第8話

「リリ! どこにいるの、リリ!」


 朝食を終えて早くも数時間が経とうかという頃、私は土地勘のある使用人の案内のもと、海辺を探し回っていた。


 馬車で移動して、それなりに遠くまで来たが、やっぱりリリアーナの姿は見当たらない。街や屋敷の周辺を捜しているケイリーお兄様たちからも、リリアーナを見つけたという報告は上がってきていなかった。


 私の隣で辺りを見渡すお義兄様も、リリアーナの名前こそ叫ばないが、紺碧の瞳は常に辺りに向けられている。彼なりに、リリアーナのことを心配しているのかもしれない。


「……どこへ行ってしまったのかしら」


 叫び疲れて少し掠れた声でしょんぼりと肩を落とせば、私たちの傍に控えていたレインが水を差し出してくれた。


「ありがとう、レイン……」


「お嬢様、少し休憩なさってはいかがですか? お嬢様がお倒れになったりしたら、元も子もありません」

 

「平気よ、もしもリリが困っていたら大変だもの」


 レインから受け取った水を一気に飲み干して、私は再び辺りを見渡した。どこまでも続くような砂浜に、人影はない。


 私が少々焦っているのは、リリアーナ同様、ウィルの姿も見つからないのが不安でならないという理由もある。ウィルもリリアーナを捜しに行っているだけなのか、それとも今二人は一緒にいるのか、それすらも分からないのだ。


 まさか、白昼堂々心中をするような真似はしないと思うが、夜を待って決行する可能性が無いとは言い切れない。


 数日前、あんなにも楽しそうにリリアーナへ送る飾り紐を選んでいたウィルが、そこまで吹っ切れるだなんて考えたくはないが、ヤンデレの行動は読めないから警戒するに越したことはない。


 焦りから、思わずぎゅっと胸元のワンピースを握りしめていると、不意にお義兄様が私の被っていた帽子を深く被り直させた。驚いて彼の顔を見上げれば、お得意の感情の読めない表情でこちらを見下ろしている。


「……そう不安そうな顔をするな。すぐに見つかる」


 焦りが顔に出ていたのだろうか。これには思わず、視線を泳がせた。


「ええ、そうですわね。……すみません、つい、焦ってしまって。リリに何かあったら、と思うとどうしても……」


「心配性だな」


「それをお義兄様が仰るのですか……」


 呆れるようにお義兄様を見つめれば、彼は多少むっとしたような表情で、片手で私の両頬を挟んだ。


「俺に心配をかけるお前が悪い」


 確かに今までしでかした事を考えれば、反論できない部分があるのは確かだった。弁明の言葉一つ見つからない。


 お義兄様の手に両頬を挟まれたまま、思わずむう、唇を尖らせると、珍しく彼はふっと噴き出すように笑った。


「ひどい顔だ」


 お義兄様は可笑しくてたまらないとでも言いたげに肩を震わせながら、ようやく私の頬から手を離した。


 お義兄様がここまで笑うのは珍しいだけに、そこまで悪い気分ではないが、変顔を見られてしまったことに関しては引き続き唇を尖らせた。


「お義兄様のいじわる」


 ぷい、と顔を背ければ、隣でお義兄様がふっと笑うのが分かった。今日はかなりご機嫌らしい。


 お義兄様にからかわれてしまった気がするが、彼のお陰で少しだけ気分が和らいだのは事実だ。心の中で密かに感謝しながら、私は数歩波打ち際へと歩み寄った。


 海辺の捜索とは言っても、それなりに遠くまで来てしまった。歩いて来られない距離ではないが、あの可憐なリリアーナがここまで来るとも考えにくい。もう少し屋敷近辺の海辺を探してみた方がいいだろうか。


 潮風に帽子が攫われないように軽く押さえながら思案していると、お義兄様も隣に歩み寄ってくる。


「……お義兄様、そろそろ次の場所へ——」


 そう言いかけた瞬間、私たちからほど近くの海面がばしゃりと大きな水音を立てた。


 驚いて音のした方を見やれば、そこには長いストロベリーブロンドの髪を掻き上げる少女が、海の中に立っていたのだ。ワンピース調の水着が体に張り付いている。


 ぽたぽたと水滴を垂らす少女は、驚いたように私たちを見ていた。いや、衝撃というならば、こちらの方がよっぽど大きかっただろう。


「……リリ?」


 ぱっちりとした薄紫の瞳を見据えて恐る恐る問いかければ、彼女はきょとんとした表情のまま、こてん、と小首をかしげる。


「エルに、ルーク様まで……。こんなところでどうなさったのです? お散歩ですの?」


 どうやら彼女には自分が捜されているという自覚がないらしい。何だか一気に気が抜けるような感覚を味わいながら、慌てて彼女の傍に歩み寄った。


「どうしたもこうしたも無いわ。みんなあなたを捜していたのよ。ケイリーお兄様と言い争ったきり、姿が見えないものだから……」


「あら? わたくし、お部屋に書き置きは残して参りましたけれど、風にでも飛ばされてしまったのかしら……」


 リリはぎゅっと髪に纏わりついた水分を絞りながら、ばしゃばしゃと砂浜に上がってきた。本当に、拍子抜けするほどけろりとしている。心中していたらどうしようと心配していた私が馬鹿みたいだ。


「……心配、したのよ、リリ」


「ごめんなさい、エル、ルーク様。わたくしを探してここまで来てくれたのね? わたくし、むしゃくしゃしたときは、つい泳いでしまうのよ。ご迷惑をおかけしてしまったわ」


 言葉通り、リリは泳ぐことに慣れているようだった。だが、泳ぐための服であるだけあって、手足の露出が高い。何だかこちらがどぎまぎしてしまう。


 ここにはお義兄様の目もあるのだ。私は肩に羽織っていたストールを、そっと彼女の肩にかけた。


「着替えはどこにあるの?」


「持ってきていないわ。のんびり歩いているうちに乾いてしまうもの」


 なんてことないようにくすくすと笑うリリを前に、思わず溜息交じりに頭に手を当てる。


 ストロベリーブロンドの髪に薄紫の瞳、陶器のように白く滑らかな肌という、一見すればお人形のような可憐な見た目であるにも関わらず、当の本人はかなりのお転婆らしい。 


「リリ、それはいくら何でも年頃の女の子として自覚が足りないわよ……」


「あら、エルったら、お兄様みたいなことを言うのね?」


 悪戯っぽく笑いながら私の顔を覗き込むリリには、やっぱり自覚の欠片も無いようだ。この奔放さも、リリの大きな魅力の一つなのかもしれないが、ミラー伯爵家の人々の気苦労を思うと頭が痛くなりそうだった。


「……とりあえず今、ミラー伯爵家に使いを出しておいた。知らせが届けば、迎えが来るだろうな」


 知らぬ間にお義兄様は使いの手配を済ませていたらしい。彼の隣には、馬車から持ち出したらしい毛布を持っているレインもいて、二人の仕事の早さに驚かされてしまった。


「リリアーナ様、失礼いたします」


 レインがそっとストールを回収して、リリアーナの肩に毛布を羽織らせる。長い毛布だったためか、リリアーナの体はすっぽりと覆われてしまった。何だか可愛らしい。


「……みんながわたくしを捜していたのなら、帰ったら怒られてしまいそうね」


 リリアーナはしゅんとしたように肩を落とした。その様子が何とも可哀想で、思わず細い肩に触れながら彼女を励ましてしまう。


「大丈夫よ、みんな心配していただけで、リリのことが嫌いなわけではないのだもの」


 リリはちらりと私を見つめた後、陽の光に輝く海に視線を移した。


「ねえ、エル。……少しだけ、一緒に歩かない? 伯爵家から迎えが来るまでの間だけ」


「え? ええ、いいわよ」


 ちらりとお義兄様を見やれば、好きにしろと言うような眼差しを向けてきた。彼の視界に収まっていれば文句はないのだろう。


 リリアーナに導かれるようにして、私たちは二人並んで波打ち際を歩き始めた。


「ふふ、エルとルーク様は本当に仲良しなのね?」


 リリアーナは私に耳打ちするようにして、くすくすと笑った。他意の無い笑みにも見えるが、いざリリにお義兄様との仲を指摘されると、どうしたって気恥ずかしさを覚えてしまう。


「……ま、まあ、それなりにね。あなたとケイリーお兄様みたいなものよ」


「嘘。本当はそれ以上の想いがあるのでしょう?」


 リリアーナは白い指先を私の唇に当てて、にこっと笑ってみせた。


 この笑みを見て、確信した。リリアーナは恐らく私とお義兄様の関係を正しく認識しているのだ。ただの義兄妹というには、あまりにも甘くて親しい私たちの関係を。 


「……あの手の男の人は苦労すると思うわよ。それを警告したくて、エルをお散歩に誘ったの。お屋敷ではルーク様がエルにくっついていて、なかなか二人きりになれないじゃない?」


 波打ち際でばしゃばしゃと海水を跳ね上げながら、リリは意味ありげな眼差しをこちらに向ける。愛らしくて奔放なだけの従妹かと思っていたが、この様子を見ている限りだと、私の認識は間違っていたのかもしれない。

 

「苦労って……別に、お義兄様はお義兄様よ。警告も何もないわ」


 砂浜に沈む自分の足を眺めるように軽く俯くも、にやにやとした笑みを浮かべたリリアーナが顔を覗き込んできた。


「あら? あらあら、もしかして、そういう戦略なの? 敢えて鈍感に振舞うのも駆け引きのうちの一つであることは確かだけれど、危ないわよー? ああいう性格の人を相手に鈍い振りをするのは」


 リリアーナは妙に鋭い。お義兄様にヤンデレの素質があることを、この短い滞在の内に見抜いてしまうなんて。しかもヤンデレの扱い方についても心得ていると来た。


「大した観察眼をお持ちなのね、リリは……」


 苦笑交じりに告げれば、リリアーナは愛らしい笑みを浮かべてこてん、と小首をかしげた。


「ふふ、ありがとう、エル」


 こうしてみれば人の病みだとか歪みになんて微塵も気づけなさそうな可憐な少女であると言うのに、思ったよりもずっとリリアーナはいろんなことに勘付いているようだ。人は見かけによらない、というやつだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る