりにも愛らしくて、見ているだけでは我慢できなくなった玲香が、ちびすけの頭にツイっと指を伸ばす。すると、ちびすけは飛び上がり、尚季のうさ耳の間に着地して身体の毛を逆立てた。

「ちびちゃん、怖がらないで。私は玲香。尚季くんとは高校時代に知り合ったの。私とも仲良くしてね」

「れいたん、力持ってるキュル。僕をなおたんから離さないで」

「ああ、お祓いのことを言ってるのね。大丈夫よ。ちびちゃんはなおたん、じゃなかった尚季くんに悪いことしないでしょ?うさ耳のことは一緒に解決しましょうね」

 そう言いながら差し出された玲香の手に、乗るかどうかちびすけは迷っているようだ。テケテケと耳の間を行ったり来たりした後、前のめりになり、ぴょんと玲香の掌に飛び移った。

「キャ~ッ!かわいい~。うちの子にしたい!」

 玲香がキャッキャッとはしゃぎながら、社務所の中を歩きだす。つられるようにうさ耳が引っ張られ、バランスを崩した尚季は、まるで歌舞伎の六法のように、片足でケンケンをしながら玲香の後を追った。

「尚季くん、なにやってるの?」

「こっちが聞きたいよ。身体が引っ張られるんだ」

 胡散臭げに立ちどまった玲香の手から、途方に暮れる尚季の頭にちびすけが飛び移った。どうやらちびすけはうさ耳の間が気に入ったらしい。

「このうさ耳は僕の魂のかけらなの。僕動く、うさ耳ついてキュル」

「なるほどね~って感心している場合じゃないな。霊感が強い人にはちびすけも、うさ耳も見えてしまう可能性があるんだろ?」

 ちびすけがうんと頷く。だとしたら、常に帽子で隠すことになる。尚季が好きな映画やライブに行こうものなら、邪魔だから脱げと注意されるのが目に見えるようだ。

「なぁ、ちびすけ。さっき俺が沢山動物の声を聞いて、満足したら耳が消えるかもしれないって言ったよな?」

「言ったキュル」

「だったらさ、俺が考えているペットサロンは動物のためのサロンだからうってつけなわけだ。上手く調子に乗れば生活費も稼げるし、一石二鳥だな」

「僕もなおたん手伝うキュル」

「私も宣伝させてもらうわ。困ったことがあったら、何でも言って。できる限り手を貸すから」

「ありがとう。ちびすけ、玲香。心強いよ。めっちゃやる気出てきた。おっし、頑張るぞ~」

 そうとなったら膳は急げとばかりに、尚季は玲香に別れを告げて神社を後にする。うさ耳を何とかしてもらうために、ツバメの親を探しに来た時に抱いていた不安は消えていた。

 尚季はうさ耳とちびすけをそっと帽子に隠して、意気揚々と自転車をこぎながらログハウスへと向かったのだった。

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