第9話

 だが、この短い期間でお義兄様の病みを見抜いたリリアーナならば、ウィルが内に秘めている歪んだ願いなんてとっくに知っているのではないだろうか。思わず聞かずにはいられなかった。


「そんなに鋭い観察眼を持っているなら、あなたの恋人のこともちゃんと見張っておいた方がいいんじゃなくって? 彼だって、妙な方向に振り切れたら、何をしでかすか分からないと思うのだけれど……」


 ばしゃばしゃと素足で波を弄んでいたリリアーナだったが、この言葉にぱっと顔を明るくする。この反応は予想外だ。


「あら! 素敵! エルったら、そんなところまで見抜けるの? 私たちって従姉妹同士なだけあるわねえ!!」


 やけに嬉しそうなリリアーナは、ぎゅっと私の手を掴んで薄紫の瞳をきらきらとさせる。


 理想のヤンデレカップルを目前にした私もこんな顔をしているのだろうな、と思うと、お義兄様が引いた顔をするのも納得できる気がした。


 リリアーナもヤンデレをこよなく愛する同志なのだろうか、と思ったが、それにしたって、ここまで喜びの色を表すことには納得がいかない。彼女は今、愛する恋人と引き裂かれるかもしれないという悲劇の真っ只中にいるはずなのに。


「……どうしてそんなに楽しそうにしていられるの? 今朝、あなたの縁談のお話が挙がったのでしょう? ウィルだって、絶望の最中にいるはずよ。本当に、あなたに何をしてくるか分かったものじゃないわ」


 これに関しては本気で心配している。リリアーナは私にとって、「狂愛のスノードロップ」のヒロインである以前に、可愛い可愛い従妹なのだ。その彼女をみすみす失うような真似はしたくない。


 リリアーナは私の瞳をまじまじと見つめると、にいっと意味ありげな笑みを浮かべて、いつも通りに小首をかしげた。


 愛らしい仕草だが、いつのまにか薄紫の瞳に浮かんでいた歪んだ熱が、その表情を何とも鮮烈なものへと変えている。


「そうねえ……彼、何をしてくれると思う? 引き裂かれるくらいならば、私を殺そうとする? それとも、二人一緒に心中しようって言うかしら?」


「っ……」


 まさに、私が危惧していることを次々と言い当てられて、返す言葉も無い。


 一方でリリアーナは、ほう、と恍惚の混じった笑みを浮かべて、夢見るように告げた。


「ああ、何て素敵なのかしら……! 彼と一緒に生きられないのなら、生きていたって仕方が無いものね。二人で一緒に終わることが出来るなんて、本当に夢のよう!」


 リリアーナの豹変ぶりに、私は戸惑ってばかりいた。これが、可憐な笑みの下に隠された本性だったのだろうか。

 

「……愛する人だからこそ、一緒に死ぬことより一緒に生きることを願うものではないの?」


 私の言葉に、リリアーナはくすくすと愛らしい笑い声を上げた。傍から見れば私たちは、仲睦まじく談笑しているようにしか見えないだろう。


 リリアーナは握っていた私の手に自らの指を絡めると、私の指先にほおずりするように引き寄せた。


「あらあら、エルったら、分からない? わたくし、彼と一緒なら別にどんな結末でも構わないのよ。隣に彼がいるなら、わたくしはそれだけで世界一幸せなの。生きているか死んでいるかなんて、大した違いじゃないと思わなくって?」


 それにね、とリリアーナははしゃぐような笑みを浮かべて続けた。愛らしいはずのその笑みに、狂気が滲んでいることに気づいてしまったら、途端に不気味に思えて仕方がない。


「ウィルが、わたくしを想って、わたくしのためにわたくしを殺そうとしたり、どうにかして添い遂げようとしたり、一生懸命悩んだり迷ったりするの、とっても可愛いと思わない? ああ、彼の心の中はわたくしで一杯なのね、と思うと……最高の気分よ。もっともっとわたくしのために苦しんで、わたくしのことで頭の中を一杯にして、わたくしのことしか考えられなくなればいいのに……」


