Chap.15-3
話をしながら館内を一巡りした後で、僕らは夜のバージョンに演出が変わったというクラゲのエリアへと戻ることにした。
昼のバージョンでは、水槽のクラゲがポップな色に彩られ、軽快な音楽が響いていたのだが、今は深い青に沈み、幻想的で静かな音色に包まれていた。
青い光に照らされ、水槽の中を漂うクラゲの姿。刻々とブルーやグリーンに光を変える空間を、クラゲと一緒に漂っているような気分になる。
中央にある円形の水槽では、傘を広げては閉じ、推進していくアマカサクラゲの長い足が互いに絡み合ってしまっていた。こんな複雑にもつれてしまっては、もうほどけないのではないか。足がバラバラに千切れてしまいそうで、どうしたら傷つかずにほどけるのかと、水槽に手を当てずっと眺めていた。
「……僕、マサヤさんに似ていますか?」
「どうしたんだい、急に」
クラゲを見たまま、ふいに口を開いた僕へ、源一郎さんが尋ねる。
マサヤさん、タカさんの死んでしまった昔の恋人。僕らの住んでいるあのマンションで亡くなってしまった人のことだ。
「この間、リリコさんに言われたんです。僕がマサヤさんに似ているって。だから、タカさんはあのマンションに僕を連れて来たのだろうと」
リリコさんに言われてから、その波紋は僕の中で広がり続けた。リリコさんに悪気はなかったのかもしれない。いや、今まで黙っていたものをタカさんが沖縄へ帰ると決めたタイミングで言い出したのだ。きっとワザとだろう。僕に自分自身の気持ちと向き合わせるために。案の定、僕は揺らいでしまっている。タカさんが見せる好意に、僕は今まで甘えていた。だがその好意の向けられた先に、自分がいないのかもしれないと思った途端、急に冷たいものが走った。
「そうだなあ。見た目で言えば、目元が似ている。身長も同じくらいだろう。自分とタカは好みのタイプがかぶっているから、マサヤの時だって、最初はちょっとした取り合いになったんだよ」
「だとしたら……そうだとしたら、僕はどうしたらいいでしょう?」
「どうしたらいいとは?」
「許せないんです。タカさんのことが。僕はタカさんに声をかけてもらって、ゲイデビューもして、自分に正直になれたと思っていたのに。そういう運命というか……恵まれた偶然だと思っていたんです。でも、タカさんは、ただ僕に死んでしまった恋人の面影を見ていた。だから、僕に近づいたんだ」
唇をきつく結んだ。
「言い方が悪いかもしれないがね、それは君の勝手な言いがかりだろう」
源一郎さんの横顔に館内の青い光が照り返る。
「タカがどういうつもりで、君をマンションの同居人に選んだのかは、私にはわからない。それはタカに聞いてみるしかないだろう。でもね、タカを通して出会った、今、一平くんの周りにいる人を見てごらん。そこに後悔や出会わなければ良かったと思う気持ちがあるかい? そうでなければ、滅多なことを言うもんじゃない」
家出をした時に、僕は同じ問いを自分自身にした。タカさんやみんなに出会わなければ良かったのだろうか、と。そうすれば、こんな苦しい気持ちを抱えずに済んだのではないかと。
ふいに源一郎さんは、両手の親指と人差し指でフレームを作ると、構図を考えるように僕の方を覗いた。いや、僕に覗いて見ろと促した。指のフレームは青い水槽を映し、照明の加減で光り、瞬いた。
心の中でシャッター音が響く。
チャビやユウキのことを思った。リリコさんも、床屋の寺井さんのことも。タカさんの店で出会った人々、この一年で僕が知り合った人達の顔が思い浮かんだ。源一郎さんもその中のひとりだった。五人で暮らした日々、ちむどんどんで過ごした夜、デビューしてからの記憶がどんどん溢れていく。どの記憶の一片をかえりみても、そこに後悔なんてあるわけがなかった。そして二年前の雨の日、雷鳴と共に僕はタカさんと出会う。
水槽へ投げ出されたように、急に視界が滲んだ。涙がこぼれて止まらなくなる。
「帰っちゃいます。タカさんが沖縄に」
タカさんを責める資格なんて僕にはなかった。僕だってタカさんに自分の都合を押しつけていた。運命的な出会いなのだと、他の人とは違うのだと思おうとした。リリコさんが昔のタカさんの影を追っていたように。タカさんがマサヤさんの面影を探していたように。僕だって本当のタカさんを見ようとしていなかった。僕は……。
突然、大きな身体に抱きしめられていた。周りの人々もはばからない。源一郎さんの大きな手が僕の後頭部にまわり、僕の泣き顔をその胸に押さえつけた。源一郎さんの胸の鼓動を聞いた。
「私はね、タカが沖縄に帰ると決めたのは良いことだと思っている。それは、一平くん、君と出会ったおかげだ。君はマサヤではない。だからできたことだと私は思う。死んでしまった人に未来を作ることはできないんだ。君だって、タカのした決断を本当は良かったと思っているだろう?」
僕は肯いた。水槽のクラゲが水の流れにふわりと上昇していく。
「だったらタカを見送ろう。私が日本に帰って来たのはね、君のことが心配になったからだ。どうせタカはまたろくに説明もできないだろうしな。まあ、隙があれば……なんて、ちょっとは思っていたさ。だが、なかなか上手くいかないもんだ。一平くんには、ずっと振られっぱなしだ」
源一郎さんの笑い声が、涙と鼻水でどうしょうもなく不甲斐ない僕を救ってくれた。
◇
冷たい雨は霧雨となり、まだ暗い町に街灯をくすぶらせるように漂っていた。
ジャケットの襟を立て、静まりかえった繁華街へ歩をすすめる。間もなく夜が明けようとしていた。居酒屋の店先に朝の収集を待つ大量の生ゴミや酒瓶が並び、外でタバコに火をつけるどこかの店員から、気だるい朝方の気配が伝わる。新宿の町の臭いが、雨の中に微かに混じっていた。
たどり着いた雑居ビルの二階で、ノブに手をかけたままためらっている間に、意思に反して勢いよくその扉が開いた。
「びっくりした、一平か。どうしたんだ? そんなところに立って」
扉の向こうにはタカさんが立っていた。
タカさんが二丁目でバイトをする店だった。平日の営業はタカさんひとりにまかされる事もあった。そういう日は、客が引け次第閉店となる。ちょうどタカさんが店を閉め、帰ろうとするところに行き当たったのだった。
「あの、一緒に帰れたらと思って」
「ああ、まあそれはいいが。こんな時間に、来るとは思わなかったよ」
タカさんは店に鍵をかけ、こちらを振り返った。丸いメガネの奥で不思議そうにするタカさんの瞳。目尻のシワに疲れが滲んでいた。
「今日はゲンちゃんを空港まで迎えに行ってくれると聞いていたから、てっきり二人で顔を出してくれると思っていたんだが」
それでも黙っている僕にタカさんは「何かあったのかい?」と優しい声をかけた。
源一郎さんと水族館で別れた後、僕はひとり家に帰り、眠れない夜を過ごしていた。
「僕、タカさんに話したいことがあるんです。ちょっとだけ遠回りして帰りませんか?」
第15話 完
第16話「ウェザーリポート」へ続く
虹を見にいこう 第15話「水族館のクラゲ」 なか @nakaba995
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