第4話ペットサロン始めました

 不思議な経緯を経て、開業にこぎつけたペットサロンに初めての客がやってきた。

 先ほど姉の経営する動物病院で話しかけてきたマダムで、名を豊島といい、その腕に抱かれ、脂肪を垂らしているフレンチブルドッグはマルゲリータというらしい。

「あら、きれいなログハウスね。さきほどお聞きしたジャグジーでのエクササイズを頼みたいの。何しろマルゲリータちゃんはよく食べるから、お腹が地面にするほどになっちゃって歩くのも大変なのよ。二時間ほど預かって頂けるかしら?」

 一方的にしゃべり続けるマダムに愛想笑いを返しながら、尚季は内心苛立っていた。

 犬の体重過多は飼い主の責任で、よく食べるからと言って与え過ぎてはいけいのは常識だ。喉まで出かかった言葉を、グッと飲み込んだ。

 動物病院に通っているマダムに、会ったばかりの尚季が不愉快な思いをさせれば、その矛先が姉である瑞希に向くとも限らない。今は生活費を姉に頼っている分際で、出過ぎた真似をしてはいけないのは重々承知なので、苦言をアドバイスに変えて優しく言う。

「マルゲリータちゃんをお迎えにいらした時に、簡単な食事療法を書いた紙をお渡ししますので、お家でやってみてくださいね」

「まぁ、嬉しいわ。早めに終わったら、ここで寛がせてもらってもいいかしら? ねぇ、ペットサロンだけじゃもったいないわ。こんなに広くて綺麗なんだから、ペットカフェもできるじゃない。お友達を連れてきてあげるから、そうしなさいよ」


 とんでもないと尚季は焦った。カフェなんかにしたら、始終人に囲まれることになる。うさ耳とちびすけがバレやしないか、神経を張り詰めていれば疲れてしまうだろう。

 そのうち帽子を取らない尚季の噂を聞いた人が、円形脱毛症に効く薬を持ってきたから患部を見せろだの、良い医者を紹介してあげるだのと言って、好奇心とお節介を顕わに尚季に迫るに違いない。

「お申し出は有難いのですが、私は新人の獣医ですので、動物を診るだけで精一杯になってしまうと思います。お預かりするペットの種類によっては空間を区切らなければならないので、このくらいの余裕が必要なんです」

「そうなの。それじゃあ仕方ないわね。じゃあ出かけてくるので、あの子をお願いね」

 文字通り重い腰を椅子から上げた豊島夫人がログハウスから出て行く。マダムが門を閉める音を聞いて、尚季は安堵の吐息を漏らしながら帽子を脱いだ。窓はミラーガラスを入れてあるため、中から外は見えても、外から中の様子が見えないようになっているから安心だ。

 帽子を取った瞬間に、ピヨ~ンと飛び出した茶色い耳に、驚いたフレンチブルがペット用の受付台の上でバウバウと吠えたが、尚季の耳には言葉になって届いた。


「何その耳?びっくりしたわ。あなた人間じゃないの?」

「人間だよ。ほら肩に降りてきたのが、ツバメのヒナのちびすけだ。よろしくな」

 尚季が言葉を理解したのにショックを受けたマルゲリータは、あんぐりと開けた口からだらりと舌を伸ばし、台の上に敷いてある防水加工のクッションマットに涎を垂らした。

「この耳のおかげで、マルと話しができるんだから、怖がらずに慣れてくれ」

「私の名前はマルゲリータよ。マルじゃないわ」

「だって長くて呼びにくいんだよ。あっ、そうだ、ダイエットに成功したら、ちゃんとマルゲリータって呼んでやるよ。それまでお前はマルだ」

「何て横暴な獣医なの!まだ、ママが通っている新興宗教の教祖の方がましね。餌も好きなものを沢山たべさせなさいって神託をくれるんだもん」

「何だって?マルのママは、新興宗教の教祖の言いなりになっているのか?言っておくが、今までの食生活を続けていたら、マルは早死にするぞ」


 尚季の真剣さが伝わって、マル(ゲリータ)は自分の大きなお腹を見降ろした。垂れ下がった脂肪は、今は受付台に支えられて重さを軽減しているけれど、最近は動くのもつらいのだ。

「マルでいいわ。どうやったら痩せられるか教えてちょうだい」

「ん、いい子だ。マル。じゃあ、ジャグジーでぷかぷかしような」

 尚季はずっしりと重いマルを抱き上げて、用意しておいたジャグジーに、足から順に身体をそっと浸からせていく。マルが怖がって暴れないように、すぐに手を離さず胴を支えたまま様子を見る。