 翳る薄紫の瞳で、リリアーナは自身の手首に巻き付けられた飾り紐を見つめた。それは、紛れもなくウィルがあの祝祭でリリアーナのために選んだ祈りの飾り紐だった。

 

 彼女は熱に浮かされたような表情のまま、悩まし気な溜息をついて、飾り紐にそっと口付ける。その仕草はどうにも妖艶で、普段の可憐な彼女の姿からは考えられないほどだった。


 予想もしていなかった彼女の本性に、衝撃を隠せない。心臓は妙に早鐘を打っていた。


 ……知らなかったわ、リリアーナが、こんなにも深い病みを抱えている女の子だったなんて。


 彼女から解放された左手を、思わず胸元に当てながら、一度だけ深呼吸をする。


 ……なんて……なんて素晴らしいのかしら!!!!


 思わず歓喜の声を上げたくなるが、人目があるのでここはぐっとこらえる。尊さを讃える気持ちを必死で押さえ込んだ。


 予想もしていなかった展開だが、これは大変美味しい。ヤンデレ至上主義な私としては、思わず涙ぐむほどだ。


 数々のヤンデレカップルを見てきて思ったことであるが、結局、ヤンデレにはヤンデレをぶつけるのが一番平和なのではないか、と考えたことがある。


 リリアーナとウィルのバッドエンドのように、二人で深みにはまっていく危険性もあるが、少なくとも当事者たちは、二人でいる限り、何があったって幸せなのだから。


 何より、お互いがお互いを病的なまでに愛しているカップルというのは、傍から見ていて美味しい以外の何物でもない。


 ……可愛らしい見た目のウィルが心中を考えるほどのヤンデレというだけでも美味しいのに、純粋無垢で可憐なリリアーナが実は彼を上回る病みを抱えたヤンデレだったなんて!!


 二人を見ているだけで、パンを何斤でも、いや、何十斤でも食べられてしまいそうだ。


「尊い……尊いわ……」


 思わず両手で顔を覆ってぶつぶつと呟いてしまう。ちょうどよく押し寄せた波の音が、私の呻くような声を掻き消してくれて助かった。


「……ちょっと喋り過ぎちゃったかしら。呆れちゃったわよね、わたくしのこと。でも、別にいいの。わたくしには、ウィルがいればそれで——」


 苦笑交じりに私から距離を取ろうとするリリアーナの手を、今度はこちらから掴む。右手を怪我していることも忘れて、思わずぎゅっと握ってしまった。


「――何も気に病む必要はないわよ。どうぞ存分に、二人で病み病みして頂戴!!」


「え、エル……? そんなに強く握ったら右手の怪我が——」


「――ああ、でも、これは従姉の勝手な願いだけれど、心中とか、どちらかが死ぬようなことだけはしないで欲しいわ。あなたたちは確実に幸せになれるのだもの」


 若干引いたように私を見つめるリリに構うことなく、私は畳みかけるように続けた。


「……リリの理論でいくと必要ないかもしれないけれど、一応教えておくわね。ウィルの両親は、フォーリー商会の商会主夫妻である可能性が高いわ。まだ証拠までは集めていないのだけれど、すぐに分かると思うの」


 今度はリリアーナが衝撃を受けたように、大きな目をぱちくりとさせる番だった。構わず私は食い入るように彼女を見つめる。


「お願い、幸せになって。あなたたちのような、こんなにもお互いを深く想い合っている素敵な恋人たちがいなくなるのは悲しいわ……」

 

 縋るように至近距離でリリアーナを見つめながら懇願すれば、リリアーナの薄紫の瞳が揺らいでいた。


「っ……え、エルがそこまで言うのなら、前向きに生きてみるわよ……。ウィルの生家を調べるほどに、わたくしたちのこと、応援してくださっていたのですものね」


「本当に!? わあ、とっても嬉しいわ! 前向きに考えてくれてありがとう!!」


 思わずぎゅっとリリアーナを抱きしめ、白い頬にちゅっと口付ければ、彼女が戸惑うように身じろぐのが分かった。自分から触れるときはあんなにも大胆な癖に、人に触れられると照れてしまう性格のようだ。


