第10話
それからのリリアーナの行動は、驚くほどに早かった。
私とお義兄様がミラー伯爵家に滞在するのもあと三日ほど、となったある日、彼女は突然、フォーリー商会の商会主夫妻をミラー伯爵邸に呼び寄せたのだ。
舞台は波の音が聞こえる応接間。フォーリー商会の代表夫妻と、伯爵夫妻、ケイリーお兄様、そしてリリアーナがそれぞれソファーに座り、私とお義兄様が部屋の隅の椅子で様子を窺っているような構図だった。
リリアーナの縁談の件で、彼女とぎくしゃくした関係にあったケイリーお兄様も、突然のフォーリー商会代表夫妻の訪れに驚きを隠せない様子だ。
ここ数日、リリアーナは海にも行かず大人しくしていると思っていたのだが、知らぬ間に手を回していたらしい。どんな用件でフォーリー商会の商会代表夫妻を呼び出したのかは分からないが、ものの数日で実行に移す手腕は大したものだ。
「お父様、お母様、ご紹介いたしますわ。こちら、フォーリー商会の代表を務めていらっしゃるパーシー・フォーリー様と、サマンサ夫人ですわ」
リリアーナは可憐な笑みで商会のフォーリー夫妻を皆に紹介した。フォーリー夫妻も貴族の屋敷に招かれることには慣れているのか、ごく落ち着いた態度で伯爵夫妻に礼をする。直に男爵位を授けられるという噂があるだけあって、下手な貴族よりずっと気品のある夫婦だった。
何より私の目を引いたのは、フォーリー夫妻の髪と瞳の色だった。
商会の主であるフォーリー代表は夕暮れと同じ色の橙色の瞳を持っており、サマンサ夫人は年によるものとはまた違う、真っ白な美しい髪を優雅に結い上げていたのだ。二人の色彩は、この屋敷で働く青年執事ウィルを連想するには充分だった。
「ご紹介に預かりました、フォーリー商会代表のパーシーと妻のサマンサと申します。お目に書かれて光栄です、ミラー伯爵、グレース伯爵夫人」
恭しく礼をする二人を、伯爵夫妻は穏やかな笑顔で迎えていた。領民たちと仲の良い伯爵夫妻は、もともと身分で人を判断するような方たちではない。
「ようこそ、フォーリー代表、サマンサ夫人」
寡黙な伯爵の代わりに、叔母様がにこやかに挨拶をする。
叔母様は、遠路はるばる訪れた代表夫妻を歓迎していることに間違いはないが、彼らの訪問の意図を捉えきれていないと言った様子だった。
ちらちらと咎めるようにリリアーナを見ていることからしても、彼女が縁談の話が挙がった腹いせに、散財をしようとしているのでは、とでと考えているのかもしれない。
「……娘がわがままを言ってお連れしてしまったのかしら。本当に申し訳ありませんわ」
叔母様は溜息交じりに顎に手を当てて、先手を打って謝罪をする。それを見たリリアーナが代表夫妻の横でむくれていた。
「もう、お母様ったら。わたくしは何も、無駄遣いをするために代表夫妻をわざわざお呼びしたわけじゃありませんのよ」
同意を求めるように、リリアーナは薄紫の瞳を代表夫妻に向ける。代表夫妻ははにかみながらも、どこかきらきらとした目で告げた。
「実は、リリアーナ様が、このお屋敷にはこの世に二つとない宝が眠っているとお教えくださいまして……。商人として、あらゆる豪華な品を見てきた私たちですが、伯爵令嬢であらせられるリリアーナ様がそこまでおっしゃる品がどのようなものなのか、是非ともこの目で拝見したいと、こちらに参じた次第なのです」
これには叔母様の笑みが引き攣る。王国有数の商会主夫妻を唸らせる品に、当然ながら心当たりなどないらしい。どういうことなのか、と睨む勢いでリリアーナを咎めていた。
だが、リリアーナはたじろぐ気配一つ見せず、優雅に微笑んで見せる。
「ふふ、もうすぐご覧になれますわ。あなた方にとっての、唯一無二の宝物をね。そろそろだと思うのですけれど……」
その瞬間、タイミングを見計らったかのように、客間のドアがノックされる。誰より先にリリアーナが入室を許可すれば、紅茶の香りと共に、真っ白な髪の青年執事が客間に姿を現した。
