同じ飯の釜まで食らう

「実は好きかもしれない人が出来た、いや、出来てしまったの・・・」


これでは終わらない。こいつは元来男を落とすことなんて朝飯前だといわんばかりの美貌をもっている。さらにそれを同性にばかり向けるのだから、いばらの道を歩み続けてきたのだ。僕には目もくれず。

訥々と話す彼女に心が痛んだ僕はすかさず助け舟を出す。


「出来てってのは、不倫とかそういうことか?」

「ちがう、そうではないの。その、あの・・・」


このたどたどしさ、別人かと錯覚するほどだ。むしろこちらが本体の可能性もあるな。もちろんそうなってしまっても彼女を愛していることには変わりないけれど。


「ゆっくりでいいよ、無理せずに」

「うん、ありがとう」


彼女は肩を震わせ、呼吸は少し荒く、顔は火照っている。一歩間違えれば欲情してしまいそうな、いや、させられてしまいそうな、そんな雰囲気だ。彼女は深呼吸をして言葉を発する。


「私、男性を好きになっているかもしれないの」


これは驚いた。有紀が男を好きになるなんて今後ないと思って諦めていた扉を、ダイナマイトを結び付けた左足で蹴破られた気分だ。でも現状とどうしても結びつかない。理解が追い付かない。


「前提としてなんだけど、そして有紀を愛しているという確固たる意志の元なんだけれど、女性の恋愛対象ってのはその大多数を男性が占めることはわかっている?」

「わかっているわよ、ばかにするなら後にしてほしいの」


少し怒らせてしまった。じゃあいったい何なのだ。


「私はこれまで女性しか好きにならなかったわ。そしてそれを楽しみ謳歌する自分が好きだった。それなのに今男性に好意の視線を向けている。この世の中で、一番自分をしっている自分という存在、定まった、定まっていてほしかった自分というものが壊れ始める感覚、知的興奮などある余地もない純粋で無垢で純潔の恐怖。自分を自分たらしめる柱が折れるような、そんな気がして怖いのよ・・・」


震えながらもたどたどしくも紡いだそのセリフは、自分の中の『西野由紀』のイメージを改変するにはあまりに粗雑で、煩雑で、それでいて十分なほど綺麗な文字列だった。

プロピアニストが聴力を失うような、プロサッカー選手が足を失うような、そして僕が彼女を失うような苦しみに戦っていたのか。ああそうか、孤高で独善的だと思っていた彼女はこれまでに繊細でちっぽけで等身大であったのか。もちろん、怠惰な僕は自分と彼女を比べたりなんかはしない。ただ、相対的ではなく絶対的に彼女をうらやましく思った。ただそれだけなのだ。

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