 可愛い。ヤンデレだけでなく、ツンデレの要素も持ち合わせているとは。


「も、もう、分かったわ、分かったから、離してよ、エル!」


 ぎゅっと目をつぶった状態で、必死に声を上げるリリアーナの声に応えるように、不意に、横から伸びてきた手が私と彼女を引きはがした。


 顔に影がかかり、自然と私はその人を見上げることとなった。


「……何を考えてる、手の傷が悪化したらどうするんだ」


 明らかに怒気を滲ませたその声は、他でもないお義兄様のものだった。


 言葉通り咎めるように私を見下ろすお義兄様に、普段なら委縮してしまうところだが、尊いヤンデレを見せつけられて気分が高揚しているせいか、不思議と少しも怖くなかった。


「ふふふ、ごめんなさい、お義兄様。でも、素敵な恋物語を見届けられそうなのが嬉しくって!」


 お義兄様は、リリアーナから私の体を引きはがした状態のまま私の肩を抱いていたが、妙に上機嫌な様子の私に、ますます怪訝そうに眉を顰めるばかりだ。


「素敵な恋物語……?」


「ええ! それはもうとっても素敵なの! 世界中に愛してる、って言いたい気分よ!」


 スキップして辺りを駆け回りたい気分だが、お義兄様の手がそれを許してくれない。


「……だからと言って近づきすぎだ。しかも、こともあろうに口付けるなんて——」


「嬉しいときには頬への口付けもしたくなるものですわ! 挨拶と同じようなものでしょう?」


「公爵令嬢が気軽にしていいものではない。相手が令嬢ならまだいいが——」


 それらしい言葉を並べ立ててお叱りになるお義兄様に、私はにこりと微笑みかけ、彼の肩に抱きついて目一杯背伸びをした。その勢いのまま、彼の頬にそっと口付ける。


「ふふ、お義兄様にも幸せのおすそ分けですわ! これでお義兄様も文句は言えませんわね!」


 喜び一杯の声を上げれば、銀髪から覗いた紺碧の瞳と、至近距離で目が合う。お義兄様がこんなにも驚いている顔を見たのは初めてかもしれない。


 戸惑うように揺れる彼の瞳を見て、舞い上がるような気持ちから、はっと我に返った。


 少し、調子に乗りすぎただろうか。ヤンデレ×ヤンデレカップルの尊さに酔っていた気持ちがぱっと醒めて、代わりに途方もない気恥ずかしさに襲われる。


「……あーあ、知りませんわよ、エルったら」


 背後でリリアーナがぼそっと呟いた言葉が何とも不吉で、思わず笑みが引き攣る。お義兄様の顔もまともに見られないままに、恐る恐る彼から手を離し、ゆっくりと後退った。


 顔を上げなくとも、お義兄様の鋭い視線が注がれていることが分かる。その紺碧の視線に含まれた感情が何なのか知りたいような、今は分かりたくないような気持ちになって、そのままお義兄様とリリアーナに背を向けた。


「……あ、あんなところに素敵な貝殻が! 私、拾って参りますわね!」

 

 わざとらしいにも程がある誤魔化し方をして、私は彼らに背を向けたままに走り出した。


 彼らと少し距離を取ったところで砂浜にしゃがみ込み、砂粒に塗れた小さな貝殻を摘まみ上げる。わざわざ駆け寄って拾うほど綺麗な貝殻でもないので、これが下手な誤魔化しであることはバレバレだろう。


 今更になって早まる脈を抑えるように、私はぎゅっと胸に手を当てた。


 気分が高揚していたとはいえ、お義兄様の頬に口付けるなんて、とんでもなく大胆なことをしてしまった。あまりの恥ずかしさにぎゅっと目をつぶって耐える。


 あんなに驚いたご様子のお義兄様の表情は初めて見た。あまりに失礼なことをしてしまったから、怒ってしまわれただろうか。それとも、私に呆れてしまっただろうか。


 悶々と考えながら、指先で砂をいじる。思考がぐだぐだでまとまらない。


 結局、間もなくしてミラー伯爵家から迎えの馬車がやってくるまで、私はお義兄様とリリアーナと距離を保ったまま、何とも言えない気恥ずかしさを誤魔化し続けたのだった。

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