「失礼いたします。紅茶をお持ちいたしました」
言うまでもなく、入室してきたのはウィルだ。彼は慎ましく礼をして、代表夫妻の前にティーカップを並べていく。普段ならばメイドがやっている仕事だが、恐らく、リリアーナが特別に頼み込んだのだろう。
全てはそう、親子の感動の再会の舞台を演出するために。
ウィルは淡々とティーカップを並べ、紅茶を給仕していたが、代表夫妻は彼のことを食い入るように見つめていた。
無理もない。十数年前に失踪した息子と同じ髪と瞳の色をした青年が目の前にいるのだから。
何より、こうして夫妻とウィルを見比べてみると、ウィルは夫妻の顔の特徴を良く表していることが分かる。全体的な顔立ちは、愛らしい雰囲気の夫人にそっくりだが、目元は代表にそっくりだ。
夫妻は初め、何も言わずにウィルを見ていたが、次第に夫人の指先が震え始める。それを見た代表がそっと夫人の手に自らの手を重ねながらも、穴が開くほど真剣にウィルの姿を見つめていた。
これだけじっと見つめられれば、ウィルも勘付いてしまう。彼は紅茶の給仕を終えたところで、初めて代表夫妻に向けて顔を上げた。
それはまさに、十数年ぶりの親子の再会の瞬間というべき、決定的な場面だった。
ウィルはきょとんとした顔をしていたが、夫人はついに感極まったように、ぽろぽろと涙を流し始めてしまう。
「……ミゲル? ミゲルなのね?」
幸せに満ちた夫人の声に、ウィルは僅かに首を傾げながらも、無視はできないのかまじまじと夫人のことを見つめていた。代表に至っては、感動のあまり言葉が出て来ない様子だった。
この様子を見ていた伯爵夫妻もまた、はっとしたように顔を見合わせていた。
やがて、温厚な伯爵が珍しく慌てて立ち上がったかと思うと、どこからともなく古びた小さな布袋を取り出してくる。
叔母様は伯爵の震える手に自らの手も添えるようにして、布袋の中から錆びた銀色のペンダントを取り出した。それを、困惑した表情を浮かべるウィルにそっと手渡す。
「……以前も話したと思うけれど、これは、あなたが海辺で発見された時に身に着けていたものよ。……フォーリー代表夫妻にお見せしてごらんなさい」
叔母様はきっと、代表夫妻の反応から彼らとウィルの関係を察したのだろう。ウィルは変わらずたじろいだ様子だったが、錆びたペンダントをそっと代表夫妻に見せた。
それは、小さなクジラを模した、可愛らしいペンダントだった。お守り代わりのようなものだったのだろうか、祈りの飾り紐についているものとよく似た、橙色と白の貝殻が埋め込まれている。
「っ……それは……私が息子の3歳の誕生日に贈ったものだ。忘れもしない」
フォーリー代表は震える声で告げると、愕然とした様子でウィルの前に崩れ落ちた。
「……あなたの目は、僕の橙色の瞳とそっくりですね」
ウィルはペンダントから視線を上げて代表を見つめ、そして夫人に視線を移した。
「そして夫人の白い髪は、僕の髪とおんなじ色だ……」
夫人はぽろぽろと涙を流しながら、遂にウィルを抱きしめた。
ウィルは戸惑うような様子で夫人を見つめていたが、抗うことなくそっと夫人の背中に手を回す。
その上から、大柄な代表の腕が二人をまとめて抱きしめるようにして、ぎゅっと彼らにしがみ付いた。
「……父さん、母さん?」
ウィルが恐る恐る呟いたその言葉で、代表夫妻の涙腺は決壊してしまったようだ。
「ミゲル……っ良かった! 良かったわ、本当に……っ。あなたのことを忘れた日など、一日だってなかったわ……」
ウィルは、泣きじゃくる二人を前に対応に戸惑っているような様子だったが、口元には困ったような笑みを浮かべている。
そのまま言葉もなく寄り添う三人の姿は、失った十数年もの時間を取り戻そうとしているかのようにも見えた。
それは紛れもなく、実の親子の十数年ぶりの再会の光景だった。
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