「身体が嘘みたいに軽いわ!泡が身体をモミモミしてくれるから気持ちいい! 」

「ん、良かったな。じゃあ、手を放すから自分で泳いでみな」

 手を離した途端、水流に揉まれてマルの身体が回転する。まるで洗濯機の中の毛布みたいだ。マルはキャーキャー悲鳴を上げながら、それでも必死に短い手足をピコピコ動かし、何とか止まることができた。

「うさ耳せんせ~。グルグルしなくなったけど、前に進まないよ~」

「前足で水を掻いて、後ろ脚で蹴る。そう、その調子。向こうの壁に足がついたら一回休憩しよう。それと、俺の名前は兎耳山だ」

「長くて呼びにくいから、うさ耳でいいでしょ。私も省略されてマルなんだから」

「むぅ……」

 遣り込められて口をへの字に曲げた尚季の様子がおかしいと言って、肩に載ったちびすけがキュルキュル笑い出した。


「ちびちゃんかわいいね。でも、本物のツバメじゃないのね」

「マルたん、僕のこと嫌でキュル?」

「ううん。うさ耳もちびちゃんも、マルがこんな身体でも、変な目でみないもの。うさ耳は厳しいけど、マルを思って指導してくれるのを感じるから、いつもママと行く光導よりずっといい」

「うん、なおたんは優しいキュル。僕もなおたん大好き!」

 マルとちびすけが自分を褒めるのに照れながら、尚季が光導はマルの言う新興宗教かと尋ねると、マルが頷いた。

「いつもこの時間は、ママと一緒にお寺に行って、教祖の小難しい話を聞くの。さっきは食べ物につられて光導の方がいいって言ってごめんね。本当はなんかヤバい雰囲気があるところなの。マル【王様の耳】に来れて良かったわ」

「おう、そっか。気に入ってくれて嬉しいよ」

 マルの頭を撫でながら、尚季は豊島夫人を気にかけた。ペットの健康状態にまで影響を及ぼす宗教に傾倒するなんて大丈夫だろうか?

 心配しながらも、マルの運動を済ませ、マル用の食事や運動メニューを書き終えた時、ちょうど豊島夫人がマルを迎えに戻って来た。


 代金を払うマダムに、尚季がマル用のメニューを渡そうとすると、信じられないことに断られてしまった。

「今日光導の教祖様にここのお話をしたら、ペットの意に沿わない運動やダイエットは、動物虐待だって言われたの。やっぱりここはペットカフェにするのがいいんじゃないかしら?」

「あの、獣医として申し上げますが、このまま運動もさせず、必要以上の食事を与えれば、マルゲリータちゃんは、間違いなく身体を壊しますよ。その教祖が獣医の免許を持っていれば話は別ですが、あまりにも言っていることがでたらめです」

「まぁ、教祖様を批判するなんて! やっぱりあなたみたいな世間知らずのお若い方はだめだわ。さぁ、マル…ゲリータちゃん行きましょう。変なところに預けてごめんなさいね。また明日から一緒に、教祖様のところに行きましょう」

 マルが抗議するために大きく吠えたが、動物の話が分からないマダムは、一緒に行けるのがそんなに嬉しいのねと自分に都合よく解釈して、よしよしとマルの頭を撫でる。

 呆気にとられている尚季を後目に、ツンと顎を上げたマダムがドアから出て行き、その後にマルの声が物悲しく響いた。

「うさみみ~っ。助けてよ。ママは教祖の言いなりなんだってば。若死にしたくないよ~」


「なおたん、マルたんがかわいそう。なんとかしてキュル」

 ちびすけが、片羽で尚季の頬を突っついてかわいい顔でお願いをする。尚季にしても、獣医として見過ごせない発言をした光導の教祖が気にかかるので、一度光導を探りに行ってみようかと思った。

 そのこと含め、事前に情報を手に入れられないか、玲香に会いに行くことをちびすけに告げると、ちびすけが心配そうに言った。

「れいたんに会えるの嬉しいキュル。でも、光導で危ない感じたら、すぐ逃げてキュルル」

「わかった。俺もうさん臭いものには関わりたくないから、無茶はしないつもりだ。よし。さっそく玲香に電話するか」

 尚季は先日教えてもらった玲香のスマホの番号にかけ、光導について語った。ペットサロンに来た豊島とマルの話、豊島が通っている光導の教祖が言った無茶苦茶なご神託を話すと、おおよその話は、神社に参拝にやってくる人からも聞いていると言う。

「かなり怪しいところだから、一人で行くと危ないわ。私も一緒について行ってあげる」

 尚季は宗教については無知なので、玲香の申し出をありがたく受けることにして、探りに行く日取りを決めた。

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