依存
しょー
第1話
今にも落ちてきそうなほど空が低く、薄暗い朝だった。彼は、アラームの音で目を覚ました。頭は重く、全身が筋肉痛のように痛かった。机に目をやると、そこには氷が溶けきった薄い琥珀色のウィスキーが置いてあった。
「飲み過ぎた・・・」
彼は思わずひとりごちた。重い頭を抱えながら、彼はトイレへ向かった。酒を飲んだ日の翌朝は、いつも便意を催す。朝出るのはいいことだが、出てくるものは決まっていいものではなかった。
彼は便座に座りながらスマホをいじっていた。彼は何をするにしても、スマホを手放さない。決まって開かれているのは、タイムライン上でさまざまな人が"つぶやいている"アプリ、いわゆるSNSである。そこは、みんなの同意を得たいがための主張や、ちょっとした自慢、日頃の鬱憤や喜び、薄い繋がり同士での馴れ合い、そんなさまざまな感情が渦巻いた場所だ。彼はそんな輩を覚めた目で見ていたが、自分もその輩の一員であるという事実も否めなかった。先に薄い繋がり同士での馴れ合いというのを挙げたが、彼にもそのアプリ上でコミュニケーションをとる、いわゆる"絡む"相手がいる。その人はぴろるという名前でそのアプリをやっていた。顔も名前も知らない女性と彼は、度々"リプライ"を送りあった。彼は便座の上で、彼女が何か発していないか確認している。ぱっとみた感じ、彼女が何かを発している様子はなかった。
しばらく画面をスクロールしていくと、彼はあることに気がついた。
(あれ、ない・・・)
昨日まで楽しくわいわいやっていた彼女とのやり取りが消えているのだ。思わず出そうなものも引っ込んだ。
(アカウントが削除されてる・・・)
しばらく考えた後、彼は彼女が言っていたあることを思い出した。それは、このアプリでは人の感情が見えすぎて辛い、というものであった。彼にもその考えにはとても賛同していて、実際彼もやめてやろうと考えたことは何度もあった。しかし、ぴろるや他の人とのやりとりがなくなること考えると、アカウント削除ボタンに指を置けなかった。しかし、今回ぴろるがアカウントを削除したことで、彼もそれに追随することを決めた。
あの決心からすぐに、彼はアカウントを削除したが、そのアカウントは削除しても一ヶ月間は復活可能であった。3日たった今でも、癖でアプリを開こうとしてしまう。彼は少し、タバコをやめられない人の気持ちがわかった気がした。
そして一週間たったある日、彼の決心はとうとう崩れた。自分がいなくなったSNSの環境がどうなったのか、急に気になりだした。
一瞬アカウントを復活させるだけなら、、、
そんな考えが彼の脳内にじわじわと侵食してきた。そしてとうとう汚染された脳みそが、アカウントの復活へ導いた。
その後の結果は当然のものだった。SNSの環境はまるで変わっていない。変わるはずがなかった。彼は情けなさと、後悔の念に苛まれ、再びアカウントを消した。
それから幾度も、アカウントを復活させては消してを繰り返した。時にはスマホを壊そうとも思ったほどだ。彼は始めて依存症の恐ろしさを知った。
無理だ。アカウントを消して甦らせてを2ヵ月ほど続けたとき、彼はそう思った。外を見ると、すでに星がうっすらと出ていた。今日は1日中SNSに入り浸ってしまった。そして、とうとうアカウントを消す気にもなれなくなっていた。
(何をやってんだろ、俺は)
SNSがやめられない、それだけで人生がダメになった、そんな気がした。今日はこのまま寝てしまおう、そう思ったとき、スマホが鳴動した。電話だった。画面には山本の文字が書かれていた。山本は高校のときの同級生で、彼の数少ない友達であった。
「もしもし、どうした?」
さっきまでの憂鬱な感情を抑えて、いつもの淡白な口調で彼はいった。
「いや、お前同窓会行くのかなと思って」
山本は彼とは違って、はきはきとした口調だった。
「ああ、そんな話しあったな。多分いかねえかな。」
「まあ、お前は地元から遠いもんな。じゃあ俺もやめとくわ。ごめんそれだけや!」
「オッケーそれじゃあの」
「あ、ちょっと待って」
彼が電話を切ろうとしたのを山本の声が遮った。
「ん、どうした?」
「いや、、、お前なんかあった?」
一瞬時間が止まった、そんな錯覚に彼はとらわれた。時間にしては2秒もたってないだろう。しかし、彼らにとっては不自然な間がそこに生まれた。
「いや、何もないけど」
とっさに誤魔化したが、自分でも声が小さくなったのがわかった。
「そうか、まあまた飲みにいこうや。じゃあな!」
その言葉を最後に、山本は電話を切った。山本はおそらく気づいていたのだろう、彼が落ち込んでいることを。彼はそれがとても嬉しかった。SNSでは誰かに同調してもらおうと、必死に"つぶやいた"。なかには同調してくれる人もいた。でも、それで嬉しいのは一瞬で、だから何だという考えがすぐに感情を塗り替えた。でも今は違った。自分のことを本当の意味でわかってくれた気がした。幾億人の中から自分を見つけてくれた気がした。彼は、スマホの画面に付着した水滴を指で拭き取り、アカウント削除のボタンを、そっとタップした。
依存 しょー @undeadbanban